先日『緋の河』をご紹介しました。
うっかりとしていましたが、私はずーっと前に自分のHPで『小説カルーセル麻紀』を紹介しておりました。
泉大八先生が『小説セブン 昭和43年7月号』に書かれたものです。
ゲイボーイになりたい15歳の彼は釧路の家を出て、東京に向かいます。
その列車の中で札幌にもゲイバーがあることを知るのです。
私は札幌の一つ手前の駅で飛び降りた。
捜索願いが出ていて、改札口で捕まるかも知れないと考えたからだった。
私は、あちらこちらを探し廻ってやっとその<ベラミ>という店に辿りつく。
千景というママは、私を一目見て、「うん、この子は物になるね」と云ったものだ。
ゲイ・ボーイであるママさんは、一瞬のうちに私の、男になり切れない素質を、見抜いたのであろうか。
<ベラミ>には、七人の、私と同じような男が好きで好きでたまらない人たちが、働いていた。
きいてみると千景ママは、東京から札幌へ移って、三ヶ月前にその店を開いたのだと云うことである。
私の源氏名は“マメ子”。
私は、自分と同じ悩みをもった人たちが、うきうきと働き、楽しく語り合っているのをみて、有頂天になった。
<こんな世界があるなんて!>
私は、見るもの、聞くもの、すべてが珍しく、そして毎日毎日が幸せだった。
悲しいのは、頭の髪の毛が、早く伸びてこないことだが、先輩の吟子から、本格的な化粧をしてもらって、洋服を借り、頭にネッカチーフをかぶって、二人で札幌の夜の街を歩いたときのことは、忘れられない。
大通りのグリーンベルトを、腕を組んで歩いていたのだが、通りがかりの男たちに、「お嬢さん、お茶でもいかが?」 とか、「つきあってくれない?」と云って云い寄られたときの、あの途方もなくゾクゾクしてくる恍惚感よ!
私は興奮した。
<ああ、やっと女になれた>
と、その時、私は思ったのだ。そして感動したのだった。
続きはこちらにどうぞ→★
『緋の河』を読んだ後に、この泉先生の小説を読んでみるとカルーセル麻紀さんの人生の凄さと面白さを改めて感じることができます。
うっかりとしていましたが、私はずーっと前に自分のHPで『小説カルーセル麻紀』を紹介しておりました。
泉大八先生が『小説セブン 昭和43年7月号』に書かれたものです。
ゲイボーイになりたい15歳の彼は釧路の家を出て、東京に向かいます。
その列車の中で札幌にもゲイバーがあることを知るのです。
私は札幌の一つ手前の駅で飛び降りた。
捜索願いが出ていて、改札口で捕まるかも知れないと考えたからだった。
私は、あちらこちらを探し廻ってやっとその<ベラミ>という店に辿りつく。
千景というママは、私を一目見て、「うん、この子は物になるね」と云ったものだ。
ゲイ・ボーイであるママさんは、一瞬のうちに私の、男になり切れない素質を、見抜いたのであろうか。
<ベラミ>には、七人の、私と同じような男が好きで好きでたまらない人たちが、働いていた。
きいてみると千景ママは、東京から札幌へ移って、三ヶ月前にその店を開いたのだと云うことである。
私の源氏名は“マメ子”。
私は、自分と同じ悩みをもった人たちが、うきうきと働き、楽しく語り合っているのをみて、有頂天になった。
<こんな世界があるなんて!>
私は、見るもの、聞くもの、すべてが珍しく、そして毎日毎日が幸せだった。
悲しいのは、頭の髪の毛が、早く伸びてこないことだが、先輩の吟子から、本格的な化粧をしてもらって、洋服を借り、頭にネッカチーフをかぶって、二人で札幌の夜の街を歩いたときのことは、忘れられない。
大通りのグリーンベルトを、腕を組んで歩いていたのだが、通りがかりの男たちに、「お嬢さん、お茶でもいかが?」 とか、「つきあってくれない?」と云って云い寄られたときの、あの途方もなくゾクゾクしてくる恍惚感よ!
私は興奮した。
<ああ、やっと女になれた>
と、その時、私は思ったのだ。そして感動したのだった。
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『緋の河』を読んだ後に、この泉先生の小説を読んでみるとカルーセル麻紀さんの人生の凄さと面白さを改めて感じることができます。