数週間後に連絡があり、大阪の別の女装クラブと日時を指示されました。女装クラブのことですから、化粧品も衣装もあります。そこで私は複雑な気持ちで化粧をし、口紅を塗ったのです。悲しく哀れなことですが、下着(パンティ)は店の物ではなく自分のものを密かに買っていきました。
普通、女装するとき化粧をする段階が楽しい一時なのですが、その時けなんとも言えない気持ちでした。もう何ヶ月も化粧品の匂いに触れていませんでした。自分の顔が変わっていくのも他の様な気がしました。でも、私の心の奥にある女装への快感が再びふつふと沸いてきたことはいなめませんでした。
彼は和服が好きで和服を着せられました。着せられる時も私はただ茫然とした単なる人形のように身体に着物が着せられるだけでした。どうしてこんな人と付き合ってしまったのだ!と悩みました。でも、こうなったのも私が招いた結果なのです。しかし、心の片隅には私は彼に好意を持っていました。彼は金銭的な余裕はなかったと思います。
後で知ったことですが、年齢的にも定職もなく安定した生活をしていなかったはずです。でも松浦さんはロマンを持っていました。女装者に対するいわゆる自分の描く夢のようなものを持っていたと思います。特に、女を緊縛し、その美しさを求め、女の哀れと刹那さをこよなく愛したのではないかと……。
あるときのことです。
「自分は小説家になりたかった。どんな……?」
「谷崎潤一郎のような性本能の究極を、時代を変え、美しい生娘を主人公に緊縛の苦痛や恥じらいが悦びに変わる、その哀れさを書きたいんじゃ。」
「では、舞台劇の演出もいいんじゃない……。」
「そうだな、舞台の演出もしたいなぁ」と、こんな会話もありました。
私も、彼の頭にあるものは綺麗で純粋で太陽の光がさんさんと降り注ぐ地表と地を這い、かつ地面の下の暗くて陰微な、どろどろした世界を入り混ぜ独特の「セックス」の究極を求めているようなものではないかと思います。
確かに彼が私やその周りに対して取った手法はマナーに反しますし、許されません。しかし、その行為の結果、彼が得たものはこの世界のルール違反による自己嫌悪と、人を失った挫折感ではなかったのかと思います。
私は金輪際女装を止めようとしていましたのに、またある種の強制で女装を始めたのです。だから、女装しても彼が嫌うように今までとは振舞いを替えました。要するに開き直ったのです。でも、化粧をするたびに私の身体の芯にある女装の炎が燃え上がり、自分を制御できなくなり、再び隠れて続けてしまったのです。
彼に「他に貴方の好きな女性がいるのなら遊んでもいいのよ。私は貴方が好きな時に会ってくれればいいんですから」と言って出来るだけ距離を置くようにしました。そう言いながらも彼が浮気をした時には、私という女がいるのに何故他の女に手を出すの!と、すねて責めました。
でも、これは形式のことで、あくまで彼には自由な遊びをしてほしかったのです。きっと、彼はどの女性にも誠心誠意努めたと思います。このアブノーマルな世界を自由に生き、好きなことを言い、好きなことをした幸せな人だったのです。私は長襦袢姿で、キリキリと腰紐や手製の帯で縛られ、口には猿轡をされた鏡の前の自分の姿を忘れません。
最近どうしているのだろう?長く会っていないなぁと思い、ある所へ問い合わせると「もうずいぶん前に亡くなった」というではありませんか。一瞬言葉が出ませんでした。ああ、一つの時代が終わってしまった。彼の夢も終わってしまった。でも、彼は思う存分好きなことを生きたのですから悔いはないと思います。
松浦さんのご冥福をお祈りいたします。
出所『ひまわり』 1995年4月号
小説のご紹介は今回で終わりとなります。ご感想はいかかでしたでしょうか。
美希さんがこの小説(体験記)を書かれたのが30年前です。現在はどのような生活をされていらっしゃるのでしょうか。