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戦争の「痛み」なく放たれる暴言

2009年05月27日 05時30分18秒 | 政治
敵基地攻撃 麻生首相「法理上はできる」(朝日新聞) - goo ニュース

どんな法理で「できる」と言っているのか理解できない。
憲法第9条で「戦争を放棄」していることに違反しないのだろうか。
「他国の基地を爆撃する」ことは攻撃行為であり、
報復を呼び戦争につながるのは自明だと思うのだが。
それとも、報復できない程徹底的に叩く、とでも言うのか?

身に沁みた敗戦の「痛み」を背景とした
戦後の「戦争をしたくない」想いをあっさり放棄して、
「攻撃すればいい」と単純に考えるあたり、
何か具体的に「戦争」を思う想像力の欠落を感じる。
血が流れる、とか、人が死ぬとか傷つくとか、苦しむとか、
そのあたりの「痛み」が感じられないようだ。

湾岸戦争で、ゲームのように対象を爆撃する映像を見せられたが、
そのあたりからか、照準の先で苦しむ人間の姿が捨象され、
戦争が仮想空間の「遊戯」として扱われているように思う。

しかし、それでいいのか?
「痛み」を感じるのは国民だろう。
国家の舵取りをする側がその「痛み」を想像せず、
戦後の基本的に「話し合いで進める」ことを良しとする価値観を
放擲して話を進めてしまうあたり、
薄っぺらくて恐ろしい。

国民の「痛み」を政策に反映させず、
核開発に血道を上げるキチガイ国家と
同じレベルで思考してどうするんだ。
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