Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

機能した「格下戦術」(4/30FC東京対札幌)

2011-04-30 16:54:07 | 他チーム
今日は中立観戦で、味の素スタジアムまで出掛けてきました。カードはFC東京対札幌で、代表クラスが揃うJ2史上最強のFC東京の守備に対し、札幌の攻撃陣がどういう工夫を見せるかというところをポイントに見ていました。

札幌サポの方には申し訳ないですが、最終スコアこそ0-0だったものの、両チームの力の差は確実にあり、FC東京が攻撃をしているときのセカンドボールはほとんどFC東京が拾えていましたし、中盤の選手のフィジカルにも差がありました。

それでも、札幌側は何とかFC東京の堅陣を崩そうと、少ないパスでサイドのスペースを狙うサッカーで、回数ではFC東京に負けても攻撃のチャンスを作りました。18歳の三上では代表のCB今野が相手だと苦しいことは当然石崎監督も理解していて、点こそ取れなかったものの個人技に頼らず全員でサッカーをすることでカバーしようとしました。

FC東京は平山が重傷で離脱していて、大分から獲得した高松を代役に置いています。アテネ五輪代表の実績がある高松なら、決して役不足ではないですが、河合を中心に組織された札幌DFを崩せませんでした。何度クロスを入れてもシュートミスで終わる内容にはFC東京のサポは苛立ったと思います。

今季のFC東京は一年でJ1に戻るために即戦力重視の補強を行っており、その中では目玉は新潟時代に前半戦得点ランキング2位と活躍したペドロ・ジュニオールでした。今季の開幕時点では試合に出られる状態ではなかったようですが、震災の中断でコンディションが上がったのか、途中から投入してきました。

しかし、ペドロ自身のコンディションも良くなかったですが、チームがペドロに何をさせようとしているのかが試合を見る限りでは理解できませんでした。少なくとも、アーリークロスの放り込みではペドロの持っている個人技が生きません。

今野や権田という代表選手がJ2でプレーするマイナスも気になっていましたが、彼らはしっかり集中してプレーしており、ザッケローニもそのあたりは見ていると思います。ただ、やはり攻撃陣が点を取ってやらないと彼らの頑張りは生きないので、コンディションは良さそうなロベルト・セザーを軸に点が取れるサッカーをして欲しいです。
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守備の職人(鎌田次郎)

2011-04-30 11:55:22 | 他チーム
浦和敗戦のため、今日は浦和の選手を取り上げるネタはできません。こういうときは相手の仙台から一人ということで、エジミウソンを消して決定機をヘディングでクリアした守備の職人、鎌田次郎選手のネタにします。

鎌田は流通経済大学時代に柏レイソルの強化指定選手になっていて、強化指定選手当時にもCBでトップの試合に出ています。本職は昨日の試合でもやっていたCBなのでしょうが、石崎監督が柏を率いていたときにボランチに入っていたことが今でも印象に残っています。

石崎監督の柏は基本的に走るサッカーですが、一人走れないフランサという「異物」がいました。それでもフランサにボールが入れば驚異的な技術で何をやってくれるか分からない選手でしたから、石崎監督は何らかのフランサが守備をしない穴を埋める対策を打つ必要がありました。

その答えが、鎌田、山根という手堅いタイプのダブルボランチでした。ボランチに攻撃力を期待せず、ピンチになったらクリアでもいいと役割を整理したことが鎌田に合っていました。浦和と対戦したときも鎌田はピンチを迎える前にクリアに逃れてしまうので、ボールを取るのは難しい相手でした。

ただ、鎌田は特殊なサッカーの特殊な役割だったから輝いたので、石崎監督が辞任してボランチに攻撃センスが要求されるようになると次第に出番を失うようになってきました。柏を放出されて仙台に移籍した鎌田は本来のポジションのCBに戻って再出発します。

去年の埼スタの仙台対浦和戦は平日夜の試合だったので見られず、鎌田のプレーを見るのは久しぶりでしたが、まだまだ頑張っていることはわかりました。

被災地の期待を背負うのはおそらく心身ともに激しく消耗するとは思いますが、関口が代表に入ったようにJ1でプレーしていれば何が起こるか分からないので、うまく疲れを取りながら難しい今シーズンを乗り切って欲しいと思います。
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1対2を作られる(4/29仙台対浦和)

2011-04-29 22:07:44 | 浦和レッズ
被災地復興の機運が高まる仙台と、本拠地初戦というタイミングで当たるのは最悪だなと、くじ運のなさをちょっとだけ恨みましたが、仙台の立てた浦和対策が見事に当たった試合だったと思います。名古屋戦の浦和の勝因がバイタルエリアを制圧したことと、両ウイングの活躍ですから、仙台は慎重策で入ってきました。

まず、キーになるダブルボランチに、京都時代はCBだった角田と、鳥栖時代は球捌きのうまさで通っていた高橋義希を置き、慎重にバイタルエリアを消しに行きました。これでマルシオがトップ下の位置でキープができなくなります。また、浦和のウイング対策としては、右MFの関口を自陣に帰らせてまで、浦和のウイングと1対2の形を作ることに心血を注ぎました。

これで、好調だった田中達也まで消されてしまいました。浦和は川崎Fの中村憲剛のように後ろからどんどん打てる選手がいないため、前の4人が機能しないと柏木がどこへ出したらいいかわからなくなり、そこからカウンターを食らいます。慎重に入ってくるチームに弱いのは残念ながら昨年から直っていない欠点です。

後半頭の高崎投入は、正直苦し紛れでしょう。しかし、1点ビハインドで相手は慎重策とくればこれしか打つ手がなかったのは確かで、どんどんクロスを入れて高さで勝とうとする、本来なら後半30分からやる手です。あまり向いていないマルシオのボランチをやらざるを得ないのは、幸運に救われて追加点こそ入れられなかったとはいえ、あまりいいことではありません。

それでも、仙台の得点シーンは見事でした。宇賀神が2対1の形を作られて梁勇基にフリーでボールを持たれたのはまずかったですが、そこから梁勇基が蹴ったボールの精度は完璧でした。太田が2試合連続ゴールになりましたが、あのキックの精度があればターゲットは誰でも合ったでしょう。

これで1勝2敗となったペトロサッカーですが、この敗戦で変に萎縮して方向性を変えてしまうことが一番怖いです。幸い、次の相手は攻めてくる横浜FMですから、選手の入れ替えはあるにせよ、ウイングサッカーで強気に攻めて勝つところを見たいです。初戦が押し気味の試合を落とした痛い敗戦だったため、黒星が先行していますが、気分的には1勝1敗のつもりでいいと思います。
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西武の背番号7

2011-04-28 19:06:43 | 他スポーツ
久しぶりの野球ネタです。西武ライオンズという球団は、比較的監督交代が少なく、ある程度継続した選手育成が可能なチームです。その西武ライオンズにおいて、背番号7は短期間の選手を除くと、球団創設30数年でほぼ3人の選手で語り尽くせる、外れのない番号です。

最初の2年は私が小学生だったため記憶にありませんが、球団創設3年目の昭和56年から背番号7を着けた石毛選手は、若い方はご存知ないかもしれませんが伝説の選手でした。新人だった年の開幕戦で1番ショートに入ると、いきなり3割を打ち新人王になります。

石毛が優れていたのは、走攻守三拍子揃っていたことで、膝に負傷を負うまでは一番が最も得意な打順でした。3割20本を打てる石毛なら3番も打てそうですが、当時の森監督によれば「石毛は3番だと気負いすぎるんだよな」という理由で、昭和61年(1986年)から3年続いた第一期西武黄金時代では石毛の打順はだいたい一番でした。

1989年に衝撃的なダブルヘッダー連敗で優勝を逃した後の1990年からの第二期黄金時代では石毛は四死球で歩かされる5番デストラーデを返す6番打者になりました。この打順でも石毛の存在感は大きく、打点を稼げる6番打者として相手投手陣に恐れられます。また、チャンスを広げられるときは、犠打で走者を進めることもできました。

石毛がFAでダイエーに去って、後継者になるのは松井稼頭央(現楽天)でした。育成型監督だった東尾監督が、将来の素材として評価した選手で、スイッチヒッターに転向して3割30本30盗塁が狙えるレベルまで存在感を高めた、名選手です。

本来、スイッチヒッターの左打席は、足を生かすためのもので、なかなかいいスイングをするのは難しいのですが、松井はプロ入りして初めて挑戦した左打席で、右打席とほぼ同等のスイングスピードを出せるまでに進化させました。3番に回すとあまりいい結果を残さず、1番がいいところは石毛そっくりです。

松井がFAでニューヨーク・メッツに移籍してから、しばらく7番は空き番でしたが、東京ガスからドラフト2位で入団した片岡に7番をつけさせるという決断には正直驚きました。石毛、松井とはずれのなかったこの番号には重みもあったでしょうが、片岡はそれも意識していないのか、思い切ったプレーで西武の1番に定着し、盗塁王の常連になります。

石毛、松井、片岡と毎回いい選手を輩出する、西武の背番号7伝説が、またこれからも続くよう願いたいです。
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時代は巡りて(アルシンド)

2011-04-27 18:44:10 | 他チーム
今季の鹿島の新外国人選手に、かつて鹿島のエースストライカーとして活躍したアルシンドの長男、イゴールがいます。他の外国人選手に負傷者が出ない限り出られない第四の外国人ですから、なかなかプレーを見るのは難しいですが、とうとうJリーグも親子二代でプレーする選手が出たかと時の流れを感じます。

アルシンドが活躍していたのは、Jリーグが爆発的な人気を誇っていた93年から94年にかけての鹿島時代で、当時は私がサッカーをわかっておらずしかもチケット入手が困難だったので、生では一度も見ていません。

かつらのコマーシャルで活躍したアルシンドは毎日のように見ても、アルシンドはどこがどういいから点が取れたかということは、わからない方が多いと思います。薄くなってきた記憶をたどると、相手に競り勝ったゴールよりDFラインの裏に抜け出したゴールが多いイメージがあるので、スピード型と思います。

あの当時はジーコ元日本代表監督やレオナルド現インテル監督という代表クラスと組んでいたのですから、いいボールをもらえる環境は整っていました。いい位置に走れば当時の鹿島ならボールは出てきたでしょう。

私がアルシンドと聞いて思い出すのは、一番はやはり河童状にはげた髪型ですが、次は上半身の筋肉でした。当時は延長戦でゴールを決めたら即試合終了というVゴールというルールがあったので、Vゴールを決めたアルシンドはもう試合終了だからいいだろうと、よくユニフォームをゴール裏のサポーターに投げていました。

これで上半身の筋肉がわかるのですが、鍛え抜かれた肉体をしており、これなら相手DFとの接触に容易には負けないだろうなと想像はできます。まだあの当時はJリーグそのもののレベルもそれほど高くなく、外国では「年金リーグ」と揶揄されていた頃ですが、アルシンドは全盛期に日本にやってきたので、あの鹿島での活躍が実力だと思います。

次は息子に夢の再現を託す格好ですが、プレースタイルに関する情報はないので、意外とポストプレイヤーだったりするかもしれませんが。
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仙台戦プレビュー

2011-04-26 18:48:03 | 浦和レッズ
今日はどうしてもネタがないので、ちょっと早いですが金曜日のアウェイ戦、ベガルタ仙台戦のプレビュー記事にします。仙台の再開初戦だった川崎F戦をテレビで見ていますが、あの試合は神がかり的な勝ち方でした。

同点ゴールの場面は誰も決定的なプレーをしておらず、とにかくつなぐんだという気持ちのプレーが4つ続いた結果のゴールです。しかも点を取った太田が足をつっていて、動かないはずの足で放ったシュートが相手DFに当たってコースが変わったゴールでした。

こういう気力のプレーは、毎回やれと言われると仙台の選手は困るでしょうが、これが仙台のチーム状態を良くしたことだけは間違いありません。しかも、浦和戦の場所は被災して突貫工事で直した本拠地ユアテックスタジアムというのも選手にはモチベーションになるでしょう。

しかし、浦和の方もチーム状態はいいです。仙台は名古屋と違って、ダブルボランチには守備的な選手を置いて手堅く守ってくるチームですから、名古屋戦のように相手のバイタルエリアを制圧するようなプレーは難しいでしょう。

しかし、サイドの高橋峻希、宇賀神も好調なので、相手の関口、太田の両ウイングにやられることはなさそうです。怖いのはFKで、梁勇基が正確なボールを入れてくるので、スピラノビッチと永田が相手キーマンを確実に消す必要があります。

ペトロが標榜するウイングサッカーですが、相手SBは極端に攻撃的なタイプではなさそうで、1対1の勝負になりそうです。今絶好調の田中達也なら、この勝負に勝ってくれることを期待したいです。相手の最終ラインには元韓国代表のチョ・ビョングがいますが、エジミウソン一人に頼らずマルシオもゴール前に詰めてくることで対抗したいです。

仙台はリードされると、梁勇基をボランチに下げる2トップのオプションがあります。赤嶺さえ消していれば大丈夫と、最終ラインが変な余裕を持ってしまうと途中出場の中島にやられる可能性も否定できません。
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名古屋戦マニアック分析

2011-04-25 18:47:25 | 浦和レッズ
浦和対名古屋というカードなら、ケネディ対スピラノビッチの対決が見ものと思っていましたが、勝負のポイントは他にもありました。理由はストイコビッチ監督が強気のサッカーを好むことで、名古屋の中盤で本職のボランチは吉村一人でした。もう一枚のボランチは本来攻撃的MFの小川で、ACLのFCソウル戦でもバイタルエリアが空くことは気になっていました。

ただ、浦和の方もバイタルエリアは弱点でした。理由は鈴木啓太の出場停止で、代役は今季は便利屋として使われている山田暢久ですが、柏木が前に行くことで持ち味を発揮するタイプなので、山田暢久のところは相手の中盤に徹底的に狙われるリスクはありました。

しかし、このバイタルエリア争奪戦で先に破綻したのは名古屋の方でした。マルシオの先制点の場面では、エジミウソンがフリーでバイタルエリアに進出して、守備は闘莉王と増川しかいないという状況に持ち込みました。

去年ならそれでも点にならない場面も多かったですが、このエジミウソンのキープに田中達也とマルシオがちゃんと反応しているのがペトロサッカーのいいところで、この3人が前を向いてボールを受ければ点になる確率が高いというイメージは受けました。

チャンスボールに反応する選手が多いのは浦和の今季の長所で、足は決して速くないマルシオでもタイミングが合えば抜け出せるのがサッカーの面白いところで、まるで俊足のウイングを走らせたような点の取り方ができました。

後半、名古屋は相手のバイタルエリアを使おうとして、ボランチを吉村から中村直志に替えました。後半の頭数分は押し込むこともできましたが、浦和がこの時間を耐え抜いて勝利を確実にしました。

浦和も左右のいろんな位置に出没する永井対策で、永田が引っ張り出されて山田暢久が最終ラインをカバーしている場面もありましたが、名古屋はサイドからケネディの頭という形にこだわっていたのかなという印象も受けます。

一つ、永井の左クロスがケネディの頭に合うという決定的なチャンスもありましたが、永田が体をつけてフリーでヘディングをさせなかったので外れ、浦和の守備陣がよく頑張ったという印象です。
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Good job(4/24浦和対名古屋)

2011-04-24 19:36:48 | 浦和レッズ
今朝の時点で、ケネディが出るかどうかは機密事項で、それによって浦和の出方が変わる可能性があるからでした。個人的には、山形を練習試合の相手に選んで長谷川を仮想ケネディに見立てるなど、ケネディ対策を入念に練っていたので、ケネディは出たほうが永井の1トップの縦パス狙いのサッカーよりはやりやすいと思っていました。

その通り、ケネディは出てきました。永井との2トップで、確かにケネディの高さと永井のスピードを同時に消すのは難しいことですが、永井がストライカーとしては即戦力でも、ウイングとしてはそれほど優秀な選手ではないという弱点に気づいていたので、永井をとにかくサイドに出させれば互角には戦えると思っていました。

タイトルの「Good job」はスピラノビッチです。人に付いた方が持ち味が出るDFは、ケネディを完封することで男を上げました。ヘディングはほとんど勝ち、足元の勝負でも互角以上でした。次第にケネディの方がスピラノビッチを嫌がって永田のサイドに流れたほどです。

また、山形との練習試合でも攻撃センスを感じた永田もいい出来でした。私の第一印象通り、スピラノビッチとバランスを取ってカバーリングする方が得意なDFで、ヘディングも弱くなく年間を通して活躍すれば相当の評価を得られると思います。

攻撃陣も大当たりでした。ゴールこそなかったものの、エジミウソンはようやく調子が出てきたようで、いい位置でキープして攻撃の連動性を上げました。マルシオのDFライン裏への飛び出しは一つの武器になりそうで、柏木からのパスに走りこんで田中達也のゴールをアシストした2点目が一番のハイライトです。

また、田中達也は久しぶりの好調です。去年はいいと言われているとすぐに故障する悪循環でノーゴールに終わりましたが、今年はペトロのウイングサッカーのキーマンになっていて、たとえエジミウソンやマルシオのシュートがミスになっても田中達也が詰めているというのが安心感になっていて、そういうゴールは練習試合でもありました。

原口も相手DFに仕掛けて独走した3点目でアピールしましたし、今はマゾーラといえどもベンチスタートという珍しいほど厚い選手層です。今年はいい年になるのではないかと、期待はしたくなる再スタートでした。
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トモダチ作戦(4/23川崎F対仙台)

2011-04-23 17:24:46 | 他チーム
Jリーグのライバルチームは、普段は相手の試合を見てシビアに弱点を分析して勝利を目指す「敵」です。しかし、今回の仙台だけは被災してグラウンドがないという苦しい状況を、対戦相手とは言え黙っては見ていられないと、市原臨海が空いている千葉とレッズランドが空いている浦和が支援に乗り出しました。

いわば米軍の「トモダチ作戦」みたいなものですが、これが見事に勝ち点3という形で表に出るとは思っていませんでした。正直、強豪川崎Fが相手なら、試合になれば上出来と思っていました。マルキーニョスの抜けた仙台は、関口、太田のスピードを生かしたウイングサッカーで対抗する策を選びましたが、前半は川崎Fにキープされなかなか狙いの形は出ませんでした。

しかし、被災地に元気を届けたいという仙台の気力は、想像もしていないプレーを引き出しました。同点ゴールを決めた太田は、すでに足をつっていて交代をベンチに直訴するほどでしたが、その動かない足で放ったシュートが横山に当たってコースが変わり、川崎Fにとっては不運な同点ゴールになりました。

その後も梁勇基をボランチに置く強気の策で攻めた仙台は、FKを取ります。ただ、セットプレーの精度はサッカーの中で一番微妙なもので、練習環境に苦労した仙台の場合、合わせるのは困難だろうと思っていました。しかし、本当にセットプレーで取ってしまえるところは、サッカーの神様はいるのではと思うような梁勇基のキックの精度と鎌田のヘディングの高さでした。

普段、CKで時間を稼ぐのは、弱者の戦略みたいであまり好きではないのですが、今回の仙台だけは何となく許すという気持ちがあって、時間を使った仙台は見事勝ち点3を取ります。次節浦和と当たるので、ちょっと調子が出ると嫌だなという思いも少しはありますが、今回ばかりは東北に勝ち点3をもたらしたことに、スポーツの力を感じます。

川崎Fの方は、途中出場したジュニーニョの出来が良くなかったことが気がかりです。ドリブルの間合いは相手DFに読まれているし、爆発的にちぎるスピードも戻っていません。長いシーズンを考えると、どこかでジュニーニョに活躍してもらわないと困るはずで、ちょっと気になります。
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PKにまつわるエトセトラ

2011-04-23 16:50:05 | 他チーム
4/19掲載予定の記事をサルベージしたので、多少変なところもあるかもしれませんが、ご了承下さい。

今日は一貫した一つのテーマが思いつかないので、過去のPKの思い出をいくつか綴ってみます。若いサポーターの中にはご存知ない方もいらっしゃるでしょうが、Jリーグは1998年まで30分の延長戦で決着がつかなければ、リーグ戦でPKをやっていました。

最初の頃のリーグ戦の順位決定方法は相撲と同じように何勝何敗という勝ち数だけで決めていたので、同点の試合が勝ちになるか負けになるかを分けるPK戦は重要でした。名古屋対横浜MのPK戦では、相手GKの逆に蹴ってゴールは間違いないと思われたPKが水溜まりで止まってノーゴールになった珍プレーもあります。

そんなルールが変わったのは、1994年に鹿島が開幕から3試合連続PK負けという珍記録を作ったからでした。3試合続けて120分を戦い同点なのに3連敗扱いはあまりにもひどいという世論で、翌年から勝ち点制が導入されてPK負けは勝ち点1になります。

その後、90分勝ちは3、延長勝ちは2、PK勝ちは1、負けは全て0というようにルールが変わり、99年にPK戦は廃止されて120分で同点なら引き分けというルールになります。Jリーグ創設当時の川渕チェアマンは、「日本には引き分けという文化はなじまない」という理由でこの改革を打ち出しましたが、やはりよほど特別な試合でない限りサッカーの試合は90分なのですから、90分で決着がつかなければ引き分けという2003年から導入された現行ルールの方がしっくり来るというのが、今振り返った印象です。

私は浦和サポなので、どうしても浦和がらみの思い出を出してしまいますが、1995年3月の名古屋戦の「14人PK」は強烈な印象です。PK戦もフィールドプレーヤーが全員蹴って決着が着かないとGKが出てくるものだということは、このとき知りました。その土田はキッカーとしては安定して決めたのですが、ギドが2巡したPKの両方を外して浦和は敗戦という結果に終わりました。

また、PK戦ではなく、ゲーム中のPKでは一番印象に残っているのはJ2時代の最終戦、サガン鳥栖戦です。当時、ピクンのミスで独走された石谷を、室井がバックチャージで倒してPKになり、室井は退場、鳥栖にPKが与えられました。

当時1-1の同点だったので、数的不利でビハインドはきついとサポーターの意識が一致し、今でもこれ以上の応援はなかったのではというほどの「浦和レッズ」コールが起きました。この効果はあったようで、ルシアノはPKを失敗して延長戦に勝負を持ち込むことができました。
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