「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

武道について考えてみると?①<2023年9月

2023-09-23 10:13:07 | 日本の社会

「日本には、武道がある」
普通、そう思いますよね?
その種類は?
剣道、柔道、空手、合気道?あとなにかな?

先日、合気道の演武動画を見ていました。
「よく、こんなことできるな?」
そのうち、沖縄空手の動画になりました。

かなり、いわゆる空手とは違うことに気が付きました。

剣道は、昔から「剣術」としてあります。侍が平和になると何か侍らしいことをしないと格好がつきません。だから常時、携帯が許されてる刀の技を学ぶことが盛んになったのだと思います。持っていても使い方が分からないと困りますもんね?
そこで刀の技を教える剣術道場が職業として成り立ったのであろうと思います。
すぐ、そこに精神性を付け加えて厳かなものにする傾向があります。
色々なのがありますから、差別化を図らないと道場が潰れるからです。
そうやって江戸時代は、剣術が盛んになりました。

本当は、侍の表芸は槍です。一応、槍術はありますが剣術に比べると有名ではありません。実際には、江戸時代以前は戦場の白兵戦の武器は槍であり、刀は持っているだけの副次的な武器でした。ところが戦国時代の強い侍の話を聞くと、一生懸命に槍術を学んだという話は聞きません。ほとんど実戦から学んで勝った武士が生き残る方式です。だから、練習は必要なかったわけです。生死をかけて戦ううちに自然に闘い方が身につく方式です。大体、槍術がなかったと思います。

剣術が出来上がってきたのは、戦国末期から江戸初期です。同じころに様々な武術が体系化されました。

つまり、武術とはこのようなものであり、「柔道、空手、合気道」が体系化されたのは、明治以降です。

柔道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%94%E9%81%93
嘉納治五郎先生が、体系化したものです。
そのもとになったのは・・
天神真楊流
起倒流柔術
この古武術から技を抽出して「嘉納流柔術」を提唱しました。これが、現在の柔道に発展しました。

合気道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%B0%97%E9%81%93
『武道家・植芝盛平が大正末期から昭和前期にかけて創始した武道。植芝盛平が日本古来の柔術・剣術など各流各派の武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直した、体術を主とする総合武道である。』

空手
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%89%8B%E9%81%93
空手は、沖縄で発展した武術で、日本本土に武術として伝えられたのは、明治時代になってからです。
沖縄空手
https://okinawakarate-unesco.jp/okinawa-karate/

空手の呼称は、その後に作られたものです。明治以前にも沖縄空手は部分的に古武術の世界に取り入れられていたようです。
一般に広がったのは、船越義珍や本部朝基がその技を本土において教えるようになってからです。
沖縄空手を、一躍全国に知らしめたのが「本部朝基」です。
1922年(大正11年)11月・・・
たまたま京都に遊びに来ていて座興みたいな形でボクシング対柔道の興行試合を目にして飛び入りで参戦?
結果は、相手の外国人ボクサーを一撃のもとに倒しました。この時、52歳。
空手の「一撃必殺」は、ここに由来します。
空手の威力を初めて多くの日本人が知りました。

その後、日本各地で空手が普及していきました。
そのような経緯があり、本来の武術としての空手は沖縄にあります。
今、日本で一般的に理解されている空手は、沖縄空手から突き技と蹴り技を取り出して競技化(スポーツ化)したものです。私たちが今見ている空手は、競技であり武術の空手とは、かなり異なるものです。

長くなるので、今日はここまで。
武道と言うのは、剣術以外はごく最近に作られたいわば競技的な術と言うよりスポーツであることが、分かったと思います。
合気道だけが、競技化せず武術の姿を今に伝えています。
もちろん、古武術も残っています。

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