(ここで珠絵さん、登場。珠絵さんは四十四歳。妻子持ちで、子どもは中学生である。長いブランクがあったが、仕事が楽になったこともあって、ふたたび女装を始める。話は意外な方向へと進んだ)
--珠絵さんは家庭を持っていらっしゃるんですが、家族にばれそうになったことはないんですか?
珠絵 ありますよ。脚を剃ったりしたりしてチラッ、チラッと出てますからね。それがどの程度ばれているかは、分からないけど。
道子 他人は面白がるけど、身内は絶対ばれると駄目ですよ。自分の身にふりかかってくることだから。
--そうですね。「あそこのお父さん、女装者だよ」つて言われたら、家族はたまらない。
アキ そう言ってくれないからダメなんですよ。女装者じゃなくて、絶対、オカマだつて言われますよ。世の常識ある人は、そう言いますよ。
--ゲイの人たちのなかでは「カミング・アウト」つていう、自分がゲイだって名乗るのが盛んになってきています。大阪の高校の先生で、自分はゲイだって公言して、
生活してる人がいますが、女装者は公言できないんでしょうか?
道子 まったく属性が違うんですよ。ホモつてのは、男とも女とも違う第三の性なんです。直しようがない。だから、基本的に違う。あの人たちは、女装者なんかは気持ち悪いと思ってますよ。彼らは我々を軽蔑していますよ。
アキ あの人たちには、あの人たちなりのロジックがあるから、それでもって、自分たちを認める市民権を、となるわけだけど、私たちの存在とは違うからね。
道子 一般的にいうと、女装は趣味なんですよ。ゲイつてのは、完全に性的なものを伴うし、やめられないんですよ。女装は知られたら恐いなあ、というそのギリキリのところが、快楽なんですよ。そこそこの社会的地位や家庭生活があったほうが、女装生活は楽しいわけです。その危険がネガティブなものだけに楽しいわけです。解放されちゃったら、快楽は減りますよ。
珠絵 私なんかもそう、 解放されたら、やらないと思う。
--ゲイを第三の性とするならば、女装者はニ・五の性とでも言えるかもしれませんね。
アキ そうそう、厳密に言えばそうなんでしようね。入り混じっちゃうから、コンマ五がついちゃう。どこかの雑誌が「境界線上の人々」つてとりあげてましたけど、そのコンマ五がどう評価されるかなんです。
--別の言い方をすれば、何者でもなくなっちゃう。
アキ 世の中の人は、すべてを整数で割り切ろうとするじやないですか。それに対して、私たちだけがコンマ五をもっている。そのへんの問題ですね。
別冊宝島「変態さんがいく」(宝島社刊)から引用
引用者注:座談会の出席者の名前は引用原本とは異なります。引用者の判断で仮名に置き換えております。