考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

アマゾン(?)の未開民族が胎児を食べないワケ

2009年07月14日 | 教育
 狩猟採集生活をしている未開民族は、捕らえた動物の胎児を食べない。彼らはそれを森に返すと言う。
 最初、私は、これを人間である特質であると思った。我々は、包丁を使うとき、包丁で切れるからといって、何でも切ろうとするわけではないことと関連づけて考えた。
 しかし、ふと、次のように思った。

 ひょっとしたら、胎児とはものすごく美味いのではないか? 一度その味を覚えた者は、繰り返しその味を求めるだろう。子を孕んだ雌を狙って狩りをするようになるのではないか。だとしたら、森の動物の再生産力は低下する。子供が生まれなくなるからだ。森がやせると、人間も生き残れない。胎児を食べないのは、自らのためにもなるのだ。

 人間の欲望は限りがない。未開民族は、それを知っているのではないか。だから、欲望をかき立てないように、かき立てないことで自らが森の恵みによって何世代にも渡って生き続けることができるように、胎児を食べることをタブーとして森に返す。

 もしこれが真実だとしたら、タブーとて基盤は身体的物理的事項に起因するということだろう。養老先生風に言うと、脳は身体に支配されているということなのかな?

 以上ただの思いつき。(いつもそうだけれど。)