食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『恵みの雨』

2013年09月01日 16時54分05秒 | 日記

鳩に大半を食べられてしまった蕎麦の種(実)、先週金曜日に1Kg購入してばら蒔き

をしておいた。本当は少しでも土中に埋めれば鳩の被害に遭わないで済むのだが、

雨の間隙をぬっての仕事だったから、再びばら蒔きをした次第。

この日の雨模様に続き土日も雨の予想だったから、これなら発芽の好条件になるの

で雨でも種を蒔いておきたかった。

今朝、その畑のチェックに行って見たら、実から白い髭のようなものが出ており、詳しく

は見なかったがどうも根のように見えた。蕎麦は8角形しており傾斜の激しい所や荒廃

地でも引っ掛かり易いから発芽しやすいとあった。根から先に出て地面をグリップした

後に発芽するのか、この白いものが芽なのか、俄百姓には分からないが兎に角、芽が

出ることには間違いなさそうだ。

今日もしっかりと雨が降っているから、水気を沢山含み元気な芽を期待している。

最初は2Kgも蒔いたのに発芽はパラパラと寂しいかぎり、それでも大きいものは5~6cm

で本葉も出ている。後発隊の頑張りより一面の白い蕎麦の花を見せて欲しい。


『雑想考、100年安心年金はどこに行った』

2013年09月01日 16時50分29秒 | その他

当時、国会で坂口 力厚労大臣(公明党)は年金について「100年安心年金」と胸を張

って説明していた姿を今でも、はっきりと覚えている。下記の記事はそれの詳しく且つ

分かり易く説明したものだ。一般経済や金融界の動向に目ざとく無い私でも、上げら

れた数値や根拠を信用するに値しないと判断できたからだ。この発言、説明は必ず

破綻すると確信していたから驚きはしないが、『ほら、見たことか』と腹立ちを覚える。

いつものことながら、政治家や官僚はこうした、ある意味で言えば欺瞞(善意で言えば、

見通しを誤った)に満ちた結果に知らん顔をして、何事もなかったことのように振る舞

えるから立派なものだ。

「100年安心年金」と嘘を言っただけなら腹が立つだけで大きな害はないが、それが破

綻したからといって我々に責任転嫁しておいて、しゃあしゃあと別の説明をしている。

「100年安心年金」は嘘だったから国の財政が破綻するからとか、年金・健康保険制度

が崩壊すると騒ぎ立て、消費税を上げて年金破綻を少しでも先送りさせることにしてし

まった。消費税と年金の関係は昔から言われていたのに、自公の与党は消費税アップ

の取り組みをしようとせず財政悪化を放置してきただけではないか。野田自民党分室

長は急に正義の味方ぶって、実は自民党が成しえなかった消費増税の道をつけるこ

とを最後の花道とした。野田首相の花道など何も必要もない、野田政権そのものが必

要なかったのだから。

色々と文句を言っているが増税は避けられないと思っている。景気が回復したら・・・

の文言や意見はいつまでたっても実現しない代名詞でもあるから、そろそろ受け入れ

る潮時にきていると考えるべきだ。

     ************ 参考記事 *************

小泉政権「100年安心年金」はなぜ7年で崩壊したのか

[A級戦犯 政治家 役人の悪辣と放漫 経済ジャーナリスト荻原博子]

小泉純一郎政権下の2004年の年金改革で、竹中平蔵経済財政担当大臣が旗振り役となっ

て成立した「100年安心年金」が、わずか7年で破綻した。この時に決まった主な改革内容は、

年金保険料を2017年まで毎年上げ続けること。そして、現役時代の6割程度もらえるはずの

年金支給額を、5割程度までにカットすることだった。年金を支える人ももらう人も、共に大きな

痛みを負ったが、その代わり、年金は「100年安心」と政府は胸を張った。

ところが、その「100年安心」だったはずの年金が、わずか7年でなぜ破綻したのか? 一言で

言えば、ご都合主義のデータで架空の「100年安心」をでっちあげたからだ。

使われた基礎データは、物価上昇率1%、賃金上昇率2・5%、運用利回り4・1%。たとえば、

物価の上昇については、2004年はマイナス0・2%だが、05年からはプラスに転じて0・5%、そ

の後はずっとプラスで06年は1・2%、07年は1・5%、08年は1・9%になると予想した。デフレ

が深刻化する現状とは、かけ離れたシナリオになっているのだ。

◆現実とかけ離れた試算データ

かつて年金は、物価スライドで、物価が上がれば支給額も上がっていた。2004年の改革で、

「マクロ経済スライド」なるものが登場。「マクロ経済スライド」については、当時の小泉首相が国会で

説明を求められ、あまりの複雑さに答えられなかったことで有名になった。要は、物価が上が

っても年金支給額は同じだけは上がらない仕組みだ。ただ、デフレが続いたために、威力を発

揮しないまま現在に至っている。さらに、デフレが続いたことで、賃金も、厚生労働省の官僚の

思惑通りには上がらなかった。そもそも、民間の給料は、国税庁調査ではこの10年、ずっと

下がり続けているのに、2・5%ずつ上がっていくという設定には無理がある。運用も、昨年

度は増えるどころか約3000億円の運用損となった。
なぜ、これほどまでに現実とかけ離れたこんな楽観的な数字を並べ立てて「100年安心」を

喧伝(けんでん)したのかといえば、年金においては、これは伝統的手法なのだ。
その前の2000年の改革では、老齢厚生年金の比例報酬部分の支給額の引き下げと、20

25年までに段階的に60歳から65歳に引き上げることなどが決まった。この改革の旗振り

役の熊代昭彦元衆議院議員は「これで年金は今後50年は安心」と胸を張ったものである。
それが、2004年にまた大きな痛みを伴う改革をしなくてはならなくなったのだから、「50年

安心」は4年しか持たなかったことになる。
しかし、その間に、国民の方も忙しくて忘れる。今の年金財政を健全化することだけを考えれ

ば、その方法は、簡単に言えば3つ。保険料を上げるか、給付を下げるか、支給年齢を上げる

かだ。結局は、抜本的な改革をせず、安易にそれを繰り返しているに過ぎないのである


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