内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

陰翳をめぐる随想(一) ― 空間の原初的な量塊の生ける実質としての陰翳

2020-01-18 18:14:51 | 哲学

 昨日までの七回の記事で、『陰翳礼讃』と『眼と精神』のテキストにできるだけ即しながら、講演内容として充分なだけの問題提起とそれらについての考察は行えたと思う。今日からはもう少し自由に陰翳をめぐる考察を思いつくままに展開しておきたい。
 谷崎は、フランスのガリマール社のプレイヤード叢書(Bibliothèque de la Pléiade)に収録されているただ一人の日本人作家である。二巻からなる Tanizaki Œuvres(1997)には、『陰翳礼讃』ももちろん収録されている。訳は1977年に刊行された René Sieffert 訳であるが、巻末の作品解題は Jacqueline Pigeot 先生が書いている。「陰翳」という語義について次のように注記している。

Le thème sur lequel Tanizaki brode ici, c’est la notion d’« ombre », où il distingue un élément fondateur de la sensibilité esthétique japonaise. Cette notion n’est pas désignée par le mot courant kage, mais par in.ei, un terme d’origine chinoise, surtout employée en japonais au sens figuré de « nuance », « subtile profondeur » (d’un texte), « richesse secrète » (d’une œuvre) ; il s’oppose à « platitude », « banalité ». L’ombre ainsi désignée n’est pas simplement absence de clarté : c’est un mode d’être spécifique, voire une substance vivante (vol. I, p. 1887).

 「陰翳」という語は、影(あるいは蔭)を表すよりも「ニュアンス」「微妙な深み」「密やかな豊かさ」などを意味し、「平板」「ありきたり」などに対立する。このような意味での陰翳は、単なる光の不在のことではない。それはある独特な存在様式であり、生きている実質である。
 きわめて的確な指摘だと思う。ただし、« substance » を伝統的な哲学用語としての「実体・実有」の意味に取らないかぎりにおいてである。谷崎における陰翳は、まさに実体と偶有という西洋哲学に伝統的な対立関係そのものを問い直すだけインパクトを有った概念として機能している。物とその属性及びその偶有性との区別、あるいはジョン・ロックのいう第一性質と第二性質との区別によって覆い隠されてしまう知覚世界の「厚み」と「奥行」を陰翳という語は言い表している。
 ジャン・ヴァール(Jean Wahl, 1888-1974)は、Vers le concret(1932)の中で、ホワイドヘッドがウイリアム・ジェームズの「原初的な量塊性 voluminosité primitive」という概念をさらに発展させていることに関して、「量塊は空間のもっとも具体的な要素である。Le volume est l’élément le plus concret de l’espace. 」(p. 143)と言っている。この意味での量塊を陰翳と直ちに同一視することはもちろんできない。しかし、陰翳もまた知覚世界の実質をなしているとするならば、陰翳は見るものを惑わせる光の戯れなどではなく、この原初的な量塊の生ける実質に属していると言うことができるだろう。