女装子愛好クラブ

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『野望の青春』(梶山季之):角川文庫

2006年09月17日 | 私的読書日記
三橋順子氏の戦後女装史を読んでいて、本棚の奥から梶山季之先生の『野望の青春』を引っ張り出しました。
そこにはアマチュア女装者が集うバーのことが書かれています。
これも参考になるでしょう。

以下、同書から引用です

女装化時代
-新宿二丁目。
かつて赤線と呼ばれた遊郭が殷賑をきわめていた一角に、一見、しもた屋風の日本家屋がある。
看板は出でない。
ただ格子の玄関の右脇の柱に、日本の婦人草履が、片方だけ打ちつけられてある。
そそっかしい者だったら、
〈あ、草履屋か……〉
ぐらいに思ったであろう。
でも、それは連うのだ。
その家は、日本女装愛好者連盟東京支部の建物であった。
好事家のあいだではーー装愛連と呼んでいるが、ここに集る人達は、ゲイ・ボーイではない。
素人の男性である。
男性でありながら、女装して、連れ立って外を歩いたり、旅行したりすることが目的で誕生した会であった。
創始者は、通称ケリーと呼ぶ、今年四十五歳の事業家である。
ケリーは、戦争中、中隊長づきの当番兵で、美貌であったがため、上官から鶏姦の味を教わった。
つまり肉体的に、女にさせられたわけである。
敗戦後、ケリーは東京に帰って、父の仕事をつぎ、結婚した。
しかし彼は、結婚生活に満足を覚えられなかったのだ。
彼は、女になりたい、と思った。
妻を外出させては、自分の顔を化粧し、妻の着物をきて、ひとり自慰に耽った。その方が、性的な快感が強かった。
そのうち、妻の留守中に、ひとり愉しむだけでは満足できなくなる。
彼は、非常な苦心をして、自分で女になるための小道具を買い整えてレった。
早い話が、化粧品である。
薬局へ行って、男が、
「口紅を下さい」
といえば、怪しまれるだろう。
デバートの下着売り場で、
「パンティを下さい」
と堂々といい、買物はでぎない。
しかし彼は、それをやった。
流石に、東京では恥しいので、大阪のデパートを歩き、パンティだの、カツラだのコルセットだのを買い揃えたのだ。
そして彼は、この秘密の品物の保管場所に困り、小さなアパートの部屋を借りた。
夜になると、彼はその秘密の隠れ家へ行き、三面鏡の前に坐って、ひっそりと心ゆくまで化粧をした,
晴れた日の夜は、着物をきた。
着物の方が、毛脛が見えないし、胸の膨らみを気にする必要がない。
雨の日は、洋装した。着物だと、足さばきが悪いからだ。
カツラをつけ、すっかり女になり切るとハンドバッグをもち、雑踏の中へと紛れ込む。
「あ、いい女だな:・・:」
とか、
「見ろよ、綺麗だぜ。人妻かな?」
などという、同性の私語を耳にした瞬間がケリーの恍惚となる一瞬で、そんなときは必ず、サポーターの下にあるものは怒張していきり立った。
 彼は、幸福感に浸りながら、タクシーで秘密の部屋に駈け戻り、
「今夜は三人の男が、声をかけてくれたわ。あたしって女、倖せだわ……」
などとつぶやきつつ、三面鏡の前である行為に耽るのが、常となった。

 ……そのうち、世の中が平和になって、いろんな雑誌が出版されだした。
ケリーは、そんな性科学雑誌の中で読者の投稿から自分とおなじく、女装を趣味としている同性があることを知ったのだ。
ケリーは、その同好の士に手紙を出した。
最初に、ケリーと顔を合わせたのは、楓と源氏名をもつ人物で、いま地方の温泉地で、芸者として座敷をつとめているという。
楓は、声だけが男性で、体つきから物腰にいたるまで、そっくり女性であった。
ケリーは、楓に手伝って貰って、自分は洋装し、昼間銀座を歩いた。
誰も、径しまなかった。
前から、欲しいと思っていたハイヒールを買いに入った靴屋の店員さえ、ケリーが男だなんて夢にも考えない様子であったのだ。
ケリーはいった。
「あたし達みたいな女装趣味をもった人がもっともっといるはずだわ。そして、その人たちは秘密の品物の隠し場所や、いろんな欲しい品物が手にぱいらなくてヽ困ってるはずよ・仲間のだ
 めのクラブをつくりましょうよ」
楓は賛成した。
ケリーは自分が資金を出し、二階建の店舗を借りた。
一階は、バーとして、二人で営業することにした。そして二階は、女装愛好者たちに、無料で提供したのだ。

ケリーと楓とが、交替でマダムをつとめるその小さな酒場は新宿のゲイバーの中でも、毛色の変った店として、大いに流行した。
普通のゲイ・バーでは、マダムとゲイボーイがいる。
しかし<ケリー>では、女装のマダムとバーテンがいるだけで、客にサービスしている女給というのも、実は客なのであった。                           
女装してヽ男にサービスしたい客が、二階へ昇って、化粧や着付をして貰い、そして胸を弾ませて客席にはいる。
つまり〈ケリー〉の店では、客が客にサービスして、結構、繁昌したわけである。
それが評判になってヽ物好きな映画人や舞台俳優が押しかけ、一階だけでは客をさばき切れなくなった。
それでケリーは、旧赤線の中に、一軒の家屋を借り、ここを同好者のクラブとしたのだ。女物の草履は、仲間たちにだけわかる、クラブの紋章であった。
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