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神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・東福寺。

2006年12月15日 | ◇京都府 -洛東


慧日山東福寺

(えにちさん とうふくじ)
京都市東山区本町15丁目778



日下門。ここをくぐると受付があります。


〔宗派〕
臨済宗東福寺派大本山

〔御本尊〕
釈迦如来像
(しゃかにょらい)



 紅葉で有名な東福寺は1236(嘉禎2)年、鎌倉幕府4代将軍九条頼経公の実父であった摂政九条道家卿によって創建されました。「洪基を東大に亜ぎ、盛業を興福に取る」との発願文にあるように、平城京で最大規模を誇った東大寺のスケールと、隆盛を極めた興福寺のパワーにあやかろうという思いから「」と「」の1字ずつを取って建てられた京都最大の寺院で、伽藍で埋め尽くされた壮観な境内は「東福寺の伽藍面」と称されました。



1405(応永12)年頃に再建されたと伝わる三門。大仏様の建築物です。



 もともとこの地には、924(延長2)年に藤原忠平公によって創建された法性寺がありました。法相宗の寺院だった法性寺は、藤原道長卿や藤原忠通卿など藤原累代の氏長者たちの庇護を受け、藤原摂関家の氏寺として3世紀以上栄えた大寺院でしたが、藤原家の分家によってそれぞれが家寺を建立するようになったこともあり、東福寺建立の頃にはかなり勢力が衰退していたそうです。現在の法性寺は、明治時代に入ってから浄土宗西山禅林寺派の小寺院として再興されたもので、東福寺の北西の地で静かに法灯を守っています。




室町前期に再建された禅堂。重要文化財です。



 九条道家卿は、高さ5丈(約15m)もの大釈迦像を本尊にした仏堂を建立しようと考え、1236(嘉禎2)年より建設にかかりますが、完成したのは1255(建長7)年。実に19年もの歳月を要した仏殿には、高さ5丈(約15m)の本尊・釈迦仏像、その左右には高さ2丈半(約7.5m)観音菩薩像と弥勒菩薩像が安置され、新大仏寺と呼ばれていました。残念ながら九条道家卿は、この完成を待たずして亡くなります。孫である鎌倉5代将軍九条頼嗣公の失脚を聞いて卒倒したとも、反北条得宗家の中心人物として幕府から危険視されたために暗殺されたともいわれています。




室町時代のトイレである「東司」。重要文化財です。



 境内に伽藍建立の槌音がいまだ響く1243(寛元元)年、九条道家卿は博多より「聖一国師」円爾弁円を招いて東福寺の開山に迎え入れ、天台宗・真言宗・禅宗の3宗兼学の道場としてのスタートを切ります。

 開祖円爾弁円は1202(建仁2)年に駿河国に生まれた禅僧で、5歳で仏門に入り18歳で近江国園城寺で天台の教学を究めたといわれています。34歳のときに宋に渡り、径山・興聖万寿禅寺無準師範のもとで6年間修行に励んで印加を受け、帰国後は博多で寺院を開いて布教に努めていましたが、名声を聞きつけた九条道家卿によって東福寺の開山に迎え入れられました。このとき、聖人中の第一人者だという意味で「聖一和尚」という揮毫を贈られたといいます。

 ちなみに、お茶の名産地として有名な静岡に初めて茶の種を持ち込んだのは、円爾弁円だといわれています。宋からお茶を持ち込んだ円爾弁円はお茶の作法も日本に持ち込み、後世の茶の湯の原型を伝えた功労者としても知られています。




1934(昭和9)年に再建された法堂。



 大釈迦如来像を納めた仏堂が完成した後も東福寺の建設工事は続けられ、法堂が完成したのは1273(文永10)年。30年以上かけてようやく伽藍が完備した東福寺も、1319(元応元)年には火災のために本尊・釈迦如来像が焼失、1334(建武元)年と1336(延元元)年にも相次いで火災が起きて大きなダメージを受けます。

 この時は被災後4ヶ月目に早くも復興工事が始まり、火災後20年以上を経た1346(貞和3)年に前関白一条経通卿によって仏殿の上棟が行われ、往時の偉容を取り戻しました。第4代将軍足利義持公をはじめ室町幕府も復興に積極的に協力したそうです。




「月輪殿下御墓」、九条兼実廟です。



 そんな東福寺も、応仁の乱では山名軍の乱入を受けて塔頭の大半が兵火に包まれてしまいます。戦国時代には度々陣が敷かれて受難の時代に入ります。1530(享禄3)年には細川晴元公が本陣を置き、有名な「大涅槃図」はテント代わりに使われ、1534(天文3)年には京極高次軍が宝物を盗み仏像を焼くなどの乱行を働いたため大きな被害を受けました。

 戦国の世が終わりを告げた1585(天正13)年には豊臣秀吉公によって寺領が寄進されるなど、徳川家康公に続く太平の世の中で保護修復が行われ、京都最大の寺院としての威容を保ち続けることになります。

 残念ながら、1881(明治14)年12月に起きた火災で再び仏殿・法堂・方丈・庫裡を焼失してしまいますが、1890(明治23)年に方丈が再建され、昭和にかけて庫裡や法堂が現代木造建築技術の粋を集めて建て直されました。

 


今は廃寺である三聖寺にあったといわれる愛染堂。重文。



 宋から伝えられたといわれ、「通天モミジ」の通称で有名なカエデですが、当初は桜の木が植えられていたそうです。この桜は、室町時代に「桜が多く遊興の場になりかねない」という理由で伐採されてしまいました。その後カエデの木が植えられたのですが、1869(明治2)年に同じ理由で伐採されました。観光地ではなく、禅の修行の場であることを改めて認識させられるエピソードです。



アクセス
・JR奈良線「東福寺駅」下車、南東へ徒歩7分
・京阪電車「東福寺駅」下車、南東へ徒歩7分
 東福寺地図 Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.
 
拝観料
・通天橋・開山堂 400円(小中学生 300円)
・方丈八相庭園  400円(小中学生 300円)

拝観時間
・9:00~16:00(11月のみ8:30~16:30)

公式サイト
  臨済宗大本山・東福寺ホームページ



新版 古寺巡礼京都〈3〉東福寺
福島 慶道,檀 ふみ
淡交社


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
駅から少し歩く (リン)
2013-01-28 23:56:34
こんばんは。やはり紅葉の季節なり。
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