食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『雑想考、はだしのゲンのその後』

2013年09月05日 17時27分19秒 | その他

世間に大恥を晒した松江教育委員会のドタバタ劇。私に教育委員会の管轄範疇、

権限がどのようなものがあるのか全く知らないが、教育関係の現場ではどうもお殿

様ほどではなかろうが、かなりの権力がありそうに感じる。

『いじめ騒動』が表沙汰になるたび、学校との関係についても報じられるのをみても、

学校はお伺いを立てるだけで、自らの姿勢を貫こうとする気配は感じられない。学校

で発生した事象について学校の調査すら教育委員会の一言で変わってしまうことす

らある。教育委員会というお上にたてつき自我の正義を通すより、平伏した方が円滑

な世渡りを可能にする。学校の教育委員会に対する姿勢にも大きな問題を含んでい

る。どこの学校も『はだしのゲン』は教材になりうる、閲覧制限にするのはおかしいと異

議を申立てない、立てられない。お上と私たちの関係の間でも、よくありそうな話だ。

私は今でも、教育委員会の事務局が勝手に閲覧制限を決めたというのは眉唾だと思っ

ている。事務局というのは、このようなことを論議したり検討したりする部署ではなく、教

育委員会としての決定権限もないはずだ。事務局はこうした問題提起を受け付け関係

者に連絡するだけの部署のはずだ。

それを勝手にやったというのは、まさにトカゲの尻尾切りではないのかと疑っている。ま

たこの説明が本当なら、事務局は権限なしに他の案件も勝手に決めている可能性があ

ると考えるのが自然ではないか。

教育委員会の委員は事務局に勝手なことをされ怒っているはずなのに、そんな声は聞

こえてこない。同じ組織内にいるから仲良くやっているのかも・・・・

一部の学校ではもっと論議して決定をすべきだったと反省の声もでているようだが、本当

にそう考えているのであれば、今後に活かして欲しい。世間では先日の撤回報道を以っ

て一件落着となり、この問題の本質的なことを調べ報道することなどない。この一件だけ

ではなく他の案件でもそうだが、種蒔きをしたご本家では、その後の対応が報道された。

 


『道』

2013年09月05日 17時26分00秒 | 日記

日本だけの事ではないがある土地に住む人にとって、幹線となる道と自分の地域と

の連絡ルートを望むのはごく自然なことだと思う。しかし、そこに利権を求め更に利益

を得ようとして不必要な道まで造ろうとしてきた歴史を否定する健全な動きも必要なこ

とだ。道路の必要性を経済効果で測る所謂、B/C(Benefit/Cost)を信用しなくても信用

しても、この数値を妥当なものとして扱えば、田舎に道路など造る必要はなくなる。この

兼ね合いの隙間に利益を求める蟻が集まる。

暫くの間、公共事業は悪とする風潮が極端になり、道路=悪の構図を作った。日本の国

土を等しく住みやすい環境にするという理念は薄れ、人の集まる所の公共工事は客観

的に必要と、お墨付きを与えた結果、都会地と過疎地の格差は広がりを続けていく。

過疎地の定義は難しいが、過疎が過疎を呼ぶ人口構成と地域投資のバランスをとるの

は難しい。地域利益に関係ないはずの国土交通省のお役人が大所高所から、本来の

力量を発揮しこのバランスを取れるように努力して欲しい。こうした事業で地元に公共工

事の利益が落ちるのも経済対策の極一部になる。過去は、この傾向だけに走り不要な

路論議になった。

今日、開通した西岩坂農道は2.6Kmの道のりを18年の歳月と約30億円の経費をかけて

完成にたどり着いた。どこの道路でも利用しない人にとっては不要の道路になる。だが、

必要とした人にとっては念願の道路、活用にも再び努力をしていく使命はあろう。18年か

けて完成した道、価値を上げる努力は開通の今日から始まる。


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