内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(4)

2018-03-28 00:00:00 | 哲学

 空の〈青〉の純粋さを見ることができるのは誰か。
 それは「純粋な視者」(« voyant pur » )である。虚空の無限に透明な鏡を前にして、純粋な視者は純粋視覚を現実化する。
 空の〈青〉を前にした純粋視覚からは、すべての対象が追い払われている。そこでこそ表象と夢想との境界で相互浸透が起る。物象化によって隠されていた世界の無限の奥行の〈無〉がそこで回復される。そのとき、虚空の無限に透明な鏡の中の〈映り〉としてこの世界が立ち現れる。

D’abord il n’y a rien, puis il y a un rien profond, ensuite il y a une profondeur bleue (Bachelard, L’Air et les songes, op. cit., p. 218).

まず、何も〈無〉い。次には、〈深い〉無。そして、青い〈深み〉。