馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

世間は狭いⅡ (有)九段スズキ本店。

2013-12-29 17:39:20 | 日記

12月29日(日)昨日

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この数字はどのような解析なのだろう?ありえない。

 

去年の12月30日 衝撃的な会話に出くわした。

自宅近くの居酒屋に夜9時過ぎに入った。

カウンターに数人がいた。

白髪の温厚そうな紳士の右隣に座った。

何度か隣合わせで飲んでいるので

挨拶するし、名前も知っていた。

居酒屋の対面マンションに夫人とお二人だけの生活。

しかし、奥様は病で長期入院中だった。

そのため、居酒屋で酒と食事をして、

翌朝の食事用オニギリ等も頼んでいた。

 

二人で取り留めない会話をしていたが

業界が同じであることが判明。

共通する取引先、担当者の話が出た。

その中で、九段にあるバッジ・徽章を扱う会社の話になった。

老紳士は驚くべきことを言った。

「あの会社の前の社長は長野利男と言ってね」

「デタレメ社長なので、みんなして追い出したんだよ」

長野利男の名前が飛び出したので、衝撃と驚きだった。

聞けば、紳士は社長をしていて

長年、長野が社長をしていた会社と取引をしていた。

 

仕事もしないでゴルフと女房と温泉旅行、夜は高級レストランで食事

贅沢三昧の浪費で3億円の借金を作った。

自称 義父から受け継いだオーナー社長気取りだった。

 

薄給に耐える従業員、無理難題を要求して下請け虐め

金融機関に返済もままならなくなった。

さすがに、深刻な状況に金融機関役員は返済を迫った。

経営改善を指導したが、10人いた従業員は全員が

長野の下では働きたくないとして退社を通告。

下請け会社の集まりである会員企業も全て

長野が社長である限り仕事はしたくないと告げた。

 

長野夫婦は泣いて、社員、金融機関幹部、下請けに謝罪したが

誰もが取り合わなかった。

性根が腐っていて嘘泣きを見抜いていた。

 

義父が営々と築き上げた会社譲渡と借地権付きビルを

返済することで合意した。

 

そして、印鑑を押す段階でビルの6階の自宅住まいに戻ると言って

実印を持って非常階段から下りてそのまま逃亡した。

 

老紳士の話を聞いて全身に悪寒が走り

心臓の動悸が激しくなり震えた。

 

「逃亡したって、どういうことですか」と訊ねた。

「女房も忽然と居なくなっていたんだよ」

懸命に捜索したのだが居所は掴めなかった。

「後日 分かったのだが、馬鹿な男がいて夫婦を匿った」

 

私は声も出せず呼吸が止まった。

老紳士に言った。

「その馬鹿な男は私のことです」

 

老紳士も驚きで言葉を飲み込んだ。

「夜、夫婦で逃亡して日本橋の私の事務所に飛び込んで来ました」

「たまたま、台湾で留学中の息子も帰国していました」

 

事情を聞くと「従業員と金融機関の専務に騙されて

借金を負わされたので逃げた」と言った。

 

老紳士に言った。

逃亡先は「あなたが住むマンション一階のペンションに泊めさせ

今 飲んでいる居酒屋で食事しました」

 

世間は狭いのブログを8月25日に書いた。

同じくこの居酒屋での奇遇で秘密を知ったのだ。

 

次回に続く

 


伊豆城ヶ崎海岸からお香典が届く。

2013-12-29 01:01:12 | 日記

12月28日(土) 夜知り合いに メールで「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮します」と送信した。

本年4月1日 義母92歳で老衰死した。

毎年、横着して年賀メールが多いのだが

少ないながらも年賀郵便も出している。

12月初旬に伊豆城ヶ崎海岸にお住まいの友人から

お香典を頂いた。

私が喪中葉書を出したので、お気遣い頂き感謝です。

7年前、東京から伊豆に転居された。

ご夫婦二人で広い庭に木々と花々を植えられ

今では見事な花を季節ごとに開花させ

花便りとして写真を季節毎にメールで送ってきてくださる。

  

2009年5月に訪れてから行く機会が遠ざかっている。

 

私がサラリーマンをしていた頃、そして労組書記長当時

経営側労務課長として交渉担当窓口だった。

 

当時、使用者側大義と労働大義が激しい労使交渉としてせめぎあった。

ストライキ敢行寸前までもつれた。

ブログに度々掲載しているが

思想的問題有り、破壊者として退社を余儀されたのだ。

一課長の立場での裁量権は限られていた。

しかし個人的には、心の奥には、通底する互いの心情があった。

周囲では、「触らぬ神祟り無し」と私を避けた。

責任も感じていたのか、労務課長は私が退社後の行く末を心配した。

前任の労務課長も心配した。

お二人は退社する私に慰労宴開いた。

私の父が客死した葬儀にも列席して頂いた。

労組役員は私への送別会も開かず

葬儀にも来なかった。

保身のための人間性を見せつけられた。

人生 「日暮れて道遠し」

後戻りは出来ず、徒手空拳で荒波に妻子抱えて漕ぎ出した。

 

後に二人は関連会社の社長になった。

 

あれから32年の歳月が経った。

今も変わらぬ厚情がある。

辛い時にも陰ながら応援してくださる。

 

訊ねて伊豆の海と山々に行きたい。