「働きづめ」で得るもの、失うもの:日経ビジネスオンライン
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読んでの第一感は、「お前が言うな!」だった。
そんな社会にしたのは日経、お前だろう、という感覚。
# 様々な思い込みの下、いろいろ迷い、矛盾を孕みながら書いていくので、
何時にも増して論旨が分かり辛くなるかも知れませんが、
ご寛恕あれかし。
女性は「産む」ことと、現在の評価基準の下での「出世」との踏絵を
明示的・暗黙の内にどこかで迫られることが多いと思う。(必ず、とまでは言わないが)
「産んでもいいよ、休んでもいいよ、でも出世は遅れるよ」と囁かれる。
出世するためには「男性並み」であることが求められる。
男性はそんなことはない。
「産ませるか、出世するか」なんて二者択一にはならない。
これは、状態として不平等。
そこで「生物学的に、男性は産ませる性で女性は産む性なのだから当然」と言い切り、
「男は仕事、女は家庭」と叫ぶのは一つの解決策だが、
私はそれは正しくないと思う。
近代社会で「個人の自立」「選択の自由」を謳う中で、
選択に係る差異はできるだけ小さくすべきだと思う。
# とは言いつつ、克服し切れない点は残るよなあ、という迷いはある。
男性に「生理休暇」はあり得ないし。
その小さくする方法の一つとして、
今「男性並み」を求めている基準を見直すことが有効だと思う。
例えば「求められれば深夜まで働かなければならない」とか
「休暇を取ってはいけない」という基準は
企業社会が男性のみで構成されていた時代の基準。
この基準を見直し、子どもを産む女性が達成しやすくすることで、
「産む」ことと「働き、出世する」ことの両立の困難さがマシになる。
基準見直しを正当化する一つの理由として、
この基準のせいで、男性が(産むわけではないが)家庭と仕事を両立させづらくなっている、
と言うことができる。
それが最近男性も含めて「ワークライフバランス」と言われていることだろう。
こんなことを考えていくと、日経が言っていることには矛盾があるように思う。
一方で「ワークライフバランス」と言う。
残業時間削減の一つの方法は、割増率を上げることだが、
他方、日経はこれに反対している。
あるいは「裁量労働制をもっと導入せよ」と言っているが、
それは結局、大多数の労働者にとっては、長時間勤務・労働の高密度化につながり、
疲弊して「ワークライフバランス」どころではなくなるのではないか。
また、女性の選択をシビアにしている一つの要因は、
「出世」を選択し、正社員として継続する場合と、
「出産」を選択して、後にパートタイムとして働くことで
処遇が著しく異なる(社会保険とか)ことにあると思うのだが、
日経って、パートタイムへの厚生年金適用とか、反対しているよな?
もっと言えば、今の従業員使い捨て、現場の余裕の喪失の背景には
「収益主義」「株主至上主義」があると感じているが、
その方向に誘導したのはそもそも日経だろう。
そのあたりの矛盾から偽善を感じ、
「お前が言うな!」と脊髄反射で思ってしまったのだろう。
問題提起としては良い記事だと思う。
もっとも、この事例は「ワークライフバランス」以前の問題だろうが。
# 一番の「ワークライフバランス」実現への近道は、
落語のマクラで(ギャグとして)言われるところの
「男の子は男性が産み、女の子は女性が産む」
ことを可能になるような技術革新ではないか、なんて思ったりして。
# 別件。
「ワークライフバランス」て、違和感のある表現。
「ワーク」だって「ライフ」の(けっこう重要な)一要素だろう。
そのバランスって?
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読んでの第一感は、「お前が言うな!」だった。
そんな社会にしたのは日経、お前だろう、という感覚。
# 様々な思い込みの下、いろいろ迷い、矛盾を孕みながら書いていくので、
何時にも増して論旨が分かり辛くなるかも知れませんが、
ご寛恕あれかし。
女性は「産む」ことと、現在の評価基準の下での「出世」との踏絵を
明示的・暗黙の内にどこかで迫られることが多いと思う。(必ず、とまでは言わないが)
「産んでもいいよ、休んでもいいよ、でも出世は遅れるよ」と囁かれる。
出世するためには「男性並み」であることが求められる。
男性はそんなことはない。
「産ませるか、出世するか」なんて二者択一にはならない。
これは、状態として不平等。
そこで「生物学的に、男性は産ませる性で女性は産む性なのだから当然」と言い切り、
「男は仕事、女は家庭」と叫ぶのは一つの解決策だが、
私はそれは正しくないと思う。
近代社会で「個人の自立」「選択の自由」を謳う中で、
選択に係る差異はできるだけ小さくすべきだと思う。
# とは言いつつ、克服し切れない点は残るよなあ、という迷いはある。
男性に「生理休暇」はあり得ないし。
その小さくする方法の一つとして、
今「男性並み」を求めている基準を見直すことが有効だと思う。
例えば「求められれば深夜まで働かなければならない」とか
「休暇を取ってはいけない」という基準は
企業社会が男性のみで構成されていた時代の基準。
この基準を見直し、子どもを産む女性が達成しやすくすることで、
「産む」ことと「働き、出世する」ことの両立の困難さがマシになる。
基準見直しを正当化する一つの理由として、
この基準のせいで、男性が(産むわけではないが)家庭と仕事を両立させづらくなっている、
と言うことができる。
それが最近男性も含めて「ワークライフバランス」と言われていることだろう。
こんなことを考えていくと、日経が言っていることには矛盾があるように思う。
一方で「ワークライフバランス」と言う。
残業時間削減の一つの方法は、割増率を上げることだが、
他方、日経はこれに反対している。
あるいは「裁量労働制をもっと導入せよ」と言っているが、
それは結局、大多数の労働者にとっては、長時間勤務・労働の高密度化につながり、
疲弊して「ワークライフバランス」どころではなくなるのではないか。
また、女性の選択をシビアにしている一つの要因は、
「出世」を選択し、正社員として継続する場合と、
「出産」を選択して、後にパートタイムとして働くことで
処遇が著しく異なる(社会保険とか)ことにあると思うのだが、
日経って、パートタイムへの厚生年金適用とか、反対しているよな?
もっと言えば、今の従業員使い捨て、現場の余裕の喪失の背景には
「収益主義」「株主至上主義」があると感じているが、
その方向に誘導したのはそもそも日経だろう。
そのあたりの矛盾から偽善を感じ、
「お前が言うな!」と脊髄反射で思ってしまったのだろう。
問題提起としては良い記事だと思う。
もっとも、この事例は「ワークライフバランス」以前の問題だろうが。
# 一番の「ワークライフバランス」実現への近道は、
落語のマクラで(ギャグとして)言われるところの
「男の子は男性が産み、女の子は女性が産む」
ことを可能になるような技術革新ではないか、なんて思ったりして。
# 別件。
「ワークライフバランス」て、違和感のある表現。
「ワーク」だって「ライフ」の(けっこう重要な)一要素だろう。
そのバランスって?