内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「混迷した世界の中の真理への入口」としての「陰翳の現象学」

2020-01-28 23:59:59 | 哲学

 ゲーテの色彩論についてはかねてより関心をもっていて、関連書籍もいくつか手元に集めてあるのだが、ちょっと今の忙しさでは、残念ながら、すぐには手が出せそうにない。一言だけ触れておく。
 マックス・ミルナーがゲーテの色彩論について必読文献として挙げている Jean Lacoste, Goethe. Science et philosophie, PUF, 1997 の第二章は、まさに « La part d’ombre » というタイトルが付けられている。その章のはじめの方に『ゲーテとの対話』からの引用がある。その引用箇所は岩波文庫の山下肇訳では次のようになっている。

この世界は、現在では老年期に達していて、数千年このかたじつに多くの偉人たちが生活し、いろいろと思索してきたのだから、いまさら新しいことなどそうざらに見つかるわけもないし、言えるわけもないよ。私の色彩論にしてからが、完全に新しいものだとはいえない。プラトンやレオナルド・ダ・ヴィンチや、その他たくさんの卓越した人びとが、個々の点では私よりも前に、同じことを発見し、同じことを述べている。しかし、私も、またそれを発見し、ふたたびそれを発表して、混迷した世界に真理の入口をつくろうと努力したこと、これが私の功績なのだよ。(1828年12月16日)

 『陰翳礼讃』を合同ゼミの課題図書としたことがきっかけとなり、陰翳という現象をより広い視野から再考してみようと「陰翳の現象学」というアイデアが生まれ、その手始めにメルロ=ポンティの『眼と精神』を読み直し、マックス・ミルナー『見えるものの裏側』を手がかりに、『眼と精神』でも一箇所言及されているレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論における影に関する考察の理解に努め、そこから今度はゲーテの色彩論へと考察の対象を拡大することで、ますます陰翳というテーマの広がりと奥行に魅せられている。
 このように考察対象が広がりつつある「陰翳の現象学」というパースペクティヴの中で改めて『陰翳礼讃』を読み直すことができるようになるとは、昨年七月に課題図書に選んだときには思いもしなかった。これはほんとうに「嬉しい誤算」である。