食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『尺度の違い』

2012年10月19日 17時48分01秒 | 日記

今日も畑に出て草取りや夏野菜、オクラ、茄子の片つけを始めた。草についてくる土

や片つける苗の根に付いている土を振り落としながら、ふと思い出したことがある。

昔,糸さんと畑をしていた時、野菜を収穫したら根に泥が沢山付いていた。私は何の

意識もなくそのまま川で洗ってしまおうとすると糸さんが

『おい、泥を落としとけよ。泥がもったいない』

『何で泥なんかがもったいのだ。ケチなことを言うな』と心の中で思った。もともと、畑仕

事なんか大嫌いだったから畑の泥に興味がある訳はないし、作業が早く終わればそ

れが一番いいと思っていた頃だから。しかし、この言葉は強烈な印象があり、長らく畑

仕事を中断していた時期もあったが忘れてはいなかった。畑をする人にとって土は命

ということに気付かなかったし考えたこともなかった。

それが、今や土造りに熱心、畳をばらして藁を取り出し畑に使う、落葉樹の葉を回収

して畑に、もみ殻をたっぷりと畑に、堆肥を十分にすり込む。畑で一番コストがかかっ

ているのは土だ。だから糸さんの言葉は、その通りだった。

また、私の山小屋でストーブの薪が積んであったのを見て『薪が一杯あると親方になっ

たような気分だな』と言った。話に寄れば昔は薪も貴重なものだったから、貧乏人の所に

は山にするほどの薪はなかったそうだ。しかし庄屋さんなどの所は山が沢山あるから薪

もてんこ盛りであったと言う。だから薪がふんだんにあるとリッチな気分になる。

私はそんな環境の中で育っていないから知らなかったが、確かに冬支度のために薪を

積み上げ今年の冬分は確保、こうなれば心にゆとりが出てくる。

『さあ冬よ、いつでもいらっしゃい』こんなゆったりと心地になれるから、糸さんの当時の

立場に置換すれば、これもビンゴかな。

昔、聞いた言葉を思い出し畑の中で感慨にふけっていた。


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