城郭探訪

yamaziro

鎌掛城・・・残念!再チャレンジ

2013年06月14日 | 平城

車で行けそう!

イメージ 3この先は林道で。 方向転換大変なので・・・バックで ここまで戻ってきました。   
イメージ 4 イメージ 5
山道を歩きはじめて
イメージ 62分くらいで屏風岩の看板。
右に行く、鎌掛城跡へ。
 
城郭の概要
 
所在地:滋賀県蒲生郡鎌掛   map:http://yahoo.jp/_DKQXF
 
築城期:室町期(大永3年(1523))
 
築城者:蒲生秀紀
 
区 分:山城
 
遺 構:土塁、堀切、井戸、郭、竪堀、櫓台
 
城 域:150~300m×30m
 
訪城日:2013.6.14
 
 
蒲生氏の紋

対い鶴
 
  
鎌掛城・・・ 蒲生秀紀 1523年(大永3年)築城。
 
秀紀は叔父高郷により毒殺され、廃城となった。
 
永正10年(1513)蒲生貞秀の死後、蒲生家は家督争いから内訌に発展し、大永2年(1522)蒲生高郷は観音寺城の城主・六角定頼の援けを得て、甥の秀紀の居城・音羽城を攻めた。

 秀紀は8ヶ月におよぶ籠城の後に降伏し、定頼の調停で両家分立とした。その後、秀紀は音羽城を破却して鎌掛城を築き、高郷は中野城を居城とし、蒲生氏は二家に別れることとなった。

 大永5年(1525)秀紀の叔父高郷と、その子定秀は、鎌掛城の秀紀を毒殺することを企てた。禅憎祥善に毒を飲まされた秀紀は、自ら腹を切り池に落ちて死んだといわれている。
 鎌掛城は築城後わずか3年たらずで廃城となった。

 
イメージ 7 これを、右手に  
    
  
      
灌漑用のダム湖
  
 17:30・・・ちょっとヤバイ、次回へと残念引き返し
    
砂防工事で、遺構が!大丈夫だろうか?心配!
 
鎌掛 山屋敷の土塁です
 
次回、再チャレンジしましょう!

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査

本日も訪問、ありがとうございました

 

三雲館 近江国(甲賀・甲西)

2013年06月14日 | 館跡

  

城郭の概要

所在地:湖南市三雲 map:http://yahoo.jp/DRn0-a

別 名 : -

築城者:三雲氏

初城主:三雲氏

区 分:館

遺 構:土塁

目標地:永照院

訪城日:2013.6.14

現地の状況

 竹藪の中、50m×50m程度の範囲が館跡と推定されが・・・・。

15m×15m×20m程の三画を残すのみ、藪の中に土塁が、ここが主曲輪と思われる。

 館跡の東側は元々竹藪であったようだが、宅地として開発されており。三雲館も開発されて、宅地になってしまう日も近いかも知れない。

三雲館から南に位置する永照院墓地には、三雲氏代々の墓がある。

歴 史

三雲氏の起こりは、明応年中(1492~1501)新左衛門実乃が甲賀郡下甲賀を領し、三雲氏を名乗ったことによる(寛政重修諸家譜)。

 その後、甲賀五十三家の一つに数えられ、近江国守護職六角氏の旗頭、軍代を務めた。

三雲館は三雲氏の居館で、ここから2kmほど北西に位置する山頂に詰め城「三雲城を本城」としている。

   

 

     

三雲氏代々の墓地永照院墓地には、三雲氏代々の墓

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!