9月29日の記事で、1931年に『哲学研究』に発表され、1932年に『無の自覚的限定』に収録された論文「永遠の今の自己限定」の中の次の一節を引用した。
真に無にして自己自身を限定するものといふのは、自由なる人といふべきものであらう。絶対の無によって限定するものは、自己の中に無限の弁証法的運動を包む円の如きものと考へることができる。自由なる人といふのは自己自身の中に時を包む円環的限定といふことができる。パスカルは神を周辺なくして到る所に中心を有つ無限大の球 une sphère infinie dont le centre est partout, la circonférence nulle part に喩へて居るが、絶対無の自覚的限定といふのは周辺なくして到る所が中心となる無限大の円と考へることができる(パスカルの如く球と考へるのが適当かも知れないが私は今簡単に円と考へて置く)。(『西田幾多郎全集』第五巻、2002年、148頁)
この箇所を引用した上で、「意識が西田においてしばしば鏡に喩えられるのは偶然ではない。それは映す「面」なのである。球から円への置き換えは、だから、西田が言っているように単に話を簡単にするためはでない。西田の哲学的言語空間にパスカルのメタファーを導入するための、いわば必然的な手続きなのである」と述べた。
少なくとも、場所の論理の延長線上でその後の西田哲学を視野に収めようとするとき、この球から円への置き換えは、一つの必然的な要請であると私は考える。実際、西田は、自説を説明するために、しばしば円を描く。この円のメタファーの優位性は、各論文集末の「図式的説明」の中においてだけでなく、その講義に出席した学生たちの証言からも裏付けられる。
ところが、1939年8月に『思想』に発表された論文「経験科学」において、歴史的空間が問題にされるとき、まったく逆方向への転換、つまり、平面から球面への転換が議論の要所において提起される。
具体的世界は作られたものから作るものへと創造的に動き行くのである。物理的世界も此に基礎附けられるのである。歴史的空間は平面的ではなくして球面的でなければならない。時を内に消すものではなくして時を包むものでなければならない。(『西田幾多郎全集』第八巻、2003年、463頁)
そして、その数行後に、こう繰り返している。
何処までも過去未来を包むと考へられる歴史的空間は、右に云つた如く、云はば球面的でなければならない(パスカルの周辺なく到る所中心となる無限の球といふ如く)。此故に歴史的空間は意識的でなければならない。(同頁)
ここにみられる「平面」から「球面」への転換は、西田において、何を意味するのか。この転換は、現実世界のメタファーとしての円から球への転換とみなしてよいのか。それは、言い換えれば、平面から立体への、二次元から三次元への、さらには時間性を第四元とする四次元空間への転換とみなしてよいのか。これらの問への答えを西田のテキストそのものから引き出すことによって、最後期西田哲学をそれ以前の段階から区別している論点を明確に規定してみよう。