「建部伝内屋敷」の伝承
石碑
・・・・木流町会議所周辺・畑地
お城のデータ
所在地:東近江市(旧神崎郡五個荘町)五個荘木流町 map:http://yahoo.jp/RPrart
遺 構:石碑・五輪塔 伝内屋敷の伝承地
築城期:室町期
築城者:建部伝内
区 分:居館
訪城日:2013.6.6
お城の概要
箕作城(清水山城)の東山麓集落で、下屋敷としての機能していたかは、東側の河川を堀に。
観音寺城・箕作城と東山道(中山道)の抑える重要な拠点に位置する。
お城の歴史
『淡海国木間攫』には、「神崎郡 木流村 古此所ニ建部伝内ト云人居住ス、筆道ノ達人ニシテ伝内流ノ元祖也、古屋敷跡今残レリト云」と記す。
建部氏
戦国時代後期の建部寿徳(高光)は、近江六角氏(佐々木嫡流)に仕えていたが、六角氏が没落した後は織田信長に仕え、中川重政、丹羽長秀の下で吏僚として領内統治に辣腕を振るった。
本能寺の変で信長が死去し、長秀もまもなく没すると羽柴秀吉に仕え、尼崎の統治を任されるなど重用された。
いわゆる豊臣恩顧の一族で、関ヶ原の戦いの際には西軍に属し一時所領を没収されたが縁戚の池田輝政の執り成しによって許され改易を免れた。
寿徳の子の建部光重は豊臣秀頼の近習であったが、光重の没後に家督を継承した建部政長は大坂の陣では徳川氏に味方し功績を挙げ、戦後、池田氏の縁家として大名として復帰を果たした。
江戸時代を通して摂津尼崎藩、のち播磨林田藩の藩主家となる。明治維新の後は華族に列し、子爵を賜った。
集落が木流町。ここの中心部分の法蓮寺の前周辺が城址。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、遺跡ウォーカー
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