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女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

『めくれる不安と期待のプリーツスカート』あとがき

2025年08月29日 | ★女装体験記
高円寺の古着屋でプリーツスカートを手に入れたさゆりさんは、あずさ11号に乗車します。
夜の特急列車のトイレ個室というのは妙に性欲を掻き立てますよね。
その中でさゆりさんは我慢しきれずプリーツスカートを穿き、そして我慢しきれず自慰行為をしてしまいます。
じつはこの『ひまわり』の投稿記事には、そのシーンのイラストがあります。そして〇器の部分が薄ケシです。インパクトのあるイラストでしたが、さすがにこのブログにはアップできません。
ご容赦ください。


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『めくれる不安と期待のプリーツスカート』④

2025年08月27日 | ★女装体験記


 肌にぴったりフィットする感じで腰の部分はさらにキュッとしまっている、男の服では絶対に味わえない着心地にワクワクしながらスカートを取り出し、揺れる列車に悪戦苦闘しながら足を通し、ボタンを止めジッパーを上げました。
 あつらえたかのように腰にぴったりとフィットし、感動にうふるえてきました。耳には自分の心臓の音が聞こえてくるようでした。「ああ……その感触……何度味わっても新鮮でたまらない……」プリーツが深く足にまとわりつく感じ、普通に立っているときは黄色のミニプリーツ、歩いているときは白とグリーンの部分がチラチラ見える色違いのひだををうっとり眺める。腰をふりふりしたり、くるくる回ったりして傘のようにかわいらしく広がる様子をうっとり眺める。肩と腕まわりと胸、そして腰はピタッと肌にフィットしているのに下半身だけはパンツを履いている感覚だけ。ふとももに衣がすりすりとこすれるだけであとは何もない。

 ムダに多いプリーツの量、いったい何の目的でこのスカートをデザインしたのか。足にまとわりつく感触のためか、それとも歩くたびに絶え間なく揺れるひだを表現したかったのか。
 こんなめくれやすいスカートをはくときの女の子の気持ちって……めくれるためのスカート……なんていやらしい。……なんだろう……何てHなんだろう……
 頭の中はもうパニック状態でした。自分でも気づかないうちにパンツをおろし、オナニーを始めてしまいました。「ああ〜女の子っていい!スカートっていい!人前でこのHなスカートをはきたい!パンツ見せたい!ああ……スカートスカート、スカート、スカート……ああ〜いく〜!」あと少しでイッてしまいそうだったそのとき、突然ノックの音がしました。「ああ……もう少しでイクところだったのに……」

 せっかくのスカートタイムをぶち壊された私は頭の中を切り替えて、おちついてノックを返し、音を立てないように静かに着替えてトイレの水を流し、深呼吸をして顔のほてりがないかを確認して何食わぬ顔でドアを開けました。
 そこには25歳くらいのスリムパンツ姿の女性が立っていました。「ちくしょう、じゃましやがって。スカートをはける立場のくせにどうしてはかないんだ。ズボンをはくならこの体と取り換えてくれ!」その後、松本から「しなの」、長野から「あさま」と乗りついで高崎へ帰宅。かなり遠回りでしたが思い出に残る一日でした。

出所 「ひまわり」 1998年8月号

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『めくれる不安と期待のプリーツスカート』③

2025年08月26日 | ★女装体験記


 スカートマニアと同時に鉄道マニアでもある私は、東急大岡山駅、二子玉川駅の改良工事や小田急線の高架複々線工事の近況などを見て回ったあと、新宿駅南口の高島屋タイムズスクエアに行き、あまりの大きさに圧倒されながら結局、何も買えず、駅に戻りました。
 この後高崎線で群馬に帰ろうと思っていたのですが、突然「あずさ」に乗ってみようと思い、駅弁と指定席を買ってワクワクしながらスーパーあずさ1号に乗りました。列車で八王子から西に行ったことがなかったのと、山名トモコさんの見ている塩山市の夜景を見たかったのと、特急「しなの」、長野発の新幹線「あさま」に乗ってみたかったなど、いろいろな理由があったからです。(私は予定を突然変えることがよくあるのです。)
 夕方で帰宅ラッシュ、しかもトラブル続きの中央線に不安はありましたが、トラブルもまたいい思い出になるものです。(毎日通勤している人にはたまらないでしょうが……)運良く進行方向左側の席だったので夜景を見るには最高の位置でした。
 列車が動き始めたとき、私の頭の中には「あずさ2号」の歌が流れていました。弁当を食べてしばらくすると塩山の街が見えてきました。しかし時期的に6時過ぎではとても明るく、夜景というには程遠い状況でとても残念でした。もし夜だったらたぶんすばらしい夜景であることは間違いないと思いました。

 小淵沢を過ぎて乗客も少なくなったころ、トイレに行ってみると、とても驚きました。中はとっても広く、しかも押しボタン式の自動ドアでとてもきれいでした。車いす対応だからでしょうか、それにしてもB寝台個室くらいの広さがありました。さすが新型車両、廃止になった在来線あさまとはケタが違う。用を足して席に戻った私は突然思い立ちました。「あのトイレなら大丈夫だ。乗客も減ったし、サイズが合うかどうか心配だったし、何よりも早くこのスカートをはいてみたい!」さっき買ったセーターとスカートをトイレに持って行き、カギをちゃんとかけてドキドキしながらズボンと上衣を脱ぎました。それをドアの上の取っ手に引っかけて、袋からサマーセーターを取り出して袖を通すと、改めて女性の服のすばらしさに感激しました。

出所 「ひまわり」 1998年8月号

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『めくれる不安と期待のプリーツスカート』②

2025年08月25日 | ★女装体験記

 よく見ると折り目の部分が色違いで白と緑が互い違いにならんでいるいかにも「チアガールのための見せるスカート」でした。それをはいた自分を想像した瞬間、ついその場で勃起してしまいました。「ああ、はきたい……これをはいて激しく身体を揺らして足を上げてくるくる回って……ああ、どんなに楽しいだろう……」チアリーディングで女の子たちが恥ずかし気もなくパンツ丸出しで元気に踊っている姿を想像して1人で興奮していると、2人の店員がひそひそ話しを始めていることに気づきました。
 しかも何時の間にか客は私1人。「まずい!」と思ったときはもう手遅れ。喋っては薄笑い、また喋ってはクスクス笑い。もし店員が1人だったらこんなことはないのでしょうが、女が2人、3人と集まれば怖いものなしです。いつしか勃起したものも小さく縮んでしまいました。
 「ここでこのまま店を出て行ったのでは、ただ恥をかいただけで何の得もないぞ。恥かきついでだ。早く女子高生などが来ないうちにさっさと買ってしまおう」と自分に言い聞かせながら、そのスカートに合う上着を探しました。

 感じのいいウェストが細くなっている半袖のサマーセーターを見つけた私は、意を決して黄色のプリーツスカートと一緒にレジに持っていきました。2人の店員はひそひそ話しをやめ、いかにも感情を隠して無表情を取り繕った顔をしました。心臓はバクハツ状態でしたが、同時にそのとき開き直っていました。「そうだよ。これは私が着るんだ。何が悪い。ちゃんとお金を払うんだ。お前たちと私とは生きる世界が違うんだ。もう一生会うことはないだろう。笑え笑え。」

 スカートが3900円。サマーセーターが1900円(安かった)。私は1万円を出し、おつりをもらって何食わぬ顔で店から出ました。店を出るとき2人の店員は「ありがとうございました」と言ったあと何も喋りませんでした。2人はその後どんな話題で盛り上がったのか……でも、どうせあの2人はバイトだから1か月もすればすぐ店をやめるだろう。秋頃になったらまた行ってみよう……などと考えながら、他の店にも数軒入ってみました。同じような緊張感を何度も味わいながら結局買ったのはそのチアスカートとサマーセーターだけでした。
出所 「ひまわり」 1998年8月号

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『めくれる不安と期待のプリーツスカート』①

2025年08月24日 | ★女装体験記
今回も「ひまわり」の女装体験記をご紹介します。
群馬県に住むさゆりさんは女装して美術館巡りを楽しんでいます。
そんな日々において、「今まで着たことのないスカートを買おう」と東京に出かけることにしました。
女装子さんがB面で女性の洋服を買うことはかなりのご苦労があります。
そんなドキドキをストレートに語っている体験記です。


『めくれる不安と期待のプリーツスカート』
 長野の美ヶ原高原美術館や静岡のベルナール・ビュフェ美術館などの美しい景観の中、あらゆる美術館スペースに人前でキルトスカートをなびかせることができ、毎日がとても充実しています。日曜日の朝にやっている美術関係の番組をビデオに録画して展覧会情報をノートにまとめて行くことができる美術館をチェックするのがとても楽しみなのですが、月曜日休の私には行くことができない所がまだたくさんあります。ちょうどその日も行ける所がなかったので、「今まで着たことのないタイプのスカートを買おう」と東京に行くことに決めました。

 「ひまわり33号」を買うついでに古着屋めぐりをするために代官山や下北沢、高円寺などでスカート探しを始めました。
 いいデザインなのにサイズが合わない、サイズは合うのに色・柄が気に入らないなどいろいろありますが、さまざまなお店を見て回るのはとても楽しいものです。女性の買い物時間が長いのがとてもよく理解できます。

 華やかな色、凝ったデザイン、男の服には絶対にないフリルやプリーツなど、見ているだけでもワクワクしてしまいます。それに引き換え男の服のつまらなさと言ったら……。楽しいことばかりでもありません。
 いい雰囲気の店に入っても、私が欲しいと思った服の前には女子高生などがいると男物のコーナーで待っていなければならないのです。「早く行ってくれ、こんな男の服なんか欲しくないんだ。」
 お前たちが見ているそのスカートが欲しいんだ、早くこの店から出て行ってくれ!」と心の中で叫んでしまいます。そんなときに限って「何をお捜しですか」と店員から言われたりするものです。「いや、見ているだけですから……」と、仕方なくその店から出て行かなければならないのです。一度声をかけられると欲しくもない服の説明をしつこく受けてしまい、断れなくなってしまうからです。そしてやっとの思いで気に入ったスカートを見つけることができました。

 高円寺駅から南へ、アーケード商店街の中を5分ほど歩いてアーケードがなくなり、すぐ右側に小さならせん階段があり、そこを登って2階の狭いスペースに少し汚らしい古着屋を見つけました。ウェスタン風の服や小物がある以外は何の特徴もない、どこにでもあるような古着屋でした。しかも店員は女性2人。レジに行くときにはかなりの度胸が必要な最悪なパターンでした。ペチャクチャ喋っている店員の側を通り過ぎ、ジーンズなどを眺めるふりをして、スカートのある場所を横目で確認して少しずつそこに近づいていきました。

 何度経験しても緊張する瞬間です。ここでスカートを手にすることもできずに店を出るケースが今まで何度あったことか……。「店員は2人とも私のことなんか眼中にない様子でお喋りを続けている。しかし、他に客は男1人。今しかない!」私は思い切ってスカートコーナーに行き、手に取ってサイズや形、スカート丈や色などチェックしていると、地味な色のスカートの中にまぎれて黄色いチアガール風のミニプリーツスカートが目に止まり、急に心臓の鼓動が高鳴り始めました。
出所 「ひまわり」 1998年8月号


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『憧れの晴れ着を着る』⑨

2025年08月18日 | ★女装体験記


「そうですよね。着物を成人式に初めて着る人の方が多いですよね。」
 それから自分の気を鎮めるために話を続けたが、我慢も限界が来た。脈は一向に鎮まらず反って増す感じがして、このままでは心臓に負担がかかり、最悪にショック死してしまいそうな変な気が起こって居たたまらなく、音をあげて降参してしまった。

「先生、もう駄目です。脱ぎます。」
「えっ、もう脱ぐの。勿体ないこと。我慢できませんか。パーマをかけ終わってからお母様と町を歩かれたらいいのに。」
「いいえ、とんでもありません。こんないい年をして歩けませんよ。」

 そんな大層なことはちっとも考えたことはなかったので驚いた。母もとんでもないという顔をしている。
「そんなことはありませんよ。どこのお嬢様が結婚式にでもお呼ばれされたのかしらとか思うわよ。」
そうだろうか。お嬢様なんてこのいい年をした中年のおじさんを、その様に見えるものであろうか。いや、これは外交辞令だ。俗に言うお世辞だ。
「もう駄目。」
「そうですか。それは仕方がないですね。一人で脱げますか。」
と言われてもどのように脱いだらいいのか皆目分からない。

 帯締めだけその場で取ったが、帯を解く方法が分からない。Kさんは簡単に脱げますよというが、まごつく自分を見てか、再び着付けをした部屋に案内されて、そこでいとも簡単に一、二分で脱ぎ終わった。自分の長い間の夢、願望であった晴れ着の装いはこれで終わった。振り袖を着た時間はたったの一時間と十五分であった。

(余談)着せられる喜びもいいけれど、自分で今度身につけたいと思う。着付けたいと考えている。それには基本的な着付けを本格的に習いたいと思う。そうすればいつでも着られるし、また人にお仲間の人に着せてあげられるからだ。まだ、実行するには少し時間がかかるが、来年中には習得したいと燃えている。
(完)

出所『ひまわり』 1997年1月号


かなり長い引用になりましたが、いかがでしたでしょうか。
著者は薫さんという女装愛好者でカミングアウトしていたようですね。
晴れ着のあこがれと実際に着てみての現実、これこれが手に取るようにわかります。
私は女装ルポルタージュとしての、薫さんの体験記を評価したいですね。
コメント (5)
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『憧れの晴れ着を着る』⑧

2025年08月17日 | ★女装体験記


「どうしました。気分でも悪くなりましたか。」
 と、Kさんは自分でも分かるほどに蒼白した顔に気がついて声をかけて来た。
「いえ、ちょっと。」
 ソファに背を伸ばし軽く腰掛けて行儀よく座っていたのであるが、思わず立ち上がって否定した。
「気分が悪かったらいつでも声をかけてくださいね。」
「は、はい。まだ、大丈夫です。」
「そうよね。すぐに脱いだら勿体ないものね。高いお金を出して着られたのですからね。どう、振り袖を着た気分は。」
 母の頭にロットを巻きながらKさんは微笑みながら話しかける。
「ええ、何とも言えない気持ちです。でも、こんなに胸を腹を食い込むまで締め付けられるとは夢にも思ってもいませんでした。」
「だから前々から言いましたでしょう。中には失神する人がいると。今の娘さんは着物を着慣れていないから余計なんでしょうが。」

 そうKさんは言うが、確かに現代の洋服は一部の下着を除けば体をいじめる、締め付けるものはないと言ってもいいぐらいに、簡単に着られ、体に優しく、着心地がいい。それどころか自分のサイズ以上に大きめのたっぷりとしたものを着ているぐらいだ。体のことを思えば健康的に言えば過度の締め付けはよくない。だからと言って着物が体に健康によくない服装とは言えない。逆にある程度の締め付けは体にいい場合があるのだ。

 振り袖を着てみて初めて感じたことであるが、着慣れてしまえば洋服よりも和服の方が健康的に思えてならない。それは和服は現代社会に適応しない一面がある。男性的な行動を要する現代社会に活躍する女性にとって着付けに時間がかかり、頭はきちんとまるめて結わなくては様にならないし、メイクもそれなりに工夫が必要だし、着物の収納やたたみ方などにより丁寧さを要求されるし、決定的なのは行動的な服装ではない点と小物類を含めて価格が高い点に集約される。
 だからと言って着物は現代社会にそぐわない服なのであろうか。それは違うと思う。現代のような社会風潮(個性重視)とマクロ的な視野(多角的)が要求される時代であればこそ、日本の美術工芸の中でも一際高度な技術と年期を必要とされる着物が輝きを放ち、日本の文化を代表とする物を着込んだ誇りを唯一自覚できるものであり、その伝統文化を再確認しつつ後世に伝え残す一員とならなければいけないのだ。

 冠婚葬祭だけの着物であってはならない。日常生活においても普段着を着るようにもっと着物を着るべきものなのだ。ある程度の締め付けは身のためであると言うのは、身体的な側面よりも精神的な側面の方が高い性質が着物にはあると思う。帯を巻き締めた着心地は到底洋服では味わうことができない感触がある。
 それはどんな精神的な効果があるのかと言えば、気持ちの張りが出てくるというのか、精神が魂がしゃっきとするのだ。帯を締めるということは気を締めるという効果を生むようだ。また、着物を着たとたんに身なりの動作が、自然に美しい立ち振る舞いになること。それも高級なドレスを着た時同様、いや、それとは一味違う優雅な女らしい仕草となること。言葉遣いもよりしおらしくなること。これこそ日本女性の究極的な美の世界ではないか。いや、世界に民族衣装が数多くある中で、着物ほど繊細で優雅で気品のある衣装はないのではないか。見た目の美しさもそうだが、見えないところにも数多くの美が芸があるのは着物ぐらいではないか。話がまた脱線してしまった。

出所『ひまわり』 1997年1月号

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『憧れの晴れ着を着る』⑦

2025年08月16日 | ★女装体験記


 ようやく着付けがすべて終わった。そして完全なる振り袖を着て、また晴れ着を着た女の一人となった。その実感は何とも言えぬ複雑怪奇な心境なのだ。Uさんが草履を用意してくれた。
「はい。草履を履いて歩いて見て下さい。歩くときはこのように、内股で歩くと歩きやすいですよ。」
 草履を履くのはもちろん男として生まれて初めてのことである。完全武装?したような振り袖を着ての歩行は難しかった。始めはぎこちなくよちよち歩きの何とも情けない歩き方をした。ズボンのようにスカートのように思うようにちっとも歩けないのだ。Uさんが仕草をして教えてくれても、その内股で歩いたことがないから、不格好なそれは変な歩き方をして美容室に戻り、全体像を映せる鏡の前に立つ。

「どうですか。自分の姿は。」
「えっ、ええ。」
「とてもきれいですよ。」
「そうですか。」
 この鏡の前に映し出された姿が、自分なのかと思うと何だか自分ではない自分を見ているようで、自分自身うっとり?してしまった。まんざらでもない。ただ首から上、顔がなければ、見なければ、それはそれは美しい一人の成人の女性姿そのままである。

 美容院の外に出て記念の写真を撮る。K先生は色々な角度から、色々な振る舞い方を指導して頂き写真を撮ってもらう。
「お母さんと一緒の写真も撮りましょうよ。」
  と、Uさんが言う。ためらう母も仕方がなく、今は娘?になった自分と並んで写真を撮ってもらった。次に美容室の中では座った姿をフィルムがなくなるまで撮ってもらった。

「これショールとバッグもあるから、手に持ったところも撮ったら。」
と、Kさんは白いショールと緑色のバッグの持ち方や被り方をあれこれと教えてくれた。これで一通りの記念撮影は終了した。あとは、どのくらい自分がこの振り袖を着ていられるか、の問題に移った。
 母がK先生にパーマをかけてもらう間、お昼まで振り袖を着ていようと決心して臨んだのである。が、写真を撮ってからあまりの緊張からか、いや、緊張感からホッと気が抜けてか、にわかに息苦しくなってきたのだ。

 脈を測ると百を超えていた。そのぐらいならまあ、ちょっと運動すれば脈拍は速くなる。心配する程ではないが、測れば測る程に百が百十、百二十、百三十と増えてくるではないか。どうした。どうなっているのだ。落ち着け、落ち着くのだと、自分に言い聞かせるのであるが脈拍は段々と増してくる。運動した時や風呂に入っての脈拍の速さとは質の違う、変な気持ちがする顕脈なのだ。気が弱い方だから、このまま増え続けてしまったら心臓麻痺を起こして死んでしまうのではないか、とか悪いことばかりが頭をよぎる。そう思うと余計に人は気というものに支配されて、振り回されて悪化の一途を辿ってしまうのである。病は気からとよく言うが本当である。

出所『ひまわり』 1997年1月号

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『憧れの晴れ着を着る』⑥

2025年08月14日 | ★女装体験記


 願望の女になれた人の話を聞いたことがある。その人は、その人に限らないが多くの人のほとんどが心身に影響を受けるそうだ。身体的に言えば性転換をするのだ。体の一部を取ったり入れたりする。当然あるがままの、生まれ持った体ではないから、体が拒否反応を起こすという。手術するのだから結果は功しても後に後遺症が出るという。おっぱいもなかった時代に比べてやっかいさが生じる。不自然な膨らみ故に起こる痛みや不快感は、バストを得た一時の喜びでは代えられない苦しみの後遺症に悩まされるという。

 女性として最も大切な所を作ったものも同様だ。男性とセックスが出来る喜びよりも、快感よりもその後の保有に対する代償は、自分に大きく跳ね返って肉体的な苦労が発生する。手術した所のあらゆる場所から生じる不自然さ故の代償をそれなりに一生を賭けて払うのだ。

 そこまで女になりたい男の心理は救い難いものがある。結局女になったのはいいがすべての者が幸せになっていないという。つまり精神的な悪い影響が発作的に不定期ながら生じるというのだ。
 女になったことで得ることの幸せや喜びよりも、女になって失ったものが多いというのである。男を捨て去ったこと。社会生活を失ったこと。この二つの喪失はどんなにお金をかけようが、誠意を尽くそうが、何をしても代えられないものであることに気づいた、後悔したというのである。女になって知った女の実態と生き様に失望するという。
 
 それは山を登り切った山男の心理状態に少し似たところがある。頂点を登り切って満足するが、その充足感は一時であり、この先の目標がなくなった反動が大なり小なりやって来る。敢えて次の目標は何かと強いて挙げればそれは下山しかなく、登る時のような気力と体力が半分もなくなる。登る時は苦しいものであるが大きな夢がある分苦労は苦労でなくなり、かえって楽しい苦しさと化するのであるが、到達した後の心境にはそれがない。女になるまではそれなりに苦痛があるが、それは大きな目標がある分耐えることが出来る苦痛なのである。女になってしまった後は、目標が叶えられた幸せがあるが不幸も同居する諸刃の剣と言えるのだ。

 そう思う自分も年がもう15年前、いや10年前であったら女になってしまおうという気が起きたかもしれない。残念であるのか、これでいいのかは分からないが、人生には様々な変化と潮流があるもの。いたずらに逆らう事なくあるがままに、自然のままに対処し対応して生きていけばいいのだ。自分は自分なりに、人それぞれ個性があるのだから、個性を発揮して社会に溶け込めばいいのだ。話は脱線してしまった。

出所『ひまわり』 1997年1月号

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『憧れの晴れ着を着る』⑤

2025年08月13日 | ★女装体験記


 これでも手加減している方だと、Kさんが言うのだから間違いない。本当はもっときつく締められるのだ。そう考えると女の人は強いな、我慢強いなと、女性の強さに感心した。いや、女は偉いと尊敬もした。自分が思っている以上に身体を締めるのだ。男はだらしがないものだ。いや、だらしがないと思われたくはない。男の端くれとして女に負けるかと変な根性を出して我慢した。
 でも、本当に腹の臓物が出てしまうのではないかと、思うくらいにぎゅっぎゅっと締められる。帯板を入れたり、帯枕を入れたり、タオルも何枚か入れたり、それはもうこれでもかこれでもかと痛め付けられるほどに紐を結ぶ。晴れ着に使われる必要なものすべてが身体に付け加えられる。帯を締めたらもうこれで終わりかと、ホッとしたらとんでもない。まだ終わってはいない。
 次に帯上げがあった。それでようやく終わりかと思ったら、次に帯締めがあった。もうこれ以上締め付けられたら、写真を撮る前に失神でもしそうな感じであった。心臓の鼓動は段々と高まって来ている。もうすぐここで脱ぎたい、気持ちになってしまった。何でこんな体験をしなければならないのだ。憧れの振り袖とはこんなにも耐え忍ぶものなのか。高いお金をかけて着るのだから、もう二度とこんな機会はないかもしれないのだから、我慢しないでどうするのかと気を取り直す。

 母も傍らで見守ってくれているではないか。失神したらそれはそれだ。失神することよりもショック死でもしたらどうするのだ。こんな格好して死んだらこれは世間の笑い者だ、事件ものになってしまう。そんな変なことまで考えながらようやく、着付けが終わった。約30分と少しで終わった。もう少し丁寧に、いや、しっかりとやったら40分ぐらいはかかろうか。
 でもこの30分は長く感じた。こんなに長く感じたことはない。少しずつきれいになる様は自分でも分かる。きれいになると何だか本当の女性になったような、おかしな気持ちになった。身振りや言葉遣いなどの言動がどことなく女の心身となっているのだ。男でさえこのようになるのだから、本物の女性ならばもっとその気持ちが強いのに違いない。

 男が女になりたいと思う者の心境が理解できる。一生をきれいに華やかに過ごしたい気持ちが分かる。自分もこのまま女になってしまおうかとさえ思った。だが、女になったらつまらない。男だからいいのだ。単に女の端くれになったら他人は自分を一人の女性でしか見てくれない。このまま女へと進化した所でどのくらいきれいになれるのだ。もうすぐ40歳になるのだ。言動とかの精神的美人?になれても、身体的には例えばこれから性転換しても体形的に女のようになっても、自分が理想とする美人には到底なれない。

 それならば、男のままでいい。第一親から貰った身体を傷つけていいものだろうか。顔のほんの一部分程度を整形するのならば許せても、男の証しを奪い取り、女のものを体につけるのは自然の摂理に背くものだ。神様から頂いた、親から頂いたたった一つの自分の身体を変えるのはどう見ても、自然ではないし、天の法則に逆らうもので罪と言えまいか。男は男として、女は女として天寿を全うするまで生きるべきなのである。それが自然であるからだ。だがどうしても女のように生きたいと思うのならば、それなりの覚悟と自覚がいる。それなりに社会的な制裁を受ける。それなりに社会的な制約を受けるのを承知で生きるべきである。

出所『ひまわり』 1997年1月号

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