城郭探訪

yamaziro

片岡城(片岡環壕) 近江国(草津)

2013年06月07日 | 平城

片岡環濠:片岡町一帯を水路が巡ります。

別 名:片岡環濠集落

所在地:草津市片岡町 map:http://yahoo.jp/ZEq-sL

区 分:平城(環濠集落)

遺 構:堀(環濠)

築城期:

築城者:片岡氏

城 主:一説では近藤経繁が初代

訪城日:2013.6.7

お城の概要

 片岡町一帯を水路が巡ります。また、片岡町の隣の下寺町にある観音堂は織田信長の兵火にも残ったと説明板にありました。さらに、片岡町の北側は片岡城と言われます。

片岡は集落全体を複郭的に水路で囲んだ環濠集落となっており、土塁跡と思われる藪が随所に残る。 城域は集落の北端にあったとされる。


お城の歴史

近江(滋賀県)在住の豪族で、その当時は片岡を名乗っていなかった模様で、一説では近藤経繁が初代片岡のようです。

片岡氏代々の居城で、 片岡氏は平安時代末期に上野国に下向した近藤氏の一族とされる。

朝廷より上野(群馬県)平定を指示され下向し、そのまま領地を拝領しその地の地名をとり片岡と名乗ったようです。片側が丘、片側が沼地であったことから片岡という地名だったとの記述も見つけました。

 その後も朝廷を支持し、時の平家に仕え壇ノ浦へ従軍したが敗北。遠縁を頼り四国へ逃げ込み定住した模様です。
仁淀川にはその他の平家落人も流れているらしく、近辺は京都の地名が散見。仁淀川も、淀川+天皇家名お決まりの「仁」。つまりは落人が絶対に見つからないほど辺鄙なところということだと思います。

  室町時代の後半の戦国時代では戦乱が多発し、農村では集落を守るために周囲に堀(環濠)を巡らして襲撃に備えるところが現れ、中世の環濠集落として現在も各地に点在している。有力な仏教寺院が中心に存在し、規模が大きくなる場合は「寺内町」となる。

聖徳太子伝説をもつ観音堂(下寺町) 片岡町の隣の下寺町にある観音堂は織田信長の兵火にも残ったと説明板に

 片岡町の北側は片岡城と言われます。

紫雲山 西念寺 宗派  真宗仏光寺派  所在地 草津市片岡町426

IMG_5876.jpg重厚な門構え、すばらしいです。まるで大名屋敷の門構えです。堂々たる武骨感たっぷりの太鼓門です。とにかく路地を曲がって目に飛び込んできたときの驚き。「お寺の中でお寺を忘れた」感じ。

         

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!