5月22日金)
ランチにステーキを食べて30分ほど椅子にもたれて午睡。
14時半 新宿線馬喰横山駅から乗車。
京王線直通乗り入れで桜上水に向かう。
新宿より先の京王線に乗るのは久しぶり。
15年も前のことだ。
中国人女子留学生が弊社で働いていた時
彼女は 多摩センターに住んでいた。
上海からご両親が来日した。
食事に招かれ多摩センターの団地を訪ねて以来だ。
現在 弊社にいるデザイナー女性は
彼女と大学同期で食事に招かれていた。
15時半 桜上水駅に弟は待っていた。
甲州街道沿い 駅から5分のマンションに事務所はあった。
自社所有2DKの事務所。
隣の部屋は、歌舞伎界出身の俳優で切れ長の目で
女性をうっとりさせた方の衣裳部屋らしい。
絶縁材料 トランスの商社とメーカー兼ねた仕事をしている。
室内で、内職のオバサン二人が銅線を巻いていた。
昨年までは、近くに3階建てビルを全フロア借りて
倉庫、検査、試作、資材、営業していた。
25年前は23人の従業員がいたが
放漫経営で危機に陥り
先代社長が自宅を売って負債を返済したが返しきれなかった。
創業した当時、他に二人の役員がいたが
彼ら二人が会社を食い荒らしてしまった。
その二人は 罰が当たったのか
若くして死んだ。
誰も葬儀には参列しなかった。
九段スズキ本店長野利男の如き
経営責任を放棄して、3億の借金を従業員、金融機関に押し付けて
逃亡することはなかった。
長野利男のように、みんなから
墓に小便かけてやるとまで言われなかったのは
せめてもの温情。
先代社長は身を引き、弟に社長なることを強く求めた。
お人よしの弟は断り切れず就任した。
それから苦難な仕事が今日まで続いているのだ。
リストラ、事業所縮小をしながら、数億の
借金を返済続けて4年以内には返済できるところまできたのだ。
絶縁材料、プリント基板、トランスの設計販売は
地味で表に出る仕事ではないが、工業立国日本には
欠かせない事業である。
実業を支える下請けには景気回復の実感はまだまだ遠い。
金融操作のまやかしで景気回復をぶち上げる
政府、メディアの虚報は止めていただきたい。
作業場は横浜の自宅に移し
自ら製作している。
18時 車で松涛の介護病院へ向かった。
お袋は息子二人が現れたので喜んだ。
21時30分 居酒屋加賀屋で焼酎ハイボールとスタミナ焼き

22時半 居酒屋アンコウで日本酒
