内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(予告編)

2018-03-24 00:29:19 | 哲学

 明日から数回に渡って、空についての哲学的考察を行う。
 この一行を読まれて、多くの方は、仏教における「空」(くう)の思想のことを思い浮かべられたのではないだろうか。しかし、私が試みるのは、私たちが普段見ている空(そら)についての考察であって、仏教思想あるいは東洋哲学における根本概念としての「空」についての考察ではない。
 私たちが普段見ている空についての哲学的考察って、何それ?、と疑問に思われた方も少なくないであろ。そこで、今日は、その予告編として、前置きを一言。
 西洋近代文学の中に空についての哲学的考察を可能にする要素あるいは素材を見出すことはむずかしいことではない。拙ブログで今月前半に雲雀についての哲学的考察を行なった際に再三引用したバシュラールの『空と夢』の第6章「青空(Le ciel bleu)」がそれを充分に提供してくれているからである。
 そこには、世界の現われ方一般についての哲学的考察を空の知覚から展開するための手掛かりを与えてくれる文学作品が少なからず引用されている。それらの引用を最初の手掛かりとして、空についての哲学的考察を始めることにする。
 例によって、この考察も、なにかすでにできあがったプランがあって始めるわけではない。その日その日の考察が次の日の考察を呼び起こすような仕方で少しずつ議論を展開していければと思う。同じ問題のまわりをぐるぐると堂々巡りするだけに終わる日もあるだろう。一言断片を記すのがやっとという日もあるだろう。そんな日があることも日々休みなく続ける哲学演習にとっては避けがたい。しかし、持続することそのことが哲学的思索を励起しつづけるように考えることだけは休むまい。