二宮神社(生田裔神八社)
(にのみやじんじゃ)
神戸市中央区二宮町3-1-12
生田裔神八社
通 称
正勝さん
(まさかつさん)
商店街と民家が並ぶ街なかに鎮座する二宮神社。
〔御祭神〕
天忍穂耳尊
(あめのおしほみみのみこと)
「やまかん」の呼び名で国道2号線、国道43号線とともに神戸の東西を結ぶ山手幹線。神戸市役所の横を通り、新神戸駅へと南北に貫くフラワーロード。その2本の道路が交差する加納町3丁目交差点からすぐの場所に鎮座しているのが二宮神社です。先日ご紹介した一宮神社同様、生田神社の八裔神のうちの一社です。周囲には二宮筋商店街などの昔ながらの商店街が立ち並び、数多くの民家が軒を連ねる閑静な住宅街に囲まれ、飾らない「庶民の神様」といった佇まいで鎮座されています。
参道脇に繁る御神木(左)と、社殿の前に残されている御幸石(右)。
朱塗りの社殿。
二宮神社の御祭神は天照大御神の長男である天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)で、天孫降臨神話では息子神である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に降臨の大役を譲ることでも有名な神さまであり、実る稲穂を讃える農業神といわれています。この天忍穂耳尊には正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)という長い別名があります。これは天照大御神との誓約に勝った素盞鳴尊が「正に勝つ、吾勝てり。勝つ速さ昇る日の如し」と喜んで名付けたと言われています。天忍穂耳尊を祀る神社は珍しく、神戸市内では北区にある杉尾神社と二宮神社の2社だけです。「勝運の神様」として有名な二宮神社には、それ以外にも芸能向上や受験運、就職成就や結婚、安産、財運向上などの御利益があるといわれています。
社殿の右にある朱鳥居(左)をくぐった先に鎮座する稲荷神社(右)。
稲荷神社の向かいに立つ「おイネ狐」の像(左)と、1955年に創建された椋白龍社(右)。
創立時期は明らかではありませんが、神功皇后が三韓遠征から凱旋した201(摂政元)年に神徳著しかった神々をお参りになられた際、2番目に巡られた事から二の宮というようになったそうです。また、生田神社が祀られていたという布引山の砂山が貞観年間(859~877年)に大洪水によって崩壊した際、神主だった刀弥七太夫が御神体を背負って避難したのが二宮神社のあるこの地だったといわれており、境内には御神体を祀ったとされる「御幸石」が残されています。これらの話は伝説の域を超えませんが、二宮神社の近辺に建っていた二宮小学校(現在は廃校)の跡地の発掘調査の結果、6世紀末から7世紀初頭に作られたとみられる鍛冶工房の跡と祭祀用の土偶等が発掘された事から、少なくとも1400年前にはこの地で何らかの祭祀が行われていた事が分かっています。
明治時代に入り、葺合地区にあった神社の全てが二宮神社に合祀され、葺屋荘総鎮守として人々の崇敬を集めました。現在、地域の発展とともに合祀された神社も元の地域に戻されましたが、生田北向八幡宮だけが現在でも合祀され、天忍穂耳尊とともに応神天皇もお祀りされています。1945(昭和20)年の神戸大空襲では二宮神社の境内にも焼夷弾が2発命中し、御神木であるケヤキを一部焦がしたほか、機銃による銃弾の跡も石鳥居に残されています。
東側の鳥居(左)と、その脇にある手水舎(右)。
アクセス
・JR「三ノ宮駅」下車、北へ徒歩8分
・阪急電車・阪神電車「三宮駅」下車、北へ徒歩8分
二宮神社地図 Copyright:(C) 2011 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.
拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放
公式サイト
神戸の神社兵庫県神社庁神戸市支部神戸新聞出版センターこのアイテムの詳細を見る |
二宮神社
スロープを設けてくれているところも増えてきているのは嬉しい限りですけどね(^^)
車イスでも行けるみたいでした。
若い女性参拝客もいました。
一番オシャレでしたね~