穂蓼八幡神社
(ほたてはちまんじんじゃ)
明石市大蔵八幡町2571-1
境内は月極駐車場になっています。
〔ご祭神〕
鴨部大神
(かもべたいしん=越智益躬)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
八幡大神(はちまんたいしん=応神天皇)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
推古天皇のころ、朝鮮から侵攻してきた鉄人を見事に討った越智益躬公は、伊予三島大明神を祀る稲爪神社を創建します。そののち、越智益躬公の子供である越智武男公が、父の偉業を称えるために稲爪神社の辰巳の方角に祠を建てました。これが越智神社です。しかし、この神社が意外なところに影響を与えることになります。越智益躬公が迎え撃つ前、鉄人たちの軍勢に敗れて都への道を突破されてしまった者たちの子孫です。
「よくぞ防いでくださった」と、この神社の前を通るときには馬や籠から降りて最敬礼。これはまだ良いほうで、なかには先祖が異敵を防ぎきれなかったという気まずさから意図的にこの神社を避けて通ったり、陸路を避けて船で明石を通過する者もいたそうです。さすがにこういう状況を気の毒に感じた当時の明石城主・松平直常公は越智神社の名を穂蓼八幡と改めさせ、場所も少し東へと移させたそうです。1705(宝永2)年のことでした。これ以降、明石を通る諸大名はようやく通常通り馬や籠で通行できるようになりました。神代の昔の言い伝えとはいえ、こんな後の世にまで影響があったことに驚きますが、当時の人々の精神構造が垣間見える興味深いお話です。
八幡神社の拝殿。「大蔵の八幡さん」といったほうが通りがいいかも。
この境内の東側は、幕末に明石藩の大砲の演習場ができたり、浜辺に砲台が築かれるなど軍事上の要衝として重要視された地域でもありました。当時はこの辺りも深い社叢に包まれていたそうですが、現在はその名残りすら残されていません。文献によっては「大蔵八幡神社」や「砂子八幡」などと呼ばれていたことも記されています。
拝殿脇には大正2年に改築が行われたときに建てられた石碑があります。
祭礼
秋の稲爪神社の本宮祭では、越智益躬ゆかりの「牛乗りの神事」が行われたあと、この八幡神社から稲爪神社にかけての旧街道沿いに、行灯御輿や娘御輿や本御輿を担いで「よいやさじゃー」の掛け声とともに練り歩きがおこなわれます。
アクセス
・山陽電車「大蔵谷駅」下車、南東へ徒歩3分
・JR神戸線「朝霧駅」下車、東へ徒歩10分
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
外敵を破った武将に対して、外敵の侵攻を防げなかった武将が気まずい思いをする・・・ということも大変面白かったのですが、もう一つ。
越智益躬の別名(?)が、鴨部大神と言うことが。
賀茂氏とは関係があったのでしょうか?
「鴨部」のことですが、とくに賀茂氏とは関係なさそうです。伊予国の鴨部という場所の大領の職を務めていたから「鴨部大神」と呼ばれているのだと思います。
越智氏は、瀬戸内の大三島を中心とするエリアで力を持っていた土着の豪族で、「河野水軍」で有名な河野氏の祖先だそうですよ