馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

40年前の夏 屈辱に耐えて、矜持を貫く。

2024-08-29 09:09:22 | 日記
8月27日(火)午前、市役所で書類を受け取る
昨日も市役所に出向いたが、ミスがあり再度、向かった。
帰途、船溜まりの橋を渡る。
船溜まりの橋を渡る
足取りは重い
熱中症の後遺症で左脚がスムーズに動かない。
海鵜が。馬鹿にしたように旋回。
倒れでもしたら、群れで喰いつきそうだ。
先行く妻が振り返り
髭面でくたびれた短パンと擦り減った作業靴の亭主を見て
「まるで敗残兵ね」
「フン!おまえの勘違いで二度手間だ」
梅酒氷割のグラスいっぱいに注ぐ。
ソファで午睡だ。
16時半舞浜駅着
息子と孫娘が待っていた。
早速、ディズニーランド、イクスピアリに入る。
9キウイの日 (記念日 9月1日)が孫娘の9歳の誕生日

少女になったので、バースデーケーキでは無く
女の子の装いのおしゃれ服を買うことにした。
大喜びで着替え室で試着。




何度も入る。
私と息子は、殆ど数分で決めるが
やはり、女性は違う。
一秋の装い
来年は成長して着れない。
それから、食事だが、ディズニーランド系のレストランは旨くない。
ましてや、我が家の王女様はサイゼリヤがお気に入り。
4人で入る。
娘から、今霞が関駅から乗ると連絡。
一家5人が揃う。
娘の亭主が盛岡に赴任
住民票等が姓が違うので、同居証明しなければならない。
役所から役所へ届で書類。
扶養家族手続きも絡んで複雑。
ささやかな、笑の宴。
私は、疲労と脱力感で食欲はない。


しかし、家族を見渡し
やっと、ここまで来たか
タイトロープ人生もまもなく緞帳は閉じられる。
息子、娘の行く末は見られない
ましてや、孫娘の花嫁衣装は見ることない。
昨日、馬鹿も一心ブログ検索履歴にあったのを回想。
鈍重な私はサラリーマンに不向きであった。


組織(サラリーマン)社会では、どうやって生き残るか?
同僚よりも出世できるかにしのぎを削る。
営業成績など巧に粉飾して、上司の顔色をうかがうとき
上司の性格やくせをつかみ。上司の今の感情の動きをつかみ
それによって上司のご機嫌を損ねないようにふるまう。
下記は
14年前のブログ
現今の、権力争いも同じだ。
愚民、そっちのけでの奪権闘争。


異端者その14
2011-08-26 23:41:30 | 日記
8月24日(水)午前中久しぶり日本橋名倉整形外科に首吊り治療に行った。
暫く行かなかったのだが、マグネットペン不良もありストレスが溜まった。
納品完了してほっとしたら右首がしびれと痛が生じた。
よく 「借金で首が回らない」と言うが正しくその通りだ。
ビル7階から首を10分間引っ張られながら三越本店見下ろす。
首吊りながら新聞社会面を読む。
ついに空き管「元首相」も廃管になる。
生管「生還」することは無いだろうが
放射能汚染水に沈められても底で蠢いているだろう。
与党内、早速、利権争いが始まった。野党は解散総選挙に持ち込めずガックリ・震災、不況国民の不安そっち退け、海外からも馬鹿にされ相手にされない。
完全に国民から馬鹿にされているが実際馬鹿かも知れない。
私も40年前 お盆期間開催、労働組合全国大会で書記長辞任
会社も退社した。
これで思うようになると、会社側も組合執行部役員も一安心!
次期書記長も決まらず書記長事務代行なる珍妙な名称で
中央執行委員から選んだ。
会社側が企んで次期書記長にさせてようと地方から
転勤させた社員を私は選ばなかった。
会社の不遜と舐めた行いはとっくに見通していた。
書記長事務代行に選んだ男も私にとって不本意だったが
致し方なかった。
事務代行になった男の動機が不純だったの分かっていたからだ。
中央執行委員に才媛がいたのだ。
その彼女に認められようと能力省みず書記長事務代行になった。
後に結婚するのだが、まもなく離婚。
亭主が出張中に自分の家財道具を運び出し家をでていった。
当初から私には無理だと感じていた。
私は8月の終わり勤務先銀座4丁目のビルを去った。
組合執行部から送別会はなかった。
だが、会社側実務担当者は私のために送別会をしてくれた。
上部組合連合幹部は組織合一に失敗して私の前に現れなくなった。
その後、二度と組織合一の働きかけはなくなった。
後年、上部組織から送り込まれ私に組織合一をせまった担当者は
本社に戻り関連会社役員になったが5年前54歳独身、肝硬変であっけなく死んだ。
ずっと私への責任を感じていて、私が独立して青息吐息ながらもやっているのを見て
「本当に良かった」と涙を流した。
退社2年後の夏、会社側労務担当の課長二人に銀座で接待された。
会話に「実際は破壊者でもなく、組合をまとめていたのだね」と
ぽつり言われた。「後にも先にも書記長のようなの人はでて来ない」
「今更、言われても人生戻れない」
しかし、誰も恨んでいなかった。会社、組合どちらの担当者も自己保身と責任回避、安全圏に身を置くのは当然だった。
より良い会社に全社員一丸となって邁進していこう・なんてスローガンはリビア国旗が踏みにじられた如く虚しいものだった。
本社社員、出向、プロパー、移籍社員、遺家族社員
きっちりした社内階層が形成された会社には
能力、人格等は無視され命令する階級と黙って作業する層があって
決して交わることはなかった。
物造りの仕事が好きで労働環境が悪くても甘受したが
その思いは通じなかった。
一人の平凡な社員と家族を無知と嫉妬、妬みで放り出したのだ。
だが、社内の争い事が如何にくだらない幼稚だったかが
独立して分かった。
預金ゼロ
住宅ローン有り
妻 3歳の息子と1歳の娘有り
さあー どうする。愚か者


それから、ゆっくりと歳月は過ぎた
子供達が中学卒業まで生きよう
高校卒業まで頑張ろう
大学進学させてあげよう
屈辱に耐えて韓信の股潜りもした。

2人とも普通に育った。
娘は安定した職業
息子は台湾留学後、現地で貿易を学び
帰国後親父の仕事を継承
シングルファーザーでパニック障害を抱えながら
息子しか出来ないビジネスと売れない小説家で
奮闘中。


変圧器、トランスの製造、その他電子部品等



OEM商品・ノベルティ製作

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