ジーコジャパン時代の思い出話ですが、当時の最終予選はホームの全試合をスタンドで見ました。今では手腕が疑問視されるジーコですが、ロスタイムに2度も決勝点が入る幸運に助けられて解任を免れた、不思議な巡り合わせでした。その中では、大黒将志がロスタイムにゴールを決めて2-1で勝った朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国)戦が今でも印象的です。
当時の共和国は、Jリーグでプレーする安英学、梁勇基が中心選手でした。ただ、彼ら以外の選手のボール回しに不器用さが見られ、日本の激しいプレッシャーをしのぎ切れないだろうと予想していました。また、CBもあまり大きい選手ではなく、セットプレーでの得点も狙えると思いました。
日本は、海外組が合流する前に、国内組だけでカザフスタン、シリアと親善試合をしていました。この試合の内容が良かったので、ジーコは中村俊輔と高原直泰をベンチに置いて、珍しく小笠原満男をゲームメーカーに置いていました。ジーコジャパンは海外組を、たとえコンディションが悪くても使うので、割を食ったのが遠藤保仁と小笠原満男でした。
このチャンスで、小笠原満男は結果を出しました。前半の早い時間でFKを直接決めたゴールで先制して、この試合は大丈夫だろうと思っていました。しかし、ボールを支配する割になかなか追加点を入れられなかった日本は、共和国の一つのプレーでシナリオが暗転します。
それは、共和国左SB、ナム・ソンチョル(16番)のプレーでした。GK川口は、クロスを想定して真ん中で待つ共和国FWの動きを見ていました。ナムのプレーはクロスを上げたように見えましたが、なんとそのキックがミスキックになってアウトサイドにかかり、偶然日本ゴールを割ることになります。
偶然に負けてしまうのは弱者ということは、これまで何度も言われていますが、楽観的な私もこの試合は引き分けを覚悟しました。この試合では途中出場の大黒将志が、ロスタイムに劇的ゴールを決めて辛勝しましたが、サッカーはこんなことも起こりうると感じた、不思議なエピソードです。
当時の共和国は、Jリーグでプレーする安英学、梁勇基が中心選手でした。ただ、彼ら以外の選手のボール回しに不器用さが見られ、日本の激しいプレッシャーをしのぎ切れないだろうと予想していました。また、CBもあまり大きい選手ではなく、セットプレーでの得点も狙えると思いました。
日本は、海外組が合流する前に、国内組だけでカザフスタン、シリアと親善試合をしていました。この試合の内容が良かったので、ジーコは中村俊輔と高原直泰をベンチに置いて、珍しく小笠原満男をゲームメーカーに置いていました。ジーコジャパンは海外組を、たとえコンディションが悪くても使うので、割を食ったのが遠藤保仁と小笠原満男でした。
このチャンスで、小笠原満男は結果を出しました。前半の早い時間でFKを直接決めたゴールで先制して、この試合は大丈夫だろうと思っていました。しかし、ボールを支配する割になかなか追加点を入れられなかった日本は、共和国の一つのプレーでシナリオが暗転します。
それは、共和国左SB、ナム・ソンチョル(16番)のプレーでした。GK川口は、クロスを想定して真ん中で待つ共和国FWの動きを見ていました。ナムのプレーはクロスを上げたように見えましたが、なんとそのキックがミスキックになってアウトサイドにかかり、偶然日本ゴールを割ることになります。
偶然に負けてしまうのは弱者ということは、これまで何度も言われていますが、楽観的な私もこの試合は引き分けを覚悟しました。この試合では途中出場の大黒将志が、ロスタイムに劇的ゴールを決めて辛勝しましたが、サッカーはこんなことも起こりうると感じた、不思議なエピソードです。