女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

1974年 女装高校生れんげさんの初登校

2024年08月02日 | ★女装体験記
おはようございます。
今日も暑そうですね。
この間、埼玉県南部を襲った集中豪雨もすごかったです。
1時間に100ミリの雨が降るということはこういうことかと驚きました。
道路は冠水し、その中を私のボロ車が走ります。
「やべえ、止まっちゃうぞ」
とひやひやものでした。

さて、国会図書館で研究用としてコピーしてきた資料を整理していました。
そのなかに女子高校生に女装して女子高に潜入したれんげさんの体験記がありました。

『初めての冒険』 *里中れんげ*
 あたくし、このたび新しく入会しましたレンゲです。レンゲはマメ科なの。たから、あたしのサイズも小っちやいの。背は153cm、重さは42kg、バスト(スポンジ込みで)83cm、ウェスト55cm、ヒップ83cmです。それから、一ばん若いんですって。
 
 クラブを初めて訪れたとき、オリ江さんから、中学生かと思ったワ、って言われました。町を歩いていても本当、子供にしか見られないし、髪を長くのばしているので、よく女の子にまちがえられて、すごく悲しい気持ちがしたものですが、でも、このお部屋では、それがすごく長所なの。皆さまから、体格をうらやましがられるなんて、私、生まれて初めてでした。
 私、今のところ、皆様のおすすめで、いつもセーラー服を着ています。実は私が一ばん着た かった服なんですけど、それを着ているとい中学の女生徒になった気持ちです。

 お化粧も眉を少し補足して、口紅もピンク色のを、うっすらと塗るだけ。このほうが、女学 生としていいんですって。下着は、スリップもブラジャーもパンティーも木綿の真っ白なのをはいて、白のハイソックスをはくので、ストッキングはつけないんです。
 「あなたなら昼間外に出てもだいじょうぶよ」って言われたりして、内心とてもうれしかったのですが、そんなこと、まだずっと先の話だと思っていました。でもそれが、こないだ、本当に実現してしまったんです。それを、今になって思うと、うれしいやら恥ずかしいやらで、本当に忘れられません。

 麻美さんがその日、何やら包みか.持って来てくださって……。それが新しいセーラー服です。 白リボンのそれは、近くにある女子高のと同じなんですって。
 それから、すみれさんが、黒のエナメル靴と学生力バンを持って来てくださって。「用意しなさい」っておっしやるの。
 なんていうことかしら。そのかっこうで、近くの、そのS女子校へいって、下校の生徒たちにまぎれて帰って来るところを写真にとってくたさるんですって。

 何度も何度もはげまされて、わたし、がんばったんです。昼間、外へ出たたけで、もう足はがくがく。お化粧はほとんどなしで、長い髪で、できるだけ顔をおおって。
 やがて、そのS高へ近づいたとき、同じ服の生徒さんたちが大ぜいいました。
 (ああ、あの人たちと、あたし、同じ女生徒に見えるかしら) て思うしと、不安やら興奮やらで気絶しそうでした。
 
 そして、とうとう校門までやって来ました。 「思い切って中にはいっちやいなさい」ってすみれさんに言われて、あたし、その時はもう半分捨て身になっていたので、思い切って、校門をくぐったのです。中では、テニスやら、バレーボールやクラブをやっている人がいて、あたしのことは、別に注目されていないみたいです。

 先生らしい男性が私のそばを通りましたが、別に気にもされませんでした。でも、本当は、そんなこと、いちいち考えている余裕なんかなくて、ちょっとはいっただけで、逃げるようにして出て来てしまいました。
 「どうせなら、お手洗い、のぞいてくればよかったのに……」 って麻美さんたら、そんなこと言うの。 
 そんなこと、とんでもありません。

 でも今は、その時の写真が早くできないかな、って、とても楽しみです。 
 それから、あんなにひやひやすることは、二度とやりたくありません。
 でも(すみれさんの話だと) ひやひやすることって、マージャンみたいにやみつきになるんですって……。
                                    出所 風俗奇譚 1974年9月号


れんげさんは女子高校生や教員に気づかれなかったのですから、本当に女子高生に変身したのですね。
50年前の大冒険ですが、2024年の現在、この冒険は露見するととんでもないことになりますから、まあ自粛したほうが良いかもしれません。

>ひやひやすることって、マージャンみたいにやみつきになるんですって……
そう、その通りです。
それが女装の醍醐味とも言えますね。

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遥か海外の洋上でも風俗奇譚は読まれていました

2024年07月20日 | ★女装体験記
こんばんわ。埼玉は激しい雷雨でした。
地元の公園での盆踊りも途中で中止。
せっかく集まった子供たちも雷が鳴りだすと、慌てて家に帰りだしました。

雷鳴を聞きながら、先日国会図書館で研究調査用資料としてコピーした1968年3月の風俗奇譚を整理していたら、遠洋航海の船員さんから風俗奇譚に載った美人女装子の三木綾子さんへの交際願いの投稿を見つけました。
この方は船員で遠洋航海で風俗奇譚で無聊を慰めているようです。
興味深かったのは、港に着くと女装者がいるバーを訪ねていることです。

三木綾子さまへ
 前に一度、本欄をお借りして綾子さまにおたよりを差し上げたものでございますが、ご返事もいただけず、お元気で活躍のこととは思いますが、たまには美しい姿を誌上になりとあらわしてほしいものと望んでおります。
 わたしども、いつも故国を遠くはなれた船上に生活するものにとって。風奇はいろいろな空想やら奇抜な催しなどあってどのくらいぶりょうな単調な生活を慰めてくれることか。

 なかでもわたしの好んで読むのは、女装関係の記事と写真です。不自由な船にあっても、わたしは必ず新刊の風奇を入手できるのです。それというのも、わたしのあこがれとも希望とも言える女装の実態に接しられ、若いわたしの血はおどり、空想ははてしなく広がっていくのです。

 直接交際をお願いするわけにもいかず、せめて文通なりともと考えております現在です。
 わたしの若い同僚に風奇の綾子さまの美しい姿を見せてこれは男性だよ、と説明したところ、みんな歓声をあげてこれが男かと大騒ぎしたほどです。

 船員には、ホモの者が多いといわれるのは事実です。わたしの乗り組んでいる船にも、その傾向が時おり見られますが、わたしや二、三の友人は男同士ではいやだというより、相手が男姿では気分が出ないといったほうが正確です。そんな気分が、わたしどもを風奇のファンにした原因です。

 毎日毎日が青い海原を見て暮らす荒くれ男たちがいちばんよろこぶのは、港について酒と女を求めて上陸するときです。わたしや友人たちは、そんな時でも、異国に池女装のホモはいると聞いているので、それとなく探すのですが、土地不案内では、ほとんど不可能です。

 一度、シンガポールで、それらしいバーがあり、行って見ましたが、なるほど、女装した者が二、三人おりましたが、普通のバーに女装者が時おりあらわれる、またそれが一種のよびものになっているという程度で、全然期待はずれでした。
 女装者そのものも、思ったほど美しくもないし、誰が見ても男と一目でわかる程度のものでことばもじゅうぶん通しないせいか、ガッカリでした。

 その点、横浜の「ピノキオ」や神戸の「雪之丞」は、美人ぞろいです。しかし、生来内気なわたしには、手さえロクロク握ることもできませんでした。

 富貴クラプのかたがたは、いずれもりっぱな職業を待った社会人ばかりと聞いておりますので、内気なお忙しでもお交際願えるのではないかと期待しております。横浜、神戸に帰ったときは、たいがい半月ぐらいから二十日ぐらいの休暇もありますので、もし許されるのでしたら、そんなおりにお目にかかりたいものと考えております。

 わたしの乗っている船や会社名は、会のほうに知らせてありますので、重ねて、綾子さまにこの記事がお目に届くよう投稿いたしました。 〈K・T生〉 出所 風俗奇譚1968年3月号


追伸です。
見出し画像は前回ご紹介した神宮外苑で初めての女装外出をされた怜子さんです。
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1968年:神宮外苑で初めての女装外出

2024年07月14日 | ★女装体験記
おはようございます。
梅雨空ですね。
先週、千代田区を外勤しておりましたが、アポが3時間の時間が空いたので国会図書館で風俗奇譚を閲覧してまいりました。
その中に怜子さんの女装外出の体験記が掲載されていましたので、こちらにアップしますね。

★初めての女装体験

私は、自分なりに美しい女性 になったつもりで、今まで我流で女装を続けてきたものです。
富貴クラブに入会後、先日 はじめて会員の家で女装させていただきましたが、オリエお姉様に、一々手をとって教えていただき、お化粧というものがどういうものかとやっとわかったような気がいたします。
お姉様のお指導はごく自然に その人その人の柄に合わせて けっしてムリがありませんので化粧したあとの顔がとても生き生きとした感じでございます。
なるほど女の顔になるのには こうするものかと、いちいち感心するばかりでした。

そのあとで、私の女姿を記念に奈美お姉様がいろいろボーズをつけてアングルを変えては写真をとってくださいました。
申し遅れましたが、女装してほかの点はともかく、私としては自信のあるのは、脚でございます。
そのためかハイヒールをはいて外を歩いてみたいとは長年の願望でしたが、なんという運の良さでしょう。
たまたま居合わせた男性会員のかたに「あなたなら、だいじょうぶ。外を散歩なさったら私がボデ ーガードをつとめてあげます」 と誘われたときのうれしさ。 おわかりになりますか。
晴れて女として男性のリードでコツコ ツとハイヒールの音をたてなが ら、暗い町を歩く心持ち、それこそ霊の上をフワフワと歩くようなどこをどう歩いていくのやら土地不案内の悲しさ、ただ男性会員のKさんの腕にすがっ て行くばかりです。

やがてタクシーを止めたKさんが、私をうながして乗り込むと神宮外苑へと命じ堅く私を抱いて、運転手にアベックのように見せてくれるのです。
神宮の森に行って舞いたことには、至るところ歩いている人影はほとんどといっていいくらいアベックばかりです。ずれ も肩を組み、手をつないで、仲むつまじいところもみせつけております。

私も、Kさんに思わずひしと寄りそって、うす寒いくらがりをそぞろ歩きます。
電灯の光を恐れるように暗い木かげでは電灯の光を恐れ あちらこちらで抱き合っているのや、熱いキスをかわしているのやら、私も思わず興奮してK さんにしっかりと抱きついて、心から女になったような気持ちで熱いくちづけをします。
生まれて始めてのことです。
この時ばかりは、ほんとうに女の気持ちで、Kさんのなすがまま、うっとりとして時間のたつのも忘れる思いでした。

つきぬ思いを森に残しながら 帰路につきましたが、会員の家では皆さんがまだ数人おそろいでいて、「お楽しみでしたこと」とひやかされて、顔から火の出るような思いでした。
それにしても、会員の皆様、ありがとうございました。
はじめての私に、こんなにも女の気分を皆さんで味わわせていただ いて。 《千築,怜子》

風俗奇譚1968年3月号「女装愛好の部屋」から


~晴れて女として男性のリードでコツコ ツとハイヒールの音をたてなが ら、暗い町を歩く心持ち、それこそ霊の上をフワフワと歩くような~
これこそ、女装外出の醍醐味であり、快感ですよね。
それにしても56年前に怜子さんが女として抱かれてキスされた神宮の森、知事が続投しますから伐採されちゃうんでしょうか?
都市には緑と暗闇が必要だと思うのですが...。

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昭和末期の女装バーで③

2024年01月23日 | ★女装体験記
さあ、女装子さんのスカートのなかに手を侵入させた男性はどんなテクをつかうのでしょうか。

しかし、だんだんとエキサイトして イッてしまっては後がつまらないし、 第一、洋服を汚してしまうので、その 瞬間には両手でストップがかかり、一休みしてまた再開する。
彼女達は、 こちらが要求しない限り、プロのホステスのように当方のものに自分からは手を出さない。
一度「握らせて」という 彼女の要求に、オープンしてやったところ、いきなりくわえられたのには驚いた。
よほど興奮したのか飢えていたのであろう。

ある時、ちょっと太目の肉付きのいい彼女に会い、後から彼女の尻を愛してやると、ふとしたはずみで私の指が 彼女の穴に入ってしまった。
彼女も突然のことで驚いたようだったが、案外 スムーズに入ったので、思いきって人差し指の根元までズブリと入れてみた。
その瞬間、彼女は「イイッ」と云い、 モジモジと尻を動かしたかと思うと、 私の指の根元をグイッグイッと締めつけてきた。
十分間ぐらいそのままにしてやったら、彼女のものも最高にエレ クトしてきた。よっぽどよかったのであろう。

こんなこともあった。SM雑誌を前にして話をしている時、そっと彼女の 両手を後ろにまわして手首を重ね「どうこんなの」というと「うん」とうなづくので、大版のハンカチでキッチリと縛ってやると、目をトロンとさせて最高の喜びようだった。

そのほか色々な遊びをやったが、くいーん誌にも誰かが書いてたように、女装とSMは表裏一体で、女装の経験をつむほど、女装して「男に愛された い」「責められたい」「犯されたい」という被虐の感情を持つようになるようだ。
それを人によって適度にとり合わせてゆくところに女装者との遊びの面白さがある。

だが、ふたりっきりの密室でのプレイを私は感心しない。
一度、誘われて 行ったことがあるが、彼女がセックスに夢中になりすぎて、あけすけに迫ってくるのに対し、私はなぜかシラけた気分になってしまった。
やはり女らしさ、女としての一番大切な羞恥心がなくなると、どうしても味気ないものになってしまう。
他の人に見られるのではないか、恥かしい、という心と姿が男性にとって最大の興味であることを忘れてはならない。(了)


>他の人に見られるのではないか、恥かしい、という心と姿が男性にとって最大の興味であることを忘れてはならない。
これも同感ですね。
羞恥心を解きほぐして、女の快感を味合わせてあげることが、女装子愛好男子の務めでございましょう。
まあ、私はホテルのツインルームでの密室プレイも好きですが....。
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昭和末期の女装バーで②

2024年01月22日 | ★女装体験記
おはようございます。
昨日の冷雨とちがって、今日は天気がよさそうですね。
さて続きです。

そして次には直接の行為だが、二重 三重に防護された障壁をとり除くのは ひと苦労。
無理して強引に手を突っこんでもダメ。ちょっと腰を浮かせて パンストごとズリ下げるか。
一番良いのは後へ手を廻して尻の方からバンストごと下げて、それから前の方へ手を入れる方法だ。

この段階になると、彼女等のものも相当の硬度をきたし、長い時間キュークツな場所に収められていた反動か、勢いよく飛び出してくる。
ヂットリと汗をかき、中には先端から粘液をにじみ出させてる人もいる。
こうして、ずいぶん多くの彼女達のものを手にした が、面白いことに意外に巨根の持ち主が多い、しかし反面、小さなまるで小児のような人もいれば、完全な包茎の人もいる。

皆、当然興奮して、私の手の動きに応じて巨根はますます巨大に隆々となり、スカートに天幕を張るようになる。
あわててハンドバックなどを膝の上に 乗せてカムフラージュしようとするが 間に合わない。
けれども、まわりのどのカップルも似たようなことをしているので、今度は安心してこちらのなすがままにまかせる。
そして今にもイキそうになるのを必死にこらえ、肌に喜悦の表情を浮かべて、時々ピクピクッと 上体を震わせる。
この時の表情と仕草は何とも云えない。私の遊びの最大の楽しみはここである。
  出所 くいーん 44号



>そして今にもイキそうになるのを必死にこらえ、肌に喜悦の表情を浮かべて、時々ピクピクッと 上体を震わせる。
この時の表情と仕草は何とも云えない。私の遊びの最大の楽しみはここである。

ここですよ、ここ
ここが女装子愛好男子の醍醐味です!!
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昭和末期の女装バーで①

2024年01月20日 | ★女装体験記
おはようございます。
曇天ですね。
降雪は回避されたようですが、明日は大雨のようです。
まあ、こんな日はネットサーフィンしてみてください。

国立国会図書館でコピーしてきた『くぃーん』誌をよんでいると、私と同じく女装子愛好男子O氏の投稿を見つけました。
掲載されたの1987年つまり昭和62年10月号。
バブル経済真っ盛り、そしてこの1年3か月後に昭和が終わります。
ネットも携帯もない時代のことです。

女装者の集るバーで①

 新宿に’J’という女装者がよく集る小さな小さなスタンドバーがある。7、 8人も入れば満員になる店で、夜の十 時頃にもなると、ほとんどいっぱいに なる。客は女装者と男性が半々ぐらいだが、その男性連も、かつては女装経験があるか、よく女装して来るが、その日たまたま男装できたという人で、全員が女装愛好者と言っていいだろう。そのせいか、ほとんど常連で顔なじみも多く、いつも賑やかなムードである。

 私もかつての——組であるが、時々いっては彼女らと楽しいひとときをすごしている。同じ女装者でも、メイク や服装によって、日毎夜毎にガラリと 雰囲気が違うのが面白い。中でも女装経験の浅い人や、その日初めて女装してこの店に来た人などに巡り合うと、 私は無上に嬉しくなってしまう。

 緊張してコチコチになっているウブな女装者に対し、完全な女として接す あと、こちらもすごく感激し興奮してくる。私が彼女達を上手にリードして、女装の醍醐味をしらしめてやるのも楽しみの一つだ。彼女達の職業は、私が接した範囲ではコンピューター関係のエンジニアやイラストレーター、ライターそれに教師や公務員が多く、年齢も30代から40代の人が主で、会社の管理職クラスの人も相当居る。

 狭いカウンターの中では、肩が触れ んばかりにして、色々と話をする。彼女らは余りしゃべりたがらず「ええ」 とか「そう」の簡単な返事だけで、やたらにアルコールや煙草を口にする。 当方が煙草をつまむとすぐにライターで火をつけてくれたり、サービスも良い。しゃべらないのは自分の声色を聞かれたくないのと、とっさに女言葉が出てこないせいであろうか。顔もほとんど正面を向いたままである。

 テーブルの上のクィーンやSM雑誌 などをパラパラめくりながら話してるうちに、私の手はどうしても女装者の腿に行ってしまう。最初はスカートの上から、ついでその下に入って靴下の上から太腿をゆっくりとなで、次に要点に及ぶ。拒否する人はまずいない。 ベテランになると靴下をガーターで吊り、その上からショーツをはいているが、多くはパンストをはき、その下にピッチリしたビキニのショーツをはいている。又、その上からガードルをはいて締めつけてる人もいる。そして男性自身はボールを下向きにして、股間に挟んで小さく収められてる場合が多い。それでもモッコリとした上から軽くもむと、ムクムクと膨張してくるのがわかる。(続く)


O氏は私の大先輩ですね。
同じプロセスを踏襲させていただいています。

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和服で初詣③

2024年01月05日 | ★女装体験記
和服美女の久美子さんは、参拝を終えると露店を冷かします。
店主とのやりとりにも余裕が感じられます。
しかし、帰路に知り合いのお寿司屋さんとすれ違うことになってしまいます。
果たして、リードか?パスか?

 その代り自宅近くで、知っている人に出逢ってしまった。稀に行く駅前の すし屋のマスターが、矢張り三人連れ でこちらへ向かって来たのである。生憎脇道がないので逃げるわけにいかず、 仕方なく伏し目がちに擦れ違った。
 マスターの連れが 「凄い美人だ!どこの女だろう?」 「ほんと、本格的な支度だね」
 そんな会話をしながら、三人の目が 一斉にこちらに注がれた。気のせいか すし屋のマスターの目が、何かを言い たげに瞬いた。まさか?とは思った が、それは私の取り越し苦労らしかっ た。後日そのすし屋に行った時、格別 それらしい問い掛けがなかったからである。

 こうして何とか自宅に着いた私 は、寒さなんか何処へやらで、只ぐったり神経が擦り減っていた。取りあえず二階の化粧室に入り、三面鏡のス ツールにかけて鏡に映る自分を見た。 真白に塗り上げた顔や襟は、絖を湛えた青磁器のようにしっとりとし、メイクアップした眼や唇なども出掛ける時のままの美しさである。

 着物の方も、帯揚げが少し乱れお太 思う程度で、鼓が一寸下がったかな? 衿元や着付けも確かりしていたし、高島田も沢山の髪飾りも異常なかった。

「くみ子! とうとうやったね…………大成功だよ」
私は鏡の中の美女に賛辞を送った。
「有難う、最初はどうなるかと心配したわよ。でもあなたのお陰で成功する ことが出来たのよ。もう一度言うわね、 本当に有難うございました」

その夜、私はそのまま帯ひとつ緩めずず、盛装した女装姿を写真を撮ったり、狭い庭から初日の出を拝んだりした。そして女として冒険に成功した一里塚を心に刻む為に…………そして今後より女らしく美しい女装に励みをつける為に、お屠蘇で乾杯をした。

>そして女として冒険に成功した一里塚を心に刻む為に…………
女装子さんにとって外出は冒険です。
そして和服を着て混雑する神社に初もうでに出かけることはさらに大冒険です。
久美子さんはこれをサポート役の男性をおかずに行ったのですから、これは大大冒険です。

久美子さんの手記は昭和50年頃です。
このころは、お正月に晴れ着を着た女性を初詣や神社でもよく見かけたものです。
しかし、令和の現在、お正月ですが晴れ着の女性をみることはとんとなくなりましたね。
時代が変わっているのですね。


文章と画像の出所『別冊くぃーん7号』 1987年10月


追記です。
Xで着物だいすきのめいさんも初詣されていました。
https://x.com/metarion1/status/1742662692559822899?s=20
Xでは令和の着物女装子さんが活躍されています。
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和服で初詣②

2024年01月04日 | ★女装体験記
承前です。
和服美女の久美子さん、不良3人組も軽いなして、さあ神社に参拝です。
出所は『別冊くいーん 7号(1987年10月)』「女装告白手記~25人の体験実話」です。


 そんなワルを後ろに聞きながら神社へと急いだ。神社の近くになると、もう、人人が密集して、川の流れ に乗った様に参道から境内へと暖い込 まれていく。当然私もその中に入って 歩いたが、予想通り格別に扱われることなく、無事に拝殿前に進む事が出来た。勿論私の周囲にいた人を擦れ違う人々は一様に驚いた表情で、私の濃い化粧の顔や今時珍しい高島田に結った髪や派手な着物に見とれて立ち止まって見る人々の中で、わざわざ振り返ってじっと見詰めていた中年の女の視線が気になった。案の定連れの男性に何事か囁いていた。

 その時の様子と女の眼差しから推測すると、私の正体を知ったらしく 「……あの人オカマよ。絶対そうよ」とでも言っているらしかった。
(いいのよ。何とでも仰言いな。本当なんだから口惜しかったらご自分 もお洒落してみたら・・・どっちが綺麗か競争しましょうよ。悪いけど男の私の方が勝ちに決まってるワヨ)
 そんな台詞を胸の中で呟いて、意地悪な女から受けるプレッシャーを防ぐしかなかった。

 拝殿前の人混みの頭越しにお賽銭を投げ、両手を合わせて 「帰り途の無事ともっと美しい女が 出来ます様に」と祈った。
 帰路「女装参指 の記念に」何か購おうと思い、立ち並ぶ売店の一つに立ち寄った。電球が晃々と照らしている店先に立つのは、正体が暴る怖れが充分にあったが、その時はその時と開き直っ て、スーッと近づくと印半纏もイナセな兄ちゃんが元気な声をかけた。 「へい、らっしゃーい、お嬢さん綺麗 ですねー、一つ如何ですか? この獅子はとっても縁起がいいんだよ。この大きな口で彼氏のムスコを噛むと、後が良くなるよー。そりゃ冗談だけどウハハハ」

  私もつられて微笑みながら低い声で
「その小さいの敷くワ。お幾ら?」
「これは三千だけど、お嬢さんがあんまり綺麗だから二千に負けちゃうよ」
「悪いワネ……………じゃあこれ」
 私はピンクにマニキュアした指で、 千円札二枚を差しだした。
 彼は獅子頭を包みながら言った。「わたしゃ吃驚しましたよ、お嬢さん あんまり綺麗なんでね。それにしても 近頃の女は駄目になったね。ジーパン かミニスカートばかりはいて······あっ どうもお待ちどう様でした」
 お世辞半分であっても、彼は私を再三「綺麗だ、綺麗だ」と言ってくれたの で美しい女として認められた満足感が胸一杯に広がり、やや自信めいたものを感じた。 帰り道に例の三人の若者がいるといやだなと心配したが、幸い何処かへ行ったらしく居なかった。
 以下、続きます。


>わたしゃ吃驚しましたよ、お嬢さん あんまり綺麗なんでね。
テキヤのお兄さんも気づいていたと思いますよ。
でも、それをいっちゃあお仕舞いです。
テキヤさんはお客様をいい気持ちにしてなんぼ。
世辞のひとつも女装子さんにもかけますわな。
そういうときは、久美子さんのように有難く受け止めればいいんです、


文章と画像の出所『別冊くぃーん7号』 1987年10月

怖かったでしょうけど、「マブイ」と言われたのだから、オンナとして彼らに認識されていたんですよ.....。
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和服で初詣①

2024年01月03日 | ★女装体験記
さすがに本日は大事件はなかったですね。
元日、2日と親戚回りをしており、地元神社には本日初詣をいたしました。
コロナが明けたこともあり、ここ数年で一番の人出でした。
こうしたなか、『別冊くいーん 7号(1987年10月)』「女装告白手記~25人の体験実話」では、和装美女の久美子さんが素敵なお着物を着て、初詣した体験記が掲載されています。

着物に見せられた久美子さん、B面の姿で呉服店を訪問。架空の美女を作ってその子に着物をプレゼントするという設定で
初詣用の留めそでを作りました。
そして大晦日。後半歌合戦もうわの空で和服女装に取り組みます。

『和装美女の冒険』        久美子

 鏡の前に立って見ると、自分でも奮いつきたくなる様な美女が映っている。簪を差し変えたり、パフで白粉を叩き、紅筆で口紅のラインを修整したりしながら殆ど自己陶酔に陥っていた。気を取り直し、今度は着物の気付けを点検する。半襟の出方、抜き衣紋、帯揚げの左右バランスや帯〆め の歪み、お端折りの皺と下線を揃え ・・・・・・お太鼓の形や曲がりを直し、垂れの出具合を調整する。より美しくより 完ぺきなオンナになりたいと思ってす るこの様な仕草そのものに、女装の悦びが倍加するのである。

 化粧部屋になっている二階の座敷を 出て階段を降りるのも、いつもと違っ てトントントンとは行かない。着物の 裾が足にまつわるので自然と内股にな る。簪がキラキラ眼前にちらつくので 『ああ私は日本髪を結っているんだ』という喜びを実感出来る。
 銀箔の草履に白足袋の足を入れる頃 になって、急にガタガタと震えがきた。
 元旦の午前二時半、気温は多分零度 以下になっているだろう。凍てつくよ うな冷気が、厚く塗った白粉を透して肌をチクチクと差す。

 しかしこの震えは強ち寒さだけで はない。自分がこれからやろうとして いる冒険があまり世間に受け入れられるものでなく、寧ろそれと知られた場 合、嘲笑と蔑みの標的になるのは 明らかである。そんな事態になるかも 知れない危惧と恐怖がこの震えの原因である。
 しかし尚ガタガタ震えながらも決心を変えず玄関のドアを開けて表に出た。
 辺りは森閑として静まりかえり、近所の人の気配もない。遙か二、三百 メートルの先に人の影が見えるだけで ある。もう行くしかなかった。
 履き慣れない銀箔の草履を小幅に進めながら出来るだけ急いだ。着物の赤い蹴出しがハタハタと翻り深夜の街路燈に嬌めいて見える。
 さっき見えていた人は三人の若者で、 バイクを寄せて大声で話をしていた。 多分これから何処かへ遠乗りでもする 相談をしているらしかった。私が近づ くと一人が叫んだ。

「ヒエーッ! マブイーじゃん・・・・・・ちょっと彼女! 何処へ行くの? こん な夜更けに独りじゃ危ないよ」
「すげえー! こんな恰好してるのオ レ初めて見たよ。まるで花嫁みたいだ」「写真撮ってやるからちょっと寄って いきなよ。ネッ、いいだろう?」
私は三人の方へ軽く会釈して黙って 通り過ぎていった。
「チェッ、透かしてやがるのり お待ちしてるワヨ一」
以下、続きます。


怖かったでしょうけど、「マブイ」と言われたのだから、オンナとして彼らに認識されていたんですよ.....。


文章と画像の出所『別冊くぃーん7号』 1987年10月
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1973年の女装子&愛好男性のクリスマスパーティー

2023年12月26日 | ★女装体験記
おはようございます。
小川麻美さんの外出記はいかかでしたでしょうか。

すみれさん、お元気になられたことでしょう。
同じく国立国会図書館から研究資料としてコピーしてきた『風俗奇譚』に、その夢野スミレさんがクリスマスパーティの模様をレポートしています。
いまから50年前のクリスマスイブに富貴クラブで開かれたパーティです。

パーティーより愛をこめて 夢野スミレ  風俗奇譚 1974年4月号

 ●Xマスパーティーより
 あたしのことを見つめてくれるかたがいるかいないか。だって、こんな大ぜいのかたがただもん、おひとりぐらいは……。そのために今日は、初めてのロング・ドレスよ。(美樹のミニはまた短くなったけど)

 それにクラブのおじ様がたはみんな気前のいいかたばかりで感激。30センチもあるXマス・ケーキや、シャンパン、ワイン、アイスクリーム。そんなさし入れで長いテーブルの上はいっぱい。大人のムードで今夜はと思ってたのに、もうダメ。バイキング料理が出たら、麻美や美樹につられて乙女のわきまえも忘れちやったの。陽気なジングル・ベルもいけないのかもね。

 お食事が一段落ついて、皆さん、さすがにその気勢にうたれたのか、知らないまに消えてしまうの。アレレと思ったら奥のお部屋のここかしこ。クリスマス・サービスかしら。゛
 暗くなったお部屋のすみずみにキャンドルがともって、いつのまにかできたカップルがひっそり。クリスマスは本来、静かなものですものネ。

 でも、中には、フッと灯を消して何やら、ホワイトではなくてピンク・クリスマスだわ。でも、このほうがいいの。皆さんがそうなら、あたしだってはばかりなく……だもの。

 夜もふけて、皆さんが帰ってしまうと、残った私たちはトランプでまたわいわい。でも、ひょっとみると、カーテンでかこまれたソファーに一人、悦子がキャンドル見つめてぼんやり。何を考えてるのかしら。
でも、それもいいわ。私たちだって、するのはエッチなことばかりじゃありませんものネ。
                                   73・12・24(クリスマス・イブ)


夢野スミレさんです↓↓↓↓



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