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考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

本を並べ替えた

2007年04月04日 | Weblog
のが、自分の本棚でなくて、本屋の本棚。(笑)
 友人の本が縦置きだが表紙が表向けで他の本と共に並んでいたのだが、友人のは端にあって垂れ下がったモノの陰に入って表紙がよく見えない。トナリに同様に並んでいたのが、有名作家の本。帯は写真入りだ。このままでは友人の本のアピール力が弱くなる。ちょっと入れ替えさせてもらった。有名作家の写真はそれでもよく見える。写真がアピールし、有名作家の本も売れ、表紙がよく見える友人の本もよく売れるだろう。本屋の売り上げはこれで更に伸びるはずである。
 「考える人」を買いに行ったのが(もちろん養老先生「万物流転」目当て。)、まだ売ってなかった。4日発売だったっけ?

 新学期が始まって忙しい。下手したら、1週間の予習、11時間分が必要なようだ。とにかく予習が忙しくてブログを書くヒマも元気もない状態です。長文エントリーは、ますます長くなる一方で、1万字を越えそう。(gooって1万字までなんだよね。)ダラダラしたところも多いから推敲が必要でもあるし。(って、今まで書いていたことと大して変わらないのだけれど。)
 このところ、何も書いてなくて済みません。


自分の能力

2007年03月12日 | Weblog
 ひょっとしたら、私って、抽象化能力はそれなりに高いのだろうけど、自分が思っている内容を表現できるほど言語能力が高くないから、なーーーんか、収まりが悪いというか、表現しきれない思いがもの凄く強く残るのよね、と思い至った。

 終わり。


偶然は必然かもとか(ゴミ)

2006年12月28日 | Weblog
 高校の同級生の2人だが、一人が私が最近偶然知り合った人と会ったということで驚き、もう一人はその人の仕事がこれまた私の近く(学校のことじゃない)でちょっとばかり関係があるのがわかって驚いた。で、昔、能楽堂で知り合った人があるところに文章を書いているのを発見し、そしたら、その頃は知らなかったが、多少私とご縁?があることがわかったもので、まあ、こっちも多少伝えたいこともあったから久しぶりに年賀状を出した。
 う~ん。。。世間は狭いものでもあるし、ここまで偶然が重なるとちょっとわくわくする。

 「考える人」万物流転の養老先生は、やっぱりアタマが良い。今回感心したのは、「『同じ』と『似ている』の違い」 私は、「同じ」と「似ている」を同じように扱ってしまっているけど、養老先生は、異なることとして捉える。Sameとidenticalの違いを考える。いずれにしろ、感覚と抽象の行ったり来たりに関係する。
 にしても、他にちょっと考えることがあったのだが、感覚と抽象という捉え方は万能である。うん、何にでも使えるよ。便利♪

掲示板その3

2006年12月10日 | Weblog
 またまた新しいのを作りました。もしよろしければ、適宜お使いください。
 私の新規記事がでたら、この掲示板は、以降、新規記事の次に置いていこうと思います。
 短文・長文コメント、何でも結構です。どうぞ皆さんお気軽にお使いください。

ブログ開設丸2年

2006年11月20日 | Weblog
 今日でブログを開設丸2年、3年目に突入しました。
 1年前にも書いた気がしますが、書くタネが尽きると思いきや、よく尽きなかったなぁと。不思議。昨日だって、さすがにもう、書くことないと思ったのですが、というか、書こうと思うと大変過ぎて書けないことは、まあ。あるのですが今のところは書けていない状態です。でも、内田先生に触発されて、とにかく記事は書けてしまった。TBまでしてしまった。

 毎日学校に行ってると、なんやかんや起こるから、いろいろ考えることが生じてきます。ブログのお陰で私は大分助かってます。私の脳味噌浄化機能を果たしてくれるからです。皆さまのおかげです。ありがとうございます。

 この2年で、大分脳味噌の整理がつきました。自分の考え方の骨子が出来た感じがしてほっとします。生徒への説教もラクになりました。(笑)基盤を持つというのはいいですね。受け売りもありますが、自分で論理的に納得した上での受け売りだから、それなりに自信と確信を持って話すことが出来るのです。ウチの生徒は、自信たっぷりの人に弱いので(笑)良かったです。まあ、大抵、誰としゃべってもたぶんそうは負けないと思う。

 上記の「大変過ぎて書けないこと」は、「わかりやすい授業」についてです。まだ気になることがあって、しつこく考えてます。もうちょっと視点を整理して考えたいと思っています。集団と個の関係と、知と情の関係ももっと考えたいです。「下手な考え休むに似たり」といいますが、今後も時々読みに来てください。よろしくお願いします。

 ものを考えているとき、同時に自分の脳味噌の程度がどうせ大したことがないとわかっています。それでも、考える。養老先生や内田先生の書いていることを私なりに解釈する。そうすると、わかることとそれでもわからないことが出てくる。まあ、でも、それが私の脳味噌なのだから、それで仕方がない。

 生徒が勉強をするのも同じではないかと思います。特別にアタマが良くなくても勉強をする。この意義は、アタマが良い人にはきっとわからないだろう。(笑)

 けれど、アタマの良さは、否、人間の能力は全て程度問題でしょう。あくまでも相対的にどうであるかの問題に過ぎない。人と比べてだったとしても、過去の自分と今の自分にしても、程度問題に過ぎない。どんなに能力の高い人も、絶対的に高いわけはない。だったら、誰だって同じなのですよ、ホントのところは。だから、人間が生きてるってのは、過程だと思うんです。(ちょっと飛躍はあるが。笑)

 というわけで、まあ、自分でもよくわからんが、これからも考えたことを書き留めていこうと思っています。お時間ありましたら、また読みに来てください。よろしくお願いします。


久々の長文

2006年09月02日 | Weblog
 あー、やっと書けた~~。
 読んで下さいました皆様、ありがとうございます。ホントにほっとした。これで、自分が何を考えているのかがかなりわかった。って、変な言い方かもしれないけれど、アタマの中で糸がこんがらがっているようで、ほぐしたかったです。アタマの中は立体構造で、文章は1本の時系列に沿った糸だから、ほぐすの、難しいんです。
 もちろん、考え方の基本には、養老先生がいます。養老先生の唯脳論から昆虫採集する養老先生とか。言い方を変えると、私の作文は、私による養老先生理解の方法です。
 まだ、意味探索能力と作業能力のベクトルの課題があるのだけれど、抽象化と絡めて、何とかそれなりにきちんとまとめて文章化したいなぁ。突破口が問題なんです。そうそう、糸の端っこを捜す作業ね。

 いろんな記事は、本当は、もっとちゃんとした文章で書けると良いのですが、元々が文才がないのでなかなかです。それなりに努力してるつもりはあるのですが、以前書いたとおり、私が最初にした作文練習は、高校英語の和訳だったですからしれてます。

 今日、ちょっと片づけてたら、20年ほど前?のノートが出てきて雑文が書いてあったりしましたが、骨子は今と変わらない。考え方って、案外変わらないんだね。

 読書無しの土曜日でした。お休みなさい。