日曜日の昨日、前日の記事で話題にしたライン川のフランス側の川岸にある石碑に向かって、右側二百メートルほどのところにある歩行者・自転車専用の橋 Passerelle Mimran を渡って、ドイツ側に行ってみた。
橋上も両岸も、西に傾き始めた秋の穏やかな陽射しの中、沢山の人たちが散歩を楽しんで行き交っている。
(写真はその上でクリックすると拡大されます)
ドイツ側からフランス側に向かって写真を撮るにはちょうど逆光になる時間帯だ。Passerelle Mimran を下から見上げるようにして数枚の写真を撮った後、その自分の立っている位置のすぐ脇に、一枚のステンレス製のプレートが貼り付けてある高さ七十センチ、幅六十センチほどの石柱があるのに気づく。その石柱の上には、鋼鉄製の薔薇のモチーフが固定されている。その石柱の前を行き交う人たちは誰もそのプレートを気にも留めない。
プレート正面に身をかがめて読んでみると、昨日の記事で話題にした石碑と「同じ」歴史的事実を記念したプレートだとわかる。しかも独仏両語で。
「同じ」事実の記念だが、昨日の石碑とは微妙に、だが決定的なところで、表現が違っている。フランス側の石碑で私が強烈な印象を受けた « lâchement» に示されているような「感情的」表現が一切ない。しかし、より事実を詳しく記述している。
Quelques heures après la libération de Strasbourg par les Alliés, le 23 novembre 1944, neuf membres du groupe de résistance française « Réseau Alliance » furent extraits de leur prison par la Gestapo avant d’être assassinés sur la rive kehloise du Rhin.
こんなプレートを写真に撮ろうなどという人は多くはないであろう。それを奇妙に思ったのかどうか、そんなものより私を撮って、と言わんばかりに、五六歳と思しき少女が液晶画面の中に突如現れた。驚いたが、思わずこちらの口元もほころんで、逆光ではあったが、彼女にフォーカスを合せてシャッターを切った。
私が写真を撮った後、その少女の父親らしき人がプレートの記述の意味を少女にドイツ語で説明していた。
歴史をごまかさずに後世に伝えることは、私たち大人の責務であろう。しかし、それは、苦痛に満ちた過去を憎悪とともに永遠化するためではないだろう。無邪気な少女のあどけない笑顔がいたるところに花咲くような世界の到来を願ってのことでなくてはならない。