「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

女子サッカーの歴史と差別の歴史<2023年8月

2023-08-06 21:16:56 | 歴史

ワールドカップ
女子チームは、ノルウエーに3-1で勝利して準々決勝(ベスト8)進出を決めました。次は、アメリカVSスウエーデンの勝者との激戦です。ここで、もし勝てば2回目の優勝も見えてきます。

女子サッカー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC

『女子サッカーはその存在を認められるため、長きに渡り苦闘を経験してきた。1920年代初頭、イギリス国内で女子サッカーが最初の黄金時代を迎えていた時代、いくつかの試合では50,000人を超える観客を集めていた。しかし1921年12月5日、イングランドサッカー協会において会員であるクラブによる投票が行われた結果、1971年7月にこの決定が撤回されるまで、女子サッカーはイングランド国内において排除されることとなった。』
『イングランド史上初の女子サッカー公式戦は1895年にロンドンで行われた。』

このころが女子サッカーの芽生えた時代です。
その後、第1次世界大戦が勃発しその戦争の間に女子サッカーはヨーロッパで広がっていきます。

しかし、その流れを妨害したのが・・・
『「サッカーは女性のからだに有害」という根拠の薄い理由付けにより不当な扱いを受け、さらに1921年にはFAが女子チームに対してグラウンドの貸し出しを禁ずる命令を通達。そのため一時は試合どころか練習会場すらままならない状況が続いた。』
このような偏見と差別です。
女子サッカーの歴史は、偏見と差別との闘いとも言えます。

第2次世界大戦後もその流れは続きます。
しかし1950年代に男女同権の流れが世界に浸透し始め、1960年代にはアメリカ合衆国でウーマン・リブが興るなど女性に対する社会の風潮が変わり始めると徐々に女子サッカーが浸透し始めました。

共産主義国では、元々男女同権ですから東ヨーロッパの国々では女子チームが作られて女子サッカーが浸透していきます。
東アジアでも台湾、シンガポール、タイ王国で女子サッカーが盛んになり、女子のスポーツとして大きく浸透した。

頭の頑迷固陋なヨーロッパのサッカー関係者が・・・
『1970年、FAは女性に対するグラウンド使用禁止の通達を破棄。』
1971年には国際サッカー連盟(FIFA)が初めて公認した女子代表の国際試合「フランス対オランダ」が行われました。

女子サッカーの偏見と差別が撤廃されるまでに50年近い歳月が必要でした。差別と偏見の酷さには、呆れるばかりです。
これが先進国である国際サッカー連盟(FIFA)が行ってきた事です。頑迷固陋!差別と偏見そのもの!

そのFIFAは、女子ワールドカップを創設して早速、金もうけを始めました。

結果としてサッカーにおける男女平等は形式的には実現しました。
今は、男女同一賃金を求めて闘争中です。

※やはり男女平等を大きく妨げたのは、2度の戦争の時代だと思います。
例えば、日本でも大正デモクラシーの時代がありました。ドイツは、その当時今より民主主義的な国家であったかもしれません。
そんな時代が、ほんの短期間ありました。

女子サッカーの歴史となでしこ ― イギリスから世界に普及(1/2)
2021.08.20
https://kegenpress.com/women-football-history1/
なでしこリーグの歴史を知ろう 第2回「日本の女子サッカー」
2021年08月12日
http://www.nadeshikoleague.jp/serial/2021/0812_1520.html

『最近になって、約100年前の大正時代(1912~1926年)に、日本のあちこちで女性がサッカーをしていたという資料が発見され、注目されています。』

日本でも大正デモクラシーの時代には、女性がサッカーをスポーツとして楽しんでいた事が分かりました。日本の場合は、偏見と差別は殊更に酷く、それは軍国主義の台頭と供に封殺され戦後も長くその風潮が続きました。

戦後、初めて女子のサッカーの試合が行われたのは・・
『1966に兵庫県にできた2つのチームであることはよく知られています。ひとつは神戸市灘区の福住小学校の6年生女子26人でつくられた「福住女子サッカースポーツ少年団」、もうひとつが西宮市の神戸女学院中等部の3年生15人によってつくられたチームでした。
 この2チームは、翌1967年の3月19日に神戸市灘区、福住小学校のすぐ近くにある王子競技場で対戦しました。これがいま知られている日本の女子サッカー最古の「試合」です。主審と2人の副審(当時は「線審」と言いました)も、女性が務めました。』

このころからサッカーをする女性が増えていき、徐々に女性がサッカーをする事への偏見と差別が少なくなっていって現在に至っています。

最初、小学生の女の子たちがチームを作って試合をした時など、物凄く批判されたのではないかと思います。でも、それに負けず女子サッカーの関係者は努力を続けました。その結果として今の女子サッカーがあります。

この傾向は、日本のみならず世界的なものです。
偏見と差別が、いかに害悪のあるものであるかを証明しています。

しかし、サッカー以外の部分で偏見と差別は沢山残っています。戦争の時代がなければ、この偏見と差別は、もっと早い時代に克服されたと思います。戦争をする害悪は、現実に見えるものだけではありません。社会全体に害悪を及ぼすことが分かります。場合によっては、劣化と退化をももたらします。


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