神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

明石・林神社。

2007年01月06日 | □兵庫県 -播磨(姫路以外)
航海安全・豊漁豊作・雨乞いの神・商売繁盛

林神社

(はやしじんじゃ)
明石市宮の上5-1



小高い丘の上に建つ林神社。立派な明神鳥居が目印です。


〔御祭神〕
少童海神
(わたつみのかみ)
彦火々出見命
(ひこほほでみのみこと)
豊玉姫命
(とよたまひめのみこと)
葺不合尊
(ふきあえずのみこと)
玉依姫命
(たまよりひめのみこと)
御崎大神
(みさきのおおかみ)



  川崎重工業明石工場の南側の林崎海岸を見下ろす小高い森の中に、真っ白な明神鳥居の神社があるのを車のなかから見つけられた方も多いと思います。ここは林神社という神社で、醍醐天皇の時代の927(延長5)年に編纂された延喜式の神名帳にその名を刻み、いにしえより明石港の豊漁と海上交通の要所であり難所でもあった明石海峡を往来する船の安全を見守りつづけている由緒ある古社です。

 延喜式に名を連ねる神社は全国で3,000社ほどあり、林神社は旧明石郡にあった明石九座のうちのひとつで、ほかには宇留神社(現・春日神社:神戸市西区)物部神社(現・惣社:神戸市西区)海神社3座(神戸市垂水区)弥賀多々神社(現・堅田神社:神戸市西区)赤羽神社(神戸市西区)伊和都比売神社(稲爪神社摂社:明石市)延喜式内社明石九座としてリストアップされています。




1950(昭和25)年に再建された社殿



 和坂の台地の東端に位置するこの近辺は、以前は上野と呼ばれていたそうで、林神社上野宮上ノ宮明神などと呼ばれたこともあるそうです。神代の昔、林崎海岸の浜に大きな赤石があり、その上に海の神である少童海神(わたつみのかみ)が御姿を顕したため、地元の人々から厚く敬われていたそうです。しかし、2世紀頃の138(成務天皇8)年の8月に風波のために神宿るこの赤石が海中に没してしまったため、人々は翌年の元旦にお社を建立して少童海神をお祀りしました。この神社が林神社だといわれています。

 ちなみに少童海神が顕われたという赤石は、昭和初期までは春の大潮の日などには見ることができたそうですが、今では200m近く沖合いの水深5mのところに沈んでしまっているそうです。




社殿左手に並ぶ摂社。



 延喜式に名を連ねる延喜式内社は、天災や有事の際には朝廷より祈祷の命を受けることが多々ありました。922(延喜22)年の夏に起きた大旱魃の際には、朝廷からの使いを受けて雨乞いの祈祷を行ったところ、霊験もあらたかに雨が降って民衆を救ったということから雨乞社雨神社とよばれて敬われるようになりました。

 1005(寛弘2)年9月には彦火火見尊豊玉媛命葺不合尊玉依媛命の4柱を合祀したことから上宮五社大明神と号するようになりますが、明治時代には林神社の呼び名にもどされました。また、1581(天正10)年には、三木の別所氏攻略を終えた羽柴秀吉公が林神社を訪れ、明石見物に出かけたというエピソードも残っています。




鳥居をくぐって左側の道をあがると神明大稲荷社があります。



 明治14(1881)年には県社に列せられ、地域の人々の崇敬を集めていましたが、残念ながら1945(昭和20年)1月19日の空襲によって境外末社だった船上御崎神社とともに全焼してしまいます。しかし氏子の皆さんの尽力で再建が始められ、同年12月に船上御崎神社のご祭神・御崎大神を合祀、5年後には社殿が無事再建されました。さらに1958(昭和33)年には社務所も再建されています。



アクセス
・山陽電車「林崎松江海岸駅」下車、東へ徒歩5分
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拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放


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