神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

高知・土佐神社。

2010年05月10日 | ▽中国・四国地方
家内安全・農産繁栄・航海安全・交通安全・病気平癒

土佐神社

(とさじんじゃ)
高知県高知市しなね2-16-1

しなね様



「神光門」とも呼ばれる楼門。山内忠義公の寄進によるもので、国の重要文化財に指定されています。


〔御祭神〕
味鉏高彦根尊
(あじすきたかひこねのみこと)
一言主命
(ひとことぬしのみこと)



 JR高知駅から土讃線に乗って東へ2駅目の「土佐一宮駅」で下車すると、北方に緑鮮やかな山並みが見えます。穏やかで素朴な景色を愉しみながら15分ほど歩いていくと、県道に面して立つ立派な楼門のもとに辿り着きます。ここから長く伸びる白砂の参道の先に鎮座しているのが、土佐国一宮として崇敬を集める古社・土佐神社です。の創建時期については明らかではありませんが、第21代の雄略天皇の治世の5世紀後半頃に、現在も境内の北東に鎮座している「礫石」と呼ばれる自然石を磐座として祭祀が始められたと考えられています。「日本書紀」にも675(天武天皇4)年の条に「土左大神、神刀一口を以て、天皇に進る」、686(朱鳥元)年の条に「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」という記述が残されています。





楼門から長く伸びる白砂の参道(左)の奥に立つ木造の鳥居が参拝客を出迎えてくれます(右)。



 御祭神である「土左大神」は都佐国造が奉斎したものといわれており、「土佐国風土記」の記述から一言主尊味鋤高彦根尊が御祭神である「土左大神」にあたるとされています。この2柱神は、賀茂氏によって大和国の葛城で祀られていた神々で、賀茂一族が土佐国造に任ぜられて土佐国に赴いた時に祀られたのではないかと考えられています。平安時代には、延喜式内社として「都佐坐神社」と称され、940(天慶3)年には海賊平定の祈願成就で霊験を発揮したということで、最高位である正一位の神階を授けられるなど皇室の厚い崇敬を受けました。鎌倉時代に入ると神仏習合思想の影響を受け、「土佐高賀茂大明神」や「土佐高賀茂大社」などと称されて土佐国総鎮守一宮として繁栄しました。





1570(元亀元)年に長宗我部元親公によって再建された社殿。国の重要文化財に指定されています。



 室町時代、戦国の動乱期に入ると武門の崇敬を集め、1563(永禄6)年の兵火によって社殿が焼失の憂き目に遭った際には、宿敵である本山氏長浜の戦いで破り、安芸氏八流の戦いで滅ぼして土佐国の統一に王手をかけていた31歳の若き戦国武将・長宗我部元親公が支援の手を差し伸べ、四国平定を祈念して1570(元亀元)年に本殿・幣殿・拝殿の再興を行いました。現在の社殿はこの時のもので、国の重要文化財に指定されています。1601(慶長6)年、関が原の戦いでの功績によって土佐国を与えられた山内一豊公は、土佐に入るにあたって以前の社領を安堵し、山内家2代当主・山内忠義公によって1649(慶安2)年に摂社・末社をはじめ鳥居・楼門・鼓楼が建立され、土佐国最上の名社としての威容を整えるに至りました。明治時代には、神仏分離令によって社名も「土佐神社」と改称され、国弊中社に列せられることとなります。戦後、官国幣社制度が廃止されたことに伴い、神社本庁の別表神社として祀られることとなって現在に至ります。2010(平成22)年度のNHK大河ドラマ「龍馬伝」では、坂本龍馬役の福山雅治さん、岩崎弥太郎役の香川照之さん、平井加尾役の広末涼子さんがドラマのロケで訪れたことでも有名になりました。





1649年に山内忠義公によって建立された鼓楼(左写真の右)と、その奥にある厳島社(右)。



 土佐神社で毎年8月24日・25日の2日間に渡って行われる「志奈禰祭(しなねさい)」は、吾川郡仁淀川町にある秋葉神社の「秋葉祭り」、高岡郡中土佐町の久礼八幡宮で行われる「久礼八幡宮大祭」と並んで「土佐三大祭」のひとつとして広く知られ、5万人以上の参拝客で賑わいを見せます。「志奈禰祭」の「志奈禰(しなね)」は、新嘗祭の「にいなめ」が転じたものだという説や、新稲(しいね)が転じたという説、風の神様である「志那都比古神」に由来するという説など様々な説があります。

 1日目は、1年の無病息災を祈願する宵宮祭です。社殿前で神楽などの奉納神事を行った後、松明に魔除けの象徴とされる篝火が焚かれます。この篝火は祭礼が終わるまで赤々とした炎を絶やすことなく燃やし続けられ、この炎から分け与えられた「御松明」を持ち帰って神棚に供えると、一層の御加護があるといわれています。2日目は商売繁盛などを願う神幸祭で、厳かな雰囲気の中で神事が行われた後、御旅所へ向けて神輿行列が練り歩きます。この神輿の下をくぐると御利益があるといわれ、御旅所への沿道は神輿の通過を待つ参拝客が列を成して大変な賑わいを見せます。地元のタクシー運転手の方に伺った話では、なぜか「志奈禰祭」のある時期は雨になることが多いそうで、昔から「しなね様が終わると夏が終わる」といわれるなど、季節の変わり目の風物詩として古くから人々に親しまれている祭りです。





土佐神社の祭祀の原点とも言える「礫石」(左)と、その南にある輪抜祓所。


社殿の裏手を流れる清流(左)と、社殿左に立つ事代主神社・西御前社・大国主神社(右)。


アクセス
・JR土讃線「土佐一宮駅」下車、北へ徒歩15分。
土佐神社地図  【境内図】 Copyright (C) 2000-2010 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料

拝観時間
・常時開放

公式サイト




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