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震災直後のNGな行動!

2019-09-20 10:24:27 | 生活情報

地震直後にしてはいけない行動とは!

  地震直後は何が起こるか分かりません。安全が確保されるまで動かないのが一番よいのです。そこで、してはいけない行動をピックアップしてみましたので、よければ覚えておいてください。

電気をつけたまま避難しない!確認しないでブレーカーを上げない!

 地震時の火災で一番多いのが電気設備機器による「電気火災」です。東日本大震災の際は、発生した火災の過半数が電気火災というデータもあります。停電から復旧した際、ストーブやドライヤーなど熱を発生するものや、傷ついた電気ケーブルへ急に通電されることで火災となります。避難時はブレーカーを落とし、戻すときは機器の安全を確認してから通電を開始するようにしましょう。

火を使わない!

 地震直後は粉じん、倒壊した家屋など燃えやすい物が多いため、火気厳禁です。消防車も来られない状況が多いため、とにかく火災を出さないことを心掛けましょう。裸火を使わないようにし、ロウソクは使わないこと。火を使う場合はカセットコンロや石油ストーブなど、余震が生じた際にすぐ消せるか自動消火機能が付いた器具を使い、管理できる状況で使用するのが望ましいです。

1人で救出活動を行わない!

 自分の身の安全が確保できたら、家族や近所の方達の安否確認をすることも大切です。しかし、自力脱出困難者を見つけても、一人で救出するのは危険をともないます。自分だけで助けようとせず、大声で周囲の人に協力を求めるようにして下さい。

エレベーターで避難しない!

 建物内で地震に遭遇した場合、揺れが収まったあとにたとえエレベーターが動いていても、目に見えない故障やその後の余震などで閉じ込められる恐れがあります。そのため、避難するとしてもエレベーターは絶対に使用しないことが鉄則です。業者の点検が終わるまでは乗らないようにしましょう。万が一閉じ込められた場合は、非常用電話などで助けを求めましょう。

水の中を歩かない!

 「浸水が始まっている場合は移動しないこと」が鉄則です。特に長靴が浸水する深さの屋外移動は危険です。泥水により足元が見えないため、釘などの危険物を踏み抜いたり、蓋が開いたマンホールへの落下など多くの危険がともなうためです。また、急激に増水した水に足をとられ、流されてしまう危険もあります。

これらのことを念頭においていただき、万一地震など災害に遭遇しても慌てずに冷静に行動するように日頃からシュミレーションしておいてください。


万葉集をわかりやすく解説

2019-09-20 09:50:08 | 生活情報

作者 大津皇子  巻三  四一六番歌

 ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日(けふ)のみ見てや 雲隠(がく)りなむ

訳:百に云う磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去るのだろうか。

 

解説

 この歌の作者である大津皇子は、天武天皇と大田皇女(おおたのひめみこ)(持統天皇の姉)の子で、皇太子である草壁皇子に次ぐ皇位継承の有力候補者でした。しかし、大津は草壁に対する謀反の罪のために死を命じられたと「日本書紀」には記されます。大津の死に際しては、妻である山辺皇女が髪を振り乱して素足で駆け寄って殉死したという記述もあり、同書の中でも涙をさそう場面です。

 この歌には、死に臨んだ大津が、磐余池の堤で涙を流して作った歌だという題詞がついています。磐余池は、大津の宮の付近にあったとされる池です。「もも(百)づたふ」は、百につながっていく数字「五十(い)」の「い」を導き出す言葉で、磐余池にかかります。「百に云う」言葉を付すことで、磐余池の永遠性を暗に示しているかのようだ、とも評されています。

 そうした池に毎年やってきて鳴く鴨は、日常的な存在でありながら、死を命じられた大津にとっては生命の営みを感じさせるものとしても映ったことでしょう。命あるに日常から切り離されることへの、深い詠嘆の込もった一首です。

 ただし、この歌の「雲隠りなむ」という言葉は、貴人に対する表現であるため、大津本人の作ではなく、その死を悼んだ他者による作であるとも言われています。「懐風藻(かいそうふう)」にも、大津が死に臨んで作った詩が残されていますが、これも後人の仮託という説があります。

 しかし、「日本書紀」は大津を謀反人として記録しながらも、優秀な人物であったと評価し、漢詩等の文学の才も認めています。磐余池での歌が他者の作であったとしても、大津なら死に直面しても素晴らしい歌や詩を残しただろうという認識が、当時の人々にはあったということなのでしょう。

 

万葉集ゆかりの地~大津皇子の墓~

万葉集によると、大津皇子の亡骸は二上山に移葬されました。二上山は大阪と奈良の県境にある山で、かつては「ふたかみやま」とも呼ばれていました。雄岳と雌岳が対となり、美しい山容を成しています。雌岳の標高は474mで、雄岳から雌岳へ向かうには、トイレや売店(不定休)、ベンチがある「馬の背」までいったん下がって、また登ることになります。「馬の背」とは、雄岳と雌岳の双峰の間にできる凹部が馬の背中のように見えることから、そう呼ばれています。

    (馬の背)       (雄岳の山頂)

雄岳の山頂には現在も「大津皇子の墓」があるものの、二上山のどこが移葬場所かはわかっておらず、麓にある鳥谷口古墳という説もあります。

                (大津皇子二上山墓) 

 

雌岳山頂からの眺望は、絶景で、大和三山をはじめとし、大和平野、大阪・河内平野までもがパノラマになって広がっています。小春日和の日には空が近くに見え、澄み切った風が頬を吹き抜け、先ほどまでいた地上が遠くに離れたように感じ、別天地に来たように感じ、古人がかつてこの二上山を訪れたかのような感慨を覚えます。

      

          山頂からの眺望                        雌岳山頂にある日時計

鳥谷口古墳

雄岳の尾根の先端に鳥谷口古墳があります。鳥谷口古墳は7世紀後半に築造された、一辺が焼く7.6mの方墳で、1983年(昭和58年)の土砂採掘中に偶然見つかった古墳で、大津皇子の墓ではないかとの説もあります。

墓室は、二上山で産出された凝灰岩を使用した、東西に長い横口式石槨(よこぐちしきせっかく)という構造で、底石や側壁には家形石槨蓋石が転用されており、珍しい造りとなっています。また墳丘や石槨の前面から、須恵器や土師器が発掘されました。

 

    

            鳥谷口古墳                         鳥谷口古墳の墓室

 

 

 

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