朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

北陸周りで大阪へ

2009年08月11日 09時31分31秒 | 
昨日、東京から大阪に戻ってきた。

指定席がとれたので、
深夜の白馬行き「ムーンライト信州」に乗り、
信濃大町で下車。

乗り継いで、南小谷からキハ52形で糸魚川。
全国で、もはやここでしか走っていない、という車両。
1両編成だが、写真を撮る人やら録音する人やらで
車内は満席。立っている人も多い。

【大糸線のキハ52】



糸魚川から富山・金沢で乗り換え。
北陸新幹線の工事と思われる高架の工事が進んでいる。
今の日本の財政と、既に特急が頻繁に運転されている状況を考えると、
この上に新幹線なんてサービス過剰だと思うのだが。

北陸鉄道石川線の末端部が廃止される、と聞いていたので、
西金沢から乗る。
車両は2両編成の元東急7000系。
田園地帯で、駅間が狭いところをのんびり走っていく。

【元東急7000系】



終点の加賀一の宮へ。
駅から先にさらに線が延びている。
昔は白山下まで走っていたというから、その跡なんだろう。
しかし、端の方から徐々に切り取るように廃止していくと、
ついには全線を廃止せざるを得ない状況になるのでは、と
危惧するのだが。

【加賀一の宮の先の廃線跡】



折り返しの電車に乗って野町まで引き返し、
また西金沢へ。
あとは福井・敦賀と乗り換え、
新快速で大阪へ着いた。

夜行利用で疲れた。
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八月納涼大歌舞伎~真景累ヶ淵~

2009年08月09日 21時16分11秒 | 歌舞伎・文楽
今日は歌舞伎座へ行ってきた。

第二部「真景累ヶ淵~豊志賀の死」。
落語でも馴染みの深いところで、
その比較でいろいろ感じながら見ていた。

豊志賀が既に臥せっている場面から始まる。
この発端は落語に比べていまいち。
豊志賀の病気は新吉への嫉妬が元で「ぽつり」と腫物ができ、
その気持ちが大きくなるに連れて腫物も大きくなる、といった
「身の因果」だと思うのだが、
病気の場面からだと、そのような背景が伝わりづらい。

福助の豊志賀。
やけに笑う客が多く、
別に笑わそうとしている訳でもない
豊志賀の科白でもウケがきていた。
女形の発声に慣れていないせいかも知れないが。

新吉は勘太郎。
勘三郎とよく似た声質。
全体に、特に可もなく不可もなく、という感じ。

新吉の伯父の家の場面。
伯父が新吉が「深見新左衛門という旗本の息子」だと明かすのだが、
その因縁話をすると複雑になるので、
「豊志賀の死」だけを演るのであれば
特に要らないと思う。
後で豊志賀が宗悦の娘で、といったバラシをするならともかく。

この場面では歌舞伎らしく、豊志賀の幽霊を出したりしているが、
全体に、どうも安っぽい「怖いお話」程度になっていると感じた。
それは、奥深い「因縁」や「ドロドロした感情」が
落語ほど濃密に描写されていないからだと思う。
例えば見舞に来たお久に対して、
豊志賀が意地の悪いことを言う場面にしても、
「嫉妬」をベースにじわじわ迫っていく感じが弱い。
このあたりは、
見る側にどんどんエスカレートして想像させられる
落語の方が強いだろう。

目に見える形で幽霊を出し、怖がらせる歌舞伎の方が、
分かりやすく、ある意味では現代に合っているのかも知れない。
ただ、少なくとも今日の芝居では、
圓朝の怪談のベースになっている
人間の感情の奥深さや、人間の恐ろしさといった面の表現で
落語に及ばない、と感じた。

次の「船弁慶」は見ずに出て、
山野楽器で久々にCDを買い、
大阪へ戻るために使う指定席券を買って、帰宅。
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池袋演芸場八月上席

2009年08月08日 11時27分18秒 | 落語・講談・お笑い
昨日は、小三治が出る、ということで
後輩諸師と池袋演芸場へ行ってきた。
12時半開演だが、
10時半頃に行ったら既にそこそこ並んでいる。
平日でもメンバー次第ではこんな状況になるんだなあ。

昼の部の頭から夜の部の中トリまで見ていたのだが、
やはり小三治(昼の部トリ)が終わって
一つ客席の空気が変わった感じがする。
まあ、それまで立見、しかもギュウギュウ詰めになっていたのが、
空席もできる程度になったのだから仕方がないのだが。

何席か、思ったことを。


「漫才」(ホンキートンク):△+

ロケット団の代演もあり、昼の部・夜の部と2回出てきた。
2席目の方が面白かった。
1席目は、どうも「客いじり」や「変な動き」で
ウケを取ろうとしている感じが好きになれなかった。


「千早ふる」(喜多八):△+

細かい科白廻し(設定・竜田川の行動など)で、何箇所か違和感を持った。
全体の流れで上手く処理していた。


「漫才」(昭和のいる・こいる):○-

のいるの声が聞き取りづらい。
意図的に声を抑えている部分もあるとは思うが。
こいるの相槌は、やはり素晴らしい。
無秩序に言っている訳ではなく、相応しい適当な言葉を発しているなあ。


「二人旅」(小里ん):△

少しトチリあり。
茶屋のおばあさんの雰囲気が良かった。


「道具屋」(扇橋):△

声がほぼ聞こえない。
危なっかしい。
途中で少し科白が廻ることもあったし。
楽しげに「タコの歌」を歌っていた。それがやりたいのだろう。


「夢の酒」(伯楽):△-

正直、このネタはよく分からない。
若旦那の気持ちの中には、結局浮気心があったのか?
親旦那は「冷やは飲まない」と何度も何度も繰り返しているのに、
なぜサゲは「冷やでも良かった」なんだろう?
など。
何となく、この人の雰囲気で聞かせてくれてはいたが、
考えるとよく分からないネタだなあ。

あと、終わった後に「落語界の現状」を語ったり、
本の宣伝をするのは邪魔。うざったい。


「釜泥」(三三):○

見るのは初めて?だが、世間での評価が高いのは納得。
ちょっとした入れ事、老夫婦の雰囲気、会話のリズムなど、
若いのに達者。
「憎たらしい程上手い」というのはこういう人なんだろう。
機会があればまた聞いてみたい。


「犬の目」(小袁治):△+

無理な力が入っておらず、その脱力感が良い。
患者も「犬の目」を入れられている、と知っている設定なんやね。


「うだうだ+馬の田楽」(小三治):○

扇橋に比べて遥かに声が出ている。元気そうだ。
うだうだ、夢ともなく現ともなく、好きなことを喋り、
ネタに入るのか入らないのか分からないまま話し続ける。

ネタは(マクラで仕込んでいた面もあるが)
馬方の馬に対する愛情がベースにあって、
店の人や子どもや周囲の人と喋っている感じがして快い。
全体にゆったりした話し方・間。
リアルかも知れないが、
今時のリズムではない感じはする。


「反対俥」(金兵衛):×+

ダメ。私には合わない。
喋り方がだらしなくて聞きづらく、変な小ギャグを入れ、
ウケなければ「小三治師匠の後はやりづらい」とか言う。
心根が良くない。
二度と見たくない。


「家見舞」(馬石):△-

マクラが拙く、それを引きずってか
前半の道具屋とのやりとりや、2人の会話がハマらない。
後半の兄貴の家でのやりとりはリズムも良く少しはウケていたが、
全体の笑いの量が全く足りない。
「家見舞」としてはダメでしょう。
まあ、この人だけではなく、
夜の部のその前の2席(前座・金兵衛)が
空気を重くしてしまったせいでもあるが。


「子ほめ」(さん喬):○

マクラからして、夜の部で別格やね。
世辞のマクラできちっとウケさせ、
ネタも適度に端折りつつ、
登場人物の自然な動きの中でウケをとる。
(何気なく子どものお腹を押す、とか)


「宮戸川」(花緑):△

マクラの世間話・雑談は噺家の雰囲気でまあ悪くない。
「男は女に勝てない」という話は語り過ぎ。
マクラで喋らずに、ネタの中で表現するべきだろう、と思う。

ネタは、お花・半七の言葉遣いが今の若者風
(それも、かなり偏見が入っている)でかなり違和感がある。
走っているときに帯をつかまれて回る、というのは面白かった。
突拍子がなさ過ぎて、すぐには伝わっていなかったが。
おじさんが飲み込むときに手をつける、というのも初めて見たが、
まあ、やってもいいかな、と思う。

上へ上がってからのやり取りも、
如何せん、言葉遣い・喋り方に違和感があって
そこが引っ掛かってしまった。
男が抱きつく、というところも中途半端。
もっと早い段階や全体を通しての「女の方が強い」仕込みがないので、
単なる飛び道具・パロディとしか感じられなかった。
筋が終わった後のうだうだ(尻に敷かれてこれが…というところ)も長い。
落語の世界を損なうだけ、損だと思う。

全体には、意外に聞けた(もっと酷いと思っていた)が、
わざわざ聞きたいとは思わない、という感じ。


久し振りに長時間の寄席で疲れた。
後輩諸師と飲んで、軽く食べて帰った。
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「落語論」所感

2009年08月07日 08時49分21秒 | 落語・講談・お笑い
「落語論」(堀井憲一郎)読了。

※画像をクリックすると、「楽天」のページに飛びます


「本質論」「技術論」と並んで、
「観客論」という視点を取り上げるところ、斬新で面白かった。
内容・書き方については賛否や好き嫌いがあるだろうな。
全体に、ロジカルに深く詰められている訳ではない。
ただ、それはこの本の目的でもないだろう、と思う。

私は、全体的には書かれていることに同感。
部分部分では、「それは言い過ぎでは?」とか
感じる部分はあったが。
特に
「落語の評論は、すべて嫉妬から生まれる。」
というところ。

私は自分が書いていることについて、
「嫉妬」は自覚していないなあ。
(そもそも私が「評論」を書いているか、というと、
 せいぜい「感想」だろう、という自覚はあるのだが)
「自分が演じるのであれば、こうやるだろう」という思いが、
書いている内容のベースにあるのは確かだが。
ただ、「自分が演じるのであれば」ということすら、
あまり一般的なベースでないと思う。

今の点もそうなのだが、
読みながら疑問に思っていたのは、
「彼は、誰に向けてこの本を書いたのだろうか?」ということ。
私は「自分宛」と感じたのだが、
落語をあまり見たことがない人に対しては
ほとんど伝わらないだろう、と思う。
(ふーん、そんなものなのか、という程度の理解になると思う)
結局、何か
「落語を聞いて、感じたことを発信する人」に対して、
新たな視点を提示したり、制約や限界を示そうとする本、
という感じがする。
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加害者は自分を正当化したがる

2009年08月06日 08時19分09秒 | 社会
原爆投下「正しかった」が6割 米世論調査 - MSN産経ニュース

私からすると
「何を言ってやがんだ」という感覚。

東京大空襲もそうだが、
非戦闘員を標的とした無差別な殺戮行為であり、
当時でも国際法違反だろう、と感じる。
加害者側は
「広島は軍事都市であり、
 そこを壊滅させるために新型爆弾を使った」
てな理屈を使うのかも知れないが。

そして、こんな回答をする連中は、
原爆資料館にも行っていないのだろうし、
原爆の惨状も知らないのだろう。
大統領に対しても「広島に行くな」と言っているようだし。
しかし、実際の被害を見たり、
今の歴史学でどのようなことを言われているか
(終戦後のソ連との関係において優位に立つためのカードとして
 原爆を投下してみせた)
を知ったりした上でもそのように思うのかどうか。
無知だから自分の思いたいとおりに思っている、
世界を知らない子どもと同じ。

しかし、このような信仰を持つのは
何もアメリカ人だけではなく、
日本人の中にもいらっしゃる訳で。
「重慶爆撃は軍事施設を標的にしたものだ」とか
「他国がやったから日本もやった」とか
南京での虐殺事件を一切なかったことにする姿勢とか
強制連行や従軍慰安婦といった存在する事実を
自分たちの加害行為だから、といって教科書に載せないとか。

結局、どこの国でも加害者は
自分のやったことは正当化したいし、
できれば「なかったこと」にしたい。
当然謝罪なんかしないし、国の代表者にさせたくない。
しかし、やったことはやったこととして受け入れ、
それが誤った行為であれば謝罪したり、
自分たちの指導者に謝罪させたりするのが
成熟した「大人」のやるべきことなのでは、と思うのだが。
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加盟店オーナーは労働者なのか?

2009年08月05日 08時00分36秒 | 法・裁判
# タイトル直しました。

セブン─イレブンのオーナー有志、労組結成(読売新聞) - goo ニュース

労働組合法上の「労働者」の定義は、
「職業の種類を問わず、
 賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。」
というもの。

コンビニのフランチャイズ契約は
基本的に売上は加盟店のものになり、
そこから(多額の)ロイヤリティや売上の一部を本部に徴収される、
という形だと思うのだが、
その差額を「賃金、給料」と言えるのかどうか。
ちと違和感があるのだが。

ただ、加盟店が「労働組合」の形をとったのは、
交渉要求に対して
本部側がきちんと応えてこなかったからだろう。
「労働組合法」による「労働組合」と認められれば
団体交渉に応じざるを得ない。
本部側が逃げてきたことが、この状態を生んだのでは、と思う。
そういう点からは、「労働組合」の形もやむを得ないか。

しかし本来の形としては、「労働組合」ではなく、
大きな事業者に対して、
不当に不利な条件で契約を結ばざるを得ない中小事業者が、
条件交渉したり撤回を求めたりできる枠組み・根拠を作り、
それに則るのが良いように思うなあ。
「下請法」の改正・拡張とか。
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房総小旅行

2009年08月04日 09時05分23秒 | 
日、月と房総に出かけた。

日曜は
知人が館山で演奏会に出るのでそれを見て、
茂原で宿泊。
# 演奏会は「コバケンとその仲間たちオーケストラ」というもので、
 特に演奏以外の部分でいろいろ思うところがあったのだが、
 書く気になればそのうちに。

月曜は(あまり寝られなかったこともあり)始発で出た。
少し千葉方面に戻り、途中で乗り換えて大原へ。
選挙前らしく、駅前でビラを配っていた。
受け取らなかったが。

大原からいすみ鉄道に乗る。1両のレールバス。
以前乗った北条鉄道程ではないが、
若干ローリングする感じがする。

【いすみ鉄道】



予定より2時間ほど早く動き出しているので、
見直しのために車内で時刻表を見たが、
上総中野で小湊鉄道の便がなく、
結局元の予定通りになってしまうことが分かった。
3時間も1箇所で待つのは飽きるので、
とりあえず途中の大多喜で降りた。

降りてから知ったのだが、
大多喜には城があった。
城めぐりも片手間程度にやる私としてはラッキー。

資料館になっているという城に向かって
上り坂を途中まで行ったが、
月曜で資料館が休み、ということもあり
結局城の前までは行かず。

【大多喜城を遠くから】



駅に戻り、次の列車で上総中野へ。
小さな駅で、駅前に特に店もなく、
待合室で本などを読んで時間をつぶす。
見知らぬ女の子(小学生)が話し掛けてきたので
その相手をしたりしていた。

【上総中野駅】



2時間ほど待ち、小湊鉄道に乗る。
2両編成のディーゼルカー。
線路の状態・車両の状態とも、いすみ鉄道に比べて良い。
最初は山の中、途中からは田園地帯を走っていく。

【小湊鉄道】



五井から木更津に出て、久留里線へ。
これも2両編成のディーゼルカーで、
田んぼの中をのんびりと走っていく。
沿線に学校があるようで、中学生・高校生がけっこう乗っている。

途中の久留里で降りる。
ここも城があるらしい。
歩いていくには少し距離があったので行かなかったのだが、
無理して(タクシーででも)
行っておけば良かったか。

次のディーゼルカーで上総亀山へ。
1両目が旧塗色に塗り替えられたキハ30だった。
恐らく、乗るのは初めて。
扇風機は廻っているが、もしかして非冷房車?
少し暑かったが、
ディーゼル機関の馬力をかける苦しそうな音を聞いて楽しんでいた。

【久留里線のキハ30】



ここでも折り返しに1時間ほど待たされるので、
亀山湖とやらに行ってみた。
まあ、ダム湖で特に綺麗、というものでもなかった。

あとは同じ列車で木更津に戻り、
軽く食べ、総武快速・中央線の快速で帰って終わり。
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上方落語勉強会

2009年08月02日 08時28分40秒 | 落語・講談・お笑い
金曜は京都へ行き、「上方落語勉強会」へ。
そこそこの入り。


「手水廻し」(そうば):△-

うーん。雀々くさい。
あちこちの科白で違和感がある。
雀々ならばそれも含めて独特の空気があって
それなりに調和する(好きではないが)のだが、
そんな空気もないので単に違和感が残るだけ。


「竹の水仙」(壱之輔):△

梅団治からかなあ。
サゲは変えていた。
宿屋の亭主は割と良かった。
甚五郎や越中守はイマイチ。

水戸黄門のマクラは良かったと思う。
「左甚五郎」と明かすのと印籠を出すのは同じようなものなので、
客の頭に何とはなしに設定を作れていた感じがする。


「お題の名付け親はあなたです ~ バーバーたかだ」(三喬):△+

くまざわあかねの新作。
上勉では「月に群雲」を作ってもらっているので、
「同じように営業できるネタになれば」なんてことを言っていた。

ただ、このネタはそう頻繁に使えるネタにはならないと思う。
「月に群雲」(これはほぼ古典の空気)に比べて、
「若干古い新作」の雰囲気が強い。
よくウケていたが、科白・言葉の「目新しさ」でウケている感じ。
科白として、「商店街のお付き合いが大変」といった話が多く、
それはサゲへの設定上の仕込ではあるのだが、
少しくどく感じた。


「肝つぶし」(米二):△-

声があまり出ていない。
科白が雑。不要な科白が多く感じた。
妹と飲むところ、既に「殺す」つもりだと思うのだが、
そのハラが薄い。
全体に、伝わってはいるが、
緊迫感が作れていないので、サゲの「緩和」でウケない感じ。


「船弁慶」(しん吉):△

吉朝に声から似ている。
マクラの話、卑怯なクスグリ(リアクション)なども吉朝っぽい。

喜六の雰囲気が良い。
その「怖がり方」から
さらにお松さんの恐ろしさが強調されていた。

ただ、喜六・清八の二人が家を出るまでが長いな。
丁寧に話していた、ということだと思うが
少ししんどい。

氷屋はごく真面目な感じで話しかけており、
二人とのギャップが面白かった。

船に乗ってからはリズム良く、
ベロベロになって、脱いで踊って、お松さんに見つかって、というところを
運んでいっていた。
少しトチリもあったが、知盛と弁慶の仕草もきっちりしており、まあまあ。
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