内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日々の風景写真、日記のように

2015-10-02 06:42:04 | 写真

 講義の準備を終えたところで、カメラの使用説明書を少し読み進めたが、やはりよくわからない事が多すぎる。記述言語のフランス語そのものが難しいわけではない。むしろ、表現について発見があって面白いくらいである。ただ、当然のように説明もなく頻繁に使われている語の意味が掴めないと、その前後がわかっても肝心なことがわからない。やはりカメラをよく知っている人に付いて学ぶにしくはない。
 それはともかく、まずは毎日写真を撮って、それをPCで拡大して見て、自分が望んでいたイメージとのずれがどこにあり、どうすればもっとそれに近づけるのか、試行錯誤を繰り返さなくてはならないだろう。今日も、大学からの帰り、買い物の行き帰りにところどころで自転車を止めてはシャッター・ボタンを押した。
 まだまだ全然思うような写真を撮ることができないが、記録として、今日撮った写真の中から一枚だけアップする。
 水浴する白鳥たちを見た場所から振り返って自宅のある方角に向かって川を眺めた時の景色である。撮影は、昨日午後五時半頃。

 

(写真はその上でクリックすると拡大されます)

 


クダラナ日記(1)

2015-10-02 06:27:26 | 雑感

 世間で物議を醸している(んなことあるわけないでしょう)連載「パスカルと西田」はまだまだ続くぜと筆者は息巻いているのですが、そのくせその当の筆者が、「ここんところちょっと疲れちゃってさぁ、少し休息したいんだけど」と弱音を吐くのを聞いて、担当編集者(いるわけねえだろ)が「仕方がありませんね、少し頭を休められたらいいでしょう。自転車にでも乗って写真でも撮りに行かれたらどうです?」と、口元に皮肉な笑みを浮かべつつ、とにかくお許しを出してくださったので、今日から何日かは、もう本当にしょーもない、頭の休憩みたいな話をいたします(って、私は誰?)。

 名づけて「クダラナ日記」。一瞬「グラナダ日記」(!?)と読み違えて、スペインのグラナダ在住の人の日記かしらと、迂闊にも胸をワクワクさせながらアクセスした人はご愁傷様である。ここはラテン民族の対極のような土地柄のアルザス地方の中心都市ストラスブールである。「ヨーロッパの首都だぜぃ」なーんて大きく啖呵を切っているが、所詮フランスの東の外れである。ライン川を渡れば、もうそこはドイツである。南仏及び南欧の人たちは、「おめえたちのところには海がねえだろうが、海が。ヨーロッパ文明ってえのはなあ、地中海が母胎なんだよ。ライン川で面洗って出直して来やがれ、べらぼうめぃ!」と、何故か理由はわからないが、江戸っ子みたいにまくしたてることであろう(保証はどこにもない)。

 えー、世の中にはですな、何か始めるってーと、それを是が非でも日課にしないと気が済まないってえ御仁がいらっしゃいますな(ここからは、昭和の名人、古今亭志ん朝の名調子を思い浮かべていただきたい)。
 例えば、水泳をすると決めたら、毎日行こうとする。そのためにエクセルで表まで作ったりする。雨の日だろうが、雪の日だろうが、もうとにかく毎日行くぞっ、てなあわけですな。真冬の氷点下十度の早朝にもガタガタ震えながら開門を待っていたりする。それで泳いで風邪引いて熱出しても、それでも這ってでも行くぞっ、て、そりゃあもう大変な力の入れようでございます。
 そうかと思うと、自転車に乗ると決めたら、それまであれほど利用していた路面電車を敵のように睨みつけて、こっちのほうが速えんだ、ざまあみやがれ、と、電車と並走しながら、必死で追い抜かそうとして、脹脛に痙攣起こして倒れちゃったりする。
 どうもこういう御仁は、「ほどほど」ということを知りませんな。

 こんな落語の枕みたいな話、哲学カテゴリーの難解な連載記事の内容とギャップありすぎでしょうか。