過日、妻とテレビを観ていたら『物貰い』、昔風に言う乞食のことが話題になった。ジ
ニ係数の続きではないが、最近は乞食など見かけなくなり、少し形態の異なるホーム
レスがとって代わった。
『乞食(こつじき、こじき)とは、 本来は仏教用語で「こつじき」と読む。比丘(僧侶)
が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。
また托鉢。』
乞食とは私が思っていた意味合いは物貰い、それよりずっと高貴なものだった。
いずれにしても、私が子供頃は本当に貧しくて住む家も仕事もなくボロを纏った人たち
がいた。日本社会全体の生活レベルは高いものではなく貧困の枠から出たり入ったり
の暮らしが当たり前だったから、乞食の存在も子供なりに受け入れていた。
いつ頃から乞食を見なくなったのかはっきりとした記憶はないが、高校生の時は見かけ
たことはないし、1965年就職して横浜に行ってからも見たことはない。
時代の移り変わりは乞食とは別のホームレスを生みだした。昔の乞食は本当に貧しく打
つ手が無くなり、その道に陥ってしまったのに対しホームレスは少し毛並みの違うケース
も多いようだ。ホームレスと乞食と何が違うのか分からないが、身なり一つにしてもホーム
レスの方がオシャレであるし生活も数十倍もリッチであろう。
20年前アメリカ旅行の際、サンフランシスコの中心地を散歩していたら、ビルの階段下で
若いお嬢さんが薄汚れた格好で座り、前に空缶を置き物乞いをしていたのを見てびっく
りした。世界一の経済大国、しかも花のサンフランシスコのど真ん中に若い乞食がいるな
んて、想像もしたことがなかった。
時代は『ネット乞食』なるものも生み出している。HP上で物乞いをする、アフェリエイト乞食
などを言うのだとか。社会的弱者を支援する手立ての一つに生活保護がある。乞食にしろ
ホームレスにしろこうした制度に縛られず自由気ままに暮らすのだから、放っておいくれと
いう人もいるだろうが、抜け出そうと努力している人もいるはず。行政もそうした人たちの力
になれる制度を活用して一歩でも改善できるような支援をお願いしたい。しかし全体的に
日本は昔と比べたら貧しさなど見当たらないし平たく、そこそこの暮らしをしていると思う。
貧しさや飢えの辛さを知らない事が幸せだとは思わない。
♪ ボロは着てても心は錦