12月28日(土) 夜知り合いに メールで「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮します」と送信した。
本年4月1日 義母92歳で老衰死した。
毎年、横着して年賀メールが多いのだが
少ないながらも年賀郵便も出している。
12月初旬に伊豆城ヶ崎海岸にお住まいの友人から
お香典を頂いた。
私が喪中葉書を出したので、お気遣い頂き感謝です。
7年前、東京から伊豆に転居された。
ご夫婦二人で広い庭に木々と花々を植えられ
今では見事な花を季節ごとに開花させ
花便りとして写真を季節毎にメールで送ってきてくださる。
2009年5月に訪れてから行く機会が遠ざかっている。
私がサラリーマンをしていた頃、そして労組書記長当時
経営側労務課長として交渉担当窓口だった。
当時、使用者側大義と労働大義が激しい労使交渉としてせめぎあった。
ストライキ敢行寸前までもつれた。
ブログに度々掲載しているが
思想的問題有り、破壊者として退社を余儀されたのだ。
一課長の立場での裁量権は限られていた。
しかし個人的には、心の奥には、通底する互いの心情があった。
周囲では、「触らぬ神祟り無し」と私を避けた。
責任も感じていたのか、労務課長は私が退社後の行く末を心配した。
前任の労務課長も心配した。
お二人は退社する私に慰労宴開いた。
私の父が客死した葬儀にも列席して頂いた。
労組役員は私への送別会も開かず
葬儀にも来なかった。
保身のための人間性を見せつけられた。
人生 「日暮れて道遠し」
後戻りは出来ず、徒手空拳で荒波に妻子抱えて漕ぎ出した。
後に二人は関連会社の社長になった。
あれから32年の歳月が経った。
今も変わらぬ厚情がある。
辛い時にも陰ながら応援してくださる。
訊ねて伊豆の海と山々に行きたい。