口下手、すぐにカッとなる性格、人間付き合いが苦手、そして人殺し、だから悪人。
祐一は世間的にそう見られる。
しかし人間的には決して悪人ではなく、光代も祐一の善者的な魅力を感じ、惹かれ、殺人犯でも付いていこうと決めた。
祐一も光代も異性の相手を求め、たまたま出会った勢いとはいえ、純粋な気持ちでお互いを信じ、これからを生きていこうとしていた。
日本の社会は法律を基に成り立っている。
そのため祐一は法律的に罪人であり、社会一般から悪人と扱われるのは当然である。
しかしこの映画で印象的なのは、殺された佳乃の父親が祐一ではなく増尾を終始悪人として接していることである。
娘をもて遊び、最後には山中で足蹴にして置き去りにした増尾の行為は、死に至らしめた祐一よりも許しがたい存在であったということ。
結果ではなく行為から悪人を認定しているストーリーから、「本当の悪人は誰なのか」というサブタイトルを理解できた気がする。
終盤、父親が増尾を前に「この世の中には、大切な人を持つ人間が少なすぎる。そういう人間は失うものがないから、強くなった気になり、一喜一憂する人間をバカにする」という言葉を発する。
この映画でもっともキーとなるシーンで、印象は強烈だった。
このセリフが、増尾の行動を表す一方、逆に祐一・光代・祐一の婆ちゃん・佳乃の両親の行動を全て表していると感じた。
役者全員が真に迫る演技、特に柄本明の父親ぶりと深津絵里のひたむきに愛する男のために付いていこうとする姿が見逃せない。
祐一は世間的にそう見られる。
しかし人間的には決して悪人ではなく、光代も祐一の善者的な魅力を感じ、惹かれ、殺人犯でも付いていこうと決めた。
祐一も光代も異性の相手を求め、たまたま出会った勢いとはいえ、純粋な気持ちでお互いを信じ、これからを生きていこうとしていた。
日本の社会は法律を基に成り立っている。
そのため祐一は法律的に罪人であり、社会一般から悪人と扱われるのは当然である。
しかしこの映画で印象的なのは、殺された佳乃の父親が祐一ではなく増尾を終始悪人として接していることである。
娘をもて遊び、最後には山中で足蹴にして置き去りにした増尾の行為は、死に至らしめた祐一よりも許しがたい存在であったということ。
結果ではなく行為から悪人を認定しているストーリーから、「本当の悪人は誰なのか」というサブタイトルを理解できた気がする。
終盤、父親が増尾を前に「この世の中には、大切な人を持つ人間が少なすぎる。そういう人間は失うものがないから、強くなった気になり、一喜一憂する人間をバカにする」という言葉を発する。
この映画でもっともキーとなるシーンで、印象は強烈だった。
このセリフが、増尾の行動を表す一方、逆に祐一・光代・祐一の婆ちゃん・佳乃の両親の行動を全て表していると感じた。
役者全員が真に迫る演技、特に柄本明の父親ぶりと深津絵里のひたむきに愛する男のために付いていこうとする姿が見逃せない。