考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

仏教の教えとイマドキの高校生

2012年08月30日 | 教育
 仏教は、けっこう欲望が深い人を対象にした宗教だろうなぁと思うことがある。たいていの宗教がそうだろうけど、まあ、大昔が貧しかったからだろうけれど、煩悩が多いことを苦にするのも、「欲望がある」という前提があってのことだ。でも、ともすると、社会が豊かになってくると、何も望まなくてもたいていのことは、ちっぽけな自分の思うがままになる。それなりに恵まれている、イマドキの生徒の毎日の生活がそうだ。「あなたは何をしたいの?」と問われて、問われるから彼らに「煩悩」が生じるだけの話で自分は何も考えない。その意味で、今の若い人は、けっこう仏教的な精神を持っているのかなと、真面目な人が聞いたら怒り出しそうなことも思ったりする。この意味で、何も考えない生徒にせっせと煩悩を背負い込ませるのが教員の仕事なのかなぁ。その意味で、煩悩を背負い込むことが「大人になる」ことなのかなと思ったりする。

 と書くと、それぞれ生徒は、悩みや苦しみを持っているものだ、と言われそうだ。もちろんその通りである。でも、なーんにも考えていない幸せな子もけっこういるものさ。