また、オフネタの昔話ですが、今季Jリーグが2ステージ制になるにあたって、そのデメリットを感じた試合があったので記事にします。それは、最後のチャンピオンシップになるはずだった、2004年の浦和対横浜FMです。
当時の浦和は、ギド(・ブッフバルト)監督が率いていました。ギドは、前の年まで浦和のアドバイザーだったので、チーム事情や選手の特徴を把握しており、采配にもそのメリットを生かしました。基本的にはオフト時代の3バックを継承しながら、オフト時代のマンツーマンをやめて自由に個人技を出していいスタイルは選手からは好評でした。
第1戦の横浜国際競技場は0-1で敗れた浦和ですが、ホーム埼玉スタジアムは満員のサポーターで埋まりました。ただ、相手は現実主義で知られる名将岡田監督でした。当時の3バック、中澤佑二、松田直樹、河合竜二は日本最強でした。浦和を0点に抑えれば勝てる、この日の勝利条件は横浜にとっては願ったりかなったりでした。
ボール支配率は浦和が上回っても、なかなか横浜の堅陣が崩れない展開で試合は推移します。そんなとき、ピッチの右寄りからの三都主アレサンドロの直接FKがゴールになって、浦和は同点に追い付きます。エメルソンもいた浦和攻撃陣なら、あと1点は取ってくれるはずと願っていました。
しかし、スコアも同点、アウェイゴールも同じなので試合は延長戦に入ります。延長戦ということは、決着がつかなければPK戦という意味です。一度、チャンピオンシップがPK戦になった1999年の清水対磐田を思い出しました。当時、年間勝ち点1位の清水に勝って欲しい思いで見ていましたが、結果は磐田の勝利でした。
その懸念は当たり、延長でもゴールが生まれなかったこの試合は、PK戦になりました。誰が決めて誰が失敗したかはもう覚えていませんが、山岸範宏の守るPK戦に敗れ、浦和はPK負けで優勝を逃すという残念な結果に終わりました。
去年のように、リーグ戦で敗れて優勝を逃すのは実力通りだから仕方ないですが、大事なリーグ優勝のようなものをPK戦で決めてしまっていいのかという、無念の思いがこみ上げてきたことを思い出します。サポータが2ステージ制に反対したのは、これも理由のはずです。チャンピオンシップ、PK戦にだけはならないでほしいのが、せめてもの願いです。
当時の浦和は、ギド(・ブッフバルト)監督が率いていました。ギドは、前の年まで浦和のアドバイザーだったので、チーム事情や選手の特徴を把握しており、采配にもそのメリットを生かしました。基本的にはオフト時代の3バックを継承しながら、オフト時代のマンツーマンをやめて自由に個人技を出していいスタイルは選手からは好評でした。
第1戦の横浜国際競技場は0-1で敗れた浦和ですが、ホーム埼玉スタジアムは満員のサポーターで埋まりました。ただ、相手は現実主義で知られる名将岡田監督でした。当時の3バック、中澤佑二、松田直樹、河合竜二は日本最強でした。浦和を0点に抑えれば勝てる、この日の勝利条件は横浜にとっては願ったりかなったりでした。
ボール支配率は浦和が上回っても、なかなか横浜の堅陣が崩れない展開で試合は推移します。そんなとき、ピッチの右寄りからの三都主アレサンドロの直接FKがゴールになって、浦和は同点に追い付きます。エメルソンもいた浦和攻撃陣なら、あと1点は取ってくれるはずと願っていました。
しかし、スコアも同点、アウェイゴールも同じなので試合は延長戦に入ります。延長戦ということは、決着がつかなければPK戦という意味です。一度、チャンピオンシップがPK戦になった1999年の清水対磐田を思い出しました。当時、年間勝ち点1位の清水に勝って欲しい思いで見ていましたが、結果は磐田の勝利でした。
その懸念は当たり、延長でもゴールが生まれなかったこの試合は、PK戦になりました。誰が決めて誰が失敗したかはもう覚えていませんが、山岸範宏の守るPK戦に敗れ、浦和はPK負けで優勝を逃すという残念な結果に終わりました。
去年のように、リーグ戦で敗れて優勝を逃すのは実力通りだから仕方ないですが、大事なリーグ優勝のようなものをPK戦で決めてしまっていいのかという、無念の思いがこみ上げてきたことを思い出します。サポータが2ステージ制に反対したのは、これも理由のはずです。チャンピオンシップ、PK戦にだけはならないでほしいのが、せめてもの願いです。