小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

教師不満足(SSKシリーズその10)

2014年10月06日 19時36分50秒 | エッセイ
『教師不満足』(SSKシリーズその10)



 埼玉県私塾協同組合というところが出している「SSKレポート」という広報誌があります。私はあるご縁から、この雑誌に十年以上にわたって短いエッセイを寄稿してきました。このうち、2009年8月以前のものは、『子供問題』『大人問題』という二冊の本(いずれもポット出版)にだいたい収められています。それ以降のものは単行本未収録で、あまり人目に触れる機会もありませんので、折に触れてこのブログに転載することにしました。発表時期に関係なく、ランダムに載せていきます。

【2010年11月発表】         
 いささか旧聞に属するので気が引けるが、ぜひここで書いておきたい。ある局のニュース特番で、「特集・小学校現場からの報告」とあるので興味を引かれてさっそく視聴してみた。日ごろ教育問題にかかわっている関係上、「現場」に接する機会はたいへん貴重である。
 ところがこの特集の実情は、まったく「現場からの報告」などではなく、あの乙武洋匡クンが3年契約で小学校の教師に勤務し、契約期間が満了したのでそこでの経験談を語るというわずか十分程度のキワモノにすぎなかった。しかも全体としてこの「特集」なるものは、私の憤激を買うに余りある内容であった。
 第一。乙武クンが小学校教師になったというのは知っていたが、3年契約というのは初耳だった。このこと自体、ふざけた話である。普通の教師は生涯の職業としての使命感を持って教職に就くのであり、いったん就いたらどんなにつらいことがあっても簡単に辞めるわけにはいかないのだ。3年契約などという勝手なことが許されるのは、乙武洋匡という「特権」を利用しているのであり、それは有名人の潜入ルポと同じである。
 大体たかが3年勤めただけで、現在の教育現場が抱えた途方もない困難の何がわかるというのか。
 私は『五体不満足』の長所と欠点について論じたことがあり、さらに後に文庫版として出された「完全版」を大学のテキストとして用いている。
「完全版」には第四部が増補されており、これには、有名になってしまったことから生じた苦い思いがつづられている。スポーツライターになろうとしても、本当にライターとしての腕で勝負させてもらえず、周りが乙武の名前で執筆を許してしまう。その現実への苛立ちと反省が真摯に表現されていて、好感が持てる部分である。だが、その苛立ちと反省は「3年契約の教師」という特権的な肩書きではどこへ消し飛んでしまったのか。
 第二。乙武センセイ、教え子の中の「困ったチャン」に手を焼いていろいろやってみたが、なかなか信頼関係を結べたと確信できるところまでいけず悩んでいたところ、辞職することを告げたら、その子が初めて親しみを見せて自分の愛用の「練りケシ」を餞別にくれたそうである。よくあるつまらぬ美談にすぎない。
 ところがインタビューしていた五十がらみのいい年をしたメインキャスターが、それを聞いてなんと目に涙をいっぱいためているのだ。
 バカじゃないか、こいつは、と私は一瞬思った。名うてのキャスターが美談にもならない美談にころりとだまされて、これで「教師一般」と「子ども一般」との間に心の絆とやらが生まれたと思い込み、「学校現場」の問題はやはり「愛」が解決するとでも錯覚しているのだ。何にもわかっちゃいないのである。
 今に始まったことではないが、私は、教育現場をレポートするといったたぐいの番組でテレビメディアが垂れ流す、その無知ぶりと欺瞞性とに深く絶望する。ちょいと3年ばかり「現場」を覗いてきた有名人をさっそく使って視聴率を稼ぎ、緻密な取材も何もせずに済ませてしまう。ああ、世も末とはこのことである。