内的自己対話-川の畔のささめごと

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「詩的空間において、雲雀は、歓喜の波動が伴う見えない粒子である」― 雲雀についての哲学的考察断片(四)

2018-03-05 03:57:36 | 哲学

 バシュラール『空と夢』の中でも、次の一節はとりわけ美しい。一つの哲学詩と言ってもいいくらいではないかと思う。手元に邦訳がないので、原文の後に拙訳を示す。何度も読み直してその美しさを直に歎賞すべき仏語原文を汚すだけに終わるのかも知れないと怖れつつ。

 Pourquoi une verticale du chant a-t-elle une si grande puissance qur l’âme humaine ? Comment peut-on en recueillir une si grande joie, une si grande espérance ? C’est peut-être parce que ce chant est à la fois vif et mystérieux. Déjà, à quelque mètres du sol, l’alouette poudroie dans la lumière du soleil : son image vibre comme ses trilles ; on la voit se perdre dans la clarté. Pour formuler cette éclatante invisibilité ne pourrait-on pas accueillir dans la poétique les grandes synthèses du génie scientifique. On dirait alors : Dans l’espace poétique, l’alouette est un corpuscule invisible qu’accompagne une onde de joie (G. Bachelard, L’Air et les Songes. Essai sur l’imagination du mouvement, Le Livre de Poche, coll. « biblio essai », 1992 [première édition, Librairie José Corti, 1943], p. 110).

 なぜ、天から鉛直方向に下降してくる歌は人間の魂にかくも大きな力を及ぼすのか。なぜ、その歌から、かくも大きな歓喜、かくも大きな希求を受け取ることが人はできるのか。すでに、地上からわずか数メートルのところで、雲雀は太陽の光の中に粒子のように舞い上がる。その姿はトリルのように顫動する。雲雀は明晰さの中に消失する。この眩ばかりの不可視性を定式化するために、詩学の中に科学の天才の偉大なる集大成を迎え入れることはできないだろうか。そうすれば、次のように言えよう。詩的空間において、雲雀は見えない粒子であり、それには歓喜の波動が伴う、と。

 あらずもがなのパラフレーズとの誹りは覚悟の上で、以下に一言拙きコメントを記す。

 その姿が光の中に微粒子のように舞い上がり不可視なものと化すとき、〈雲雀〉は視覚において無化され、聴覚において天上からの歌声として地上に舞い降りてくる。詩的空間において、視覚における垂直上方への飛翔によってもたらされる粒子の不可視性と聴覚おける鉛直下方への歌声の降臨がもたらす歓喜の波動の伝導とが〈雲雀〉という不可視かつ明晰な一形象として統合される。





















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