
今朝は6時半になっても辺りが薄暗く、冷えると思っていたら、一面雪景色。「こりゃあ寒いわ」。しかし、単に寒いだけと違って雪って、寒くてもそれなりに許せるのが不思議だ。
昨年は上海で吹雪があったが、今年には初。
さて、話は変わるが、私が好きなブログが4つある。今ではカリスマ主婦としてメディアでも引っ張りだこのママさんのお料理物。そして、田舎暮らしのおじいさんが地域の事や菜園の様子などを、鮮やかな景色と共に提供している物。一人暮らしの男性の毎日のお弁当。日本各地のお城をペットと共に回って紹介している物。この4つ。実は、最後のお城巡りのアドレスが分からなくなってしまい、探しています。ご存じの方はお知らせください。
その中でも大好きなのが、カリスマ主婦。毎日の献立は美味しそうで、レシピも大分参考にさせていただいている。お子さんも本当に可愛くて、他人の子であってもその成長振りが楽しみでならないくらいだ。癒される瞬間でもある。が、最近あまりお子さんが登場しなくなり寂しくて、なぜだろうと調べたところ、「んまー、何を考えているのだか」の悪口言い合いサイトがあった。嫌なら見なきゃいいものを、勝手に見ておいて言いたい放題で、一文の得にもならないのに正直、「ご苦労様」。人間の浅ましさに悲しくなった。見ず知らずの自分が嫌な気持ちになるくらいの内容なので、書かれたご本人の心情は察するに余ある。
これって要するに妬み以外の何者でもない。
羨む→嫉妬→妬み→逆恨みの方程式知ってますか?
自分は、人に対して妬んだり、嫉妬したりということの記憶がない。例えば、顔やスタイルの美麗な人に対して「いいなー」とは思うが、だからと言ってその人に対して、悪い感情を抱いたり、陥れようとしたことはない。同じく、頭脳明晰な人、思い通りの人生を送っている人、他人に好かれる人などなど、自分より優れた人に対しても同様である。なので、妬むという感情が全く理解できないのだが、世間には自分をさておいて、思い通りに行かないことや、自分より優れた部分のある人に対して、妬んだり嫉妬したりという人がいることを最近痛い程感じている。
例を挙げると、世間の多くの人は海外という響きに異常に敏感だということ。以前エステに通っていたことがあるが、そこの月刊の広報誌に「試術中、隣の部屋から海外旅行の自慢話が聞こえて来ると不愉快だ」といった投書があった。その時は、「なぜ? 海外旅行がなぜいけない」くらいにしか感じていなかったが、どうやらこれは妬みらしい。
海外旅行に行って来た人が土産を渡しながら旅行話をするのを妬ましく思っている人もいるらしく、これも実際に耳にした。かくいう自分もすでに十数年の海外生活。帰国すれば、「外国で遊んで来て」との罵詈雑言を親類から浴びせられる。「遊んでいる所を見たのかい」と言いたいが、これも自分では手の届かない嫉妬なのだと相手にしないようにしている。
思い出したが、もうかなり古い話になるが、まだ日本で働いていた頃、土日、祝日もないくらいに多忙な職場だったため、普段はプライベートはほとんどなく、だが、代休を取って年に数回はアメリカに出かけていた。それが自分の唯一の趣味、気晴らしだったのだが、ある日、当時の友人がかなり酔って電話を掛けて来て、「なんでそんなに外国ばかり行きたいのか。私は一度も行きたいと思ったことがない」と言い放たれた。その時は理解できず、「趣味だから」とか「好きだから」と答えたように記憶しているが、数年後、「これが妬みか」と分かったものだ。行きたくないから行かない。だったらそれでいいものをわざわざ口に出して言いたいくらいに羨ましかったのだろう。
ほかにも、職場などでは、もっと多くの嫉妬や妬みの材料が転がっており、怖いものだ。そして、相手が何に対して妬んでいるかが分からないのがもっと怖い。「あれっ? 思い違いかな」くらいのことから始まって、気が付くと、「これ嫌がらせだ」と徐々にエスカレートしていく。
これらのことは日本人の国民性の現れだ。誰もが足並みを揃えていないと駄目。「みんな一緒」でないといけないのだ。これは、私の大嫌いな、「私たち」と複数形でしか意見を言えない常に同じような女同士でつるんでいて単独行動ができない、(敢えて言います)馬鹿女の習性。
それが、女だけではなく、近年増えている玉無し男にかかると、もっと酷い嫉妬になり、嫉妬が妬みから逆恨みそして職場の場合はいじめにも発展するから怖い。
嫉妬に狂うくらいなら、嫉妬しないでいいように自分も同じ事やもっと凄い事すればいいのに。それができるくらいの人なら嫉妬はしないか?
昨年は上海で吹雪があったが、今年には初。
さて、話は変わるが、私が好きなブログが4つある。今ではカリスマ主婦としてメディアでも引っ張りだこのママさんのお料理物。そして、田舎暮らしのおじいさんが地域の事や菜園の様子などを、鮮やかな景色と共に提供している物。一人暮らしの男性の毎日のお弁当。日本各地のお城をペットと共に回って紹介している物。この4つ。実は、最後のお城巡りのアドレスが分からなくなってしまい、探しています。ご存じの方はお知らせください。
その中でも大好きなのが、カリスマ主婦。毎日の献立は美味しそうで、レシピも大分参考にさせていただいている。お子さんも本当に可愛くて、他人の子であってもその成長振りが楽しみでならないくらいだ。癒される瞬間でもある。が、最近あまりお子さんが登場しなくなり寂しくて、なぜだろうと調べたところ、「んまー、何を考えているのだか」の悪口言い合いサイトがあった。嫌なら見なきゃいいものを、勝手に見ておいて言いたい放題で、一文の得にもならないのに正直、「ご苦労様」。人間の浅ましさに悲しくなった。見ず知らずの自分が嫌な気持ちになるくらいの内容なので、書かれたご本人の心情は察するに余ある。
これって要するに妬み以外の何者でもない。
羨む→嫉妬→妬み→逆恨みの方程式知ってますか?
自分は、人に対して妬んだり、嫉妬したりということの記憶がない。例えば、顔やスタイルの美麗な人に対して「いいなー」とは思うが、だからと言ってその人に対して、悪い感情を抱いたり、陥れようとしたことはない。同じく、頭脳明晰な人、思い通りの人生を送っている人、他人に好かれる人などなど、自分より優れた人に対しても同様である。なので、妬むという感情が全く理解できないのだが、世間には自分をさておいて、思い通りに行かないことや、自分より優れた部分のある人に対して、妬んだり嫉妬したりという人がいることを最近痛い程感じている。
例を挙げると、世間の多くの人は海外という響きに異常に敏感だということ。以前エステに通っていたことがあるが、そこの月刊の広報誌に「試術中、隣の部屋から海外旅行の自慢話が聞こえて来ると不愉快だ」といった投書があった。その時は、「なぜ? 海外旅行がなぜいけない」くらいにしか感じていなかったが、どうやらこれは妬みらしい。
海外旅行に行って来た人が土産を渡しながら旅行話をするのを妬ましく思っている人もいるらしく、これも実際に耳にした。かくいう自分もすでに十数年の海外生活。帰国すれば、「外国で遊んで来て」との罵詈雑言を親類から浴びせられる。「遊んでいる所を見たのかい」と言いたいが、これも自分では手の届かない嫉妬なのだと相手にしないようにしている。
思い出したが、もうかなり古い話になるが、まだ日本で働いていた頃、土日、祝日もないくらいに多忙な職場だったため、普段はプライベートはほとんどなく、だが、代休を取って年に数回はアメリカに出かけていた。それが自分の唯一の趣味、気晴らしだったのだが、ある日、当時の友人がかなり酔って電話を掛けて来て、「なんでそんなに外国ばかり行きたいのか。私は一度も行きたいと思ったことがない」と言い放たれた。その時は理解できず、「趣味だから」とか「好きだから」と答えたように記憶しているが、数年後、「これが妬みか」と分かったものだ。行きたくないから行かない。だったらそれでいいものをわざわざ口に出して言いたいくらいに羨ましかったのだろう。
ほかにも、職場などでは、もっと多くの嫉妬や妬みの材料が転がっており、怖いものだ。そして、相手が何に対して妬んでいるかが分からないのがもっと怖い。「あれっ? 思い違いかな」くらいのことから始まって、気が付くと、「これ嫌がらせだ」と徐々にエスカレートしていく。
これらのことは日本人の国民性の現れだ。誰もが足並みを揃えていないと駄目。「みんな一緒」でないといけないのだ。これは、私の大嫌いな、「私たち」と複数形でしか意見を言えない常に同じような女同士でつるんでいて単独行動ができない、(敢えて言います)馬鹿女の習性。
それが、女だけではなく、近年増えている玉無し男にかかると、もっと酷い嫉妬になり、嫉妬が妬みから逆恨みそして職場の場合はいじめにも発展するから怖い。
嫉妬に狂うくらいなら、嫉妬しないでいいように自分も同じ事やもっと凄い事すればいいのに。それができるくらいの人なら嫉妬はしないか?
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