作者 大伴安麻呂(おおとものやすまろ) 巻二 一〇一番歌
玉葛(かつら) 実ならぬ樹には ちはやぶる 神そ着くといふ ならぬ樹ごとに
訳:美しい葛のように実のならぬ木には、すさまじい神がつくといいますよ。すべて実のならない木には、あなたという木にも。
解説
たとえどんなに美しとも、実らぬ木には恐ろしい神が依り憑きますよ・・・と、求愛する相手に色好い返事を強く求めるこの歌は、歌の前につけられた題詞によると、大伴安麻呂が巨勢郎女(こせのいらつめ)に求愛した時の歌とされています。
これに対して巨勢郎女は、「玉葛 花のみ咲きて 成らざるは 誰(た)が恋ひにあらめ 吾(わ)が恋ひ思ふを」(訳:玉葛のように花ばかりで実がないのは、一体どなたの恋なのでしょう。私はこんなに恋いしたっておりますものを。(巻二・一〇二番歌)と返しており、自分も安麻呂を想っているのだという恋心を直截的に伝えています。このような歌の掛け合いができるということは、この二人は既に気心の知れた、良い仲だったのでしょうか。
ところが、二人の出自や経歴を見ていくと、この恋の行方が気になってしまします。安麻呂は大伴旅人の父に当たる人物で、大海人皇子(後の天武天皇)と近江朝廷が争った壬申の乱では大海人皇子側について行動した記録が「日本書紀」にあります。
一方の巨勢郎女は、安麻呂への返歌につけられた注に「近江朝(あふみのみかど)の大納言巨勢人卿(こせのひとのまへつきみ)の女(むすめ)なり」とあり、壬申の乱で安麻呂が敵対した近江朝廷側の重臣の娘だったとされています。壬申の乱で近江朝廷が敗北した後、巨勢人は子孫とともに流罪に処されていますが、ここに巨勢郎女も含まれていたのかは分かっていません。
本歌は、「万葉集」巻二の歌々のうち、天智朝(近江朝廷)の歌がまとめられた箇所に配列されています。これが二人の恋が実ったのか、実ったとしてその後の戦乱を経てどうなったのか定かではないのがまた秘めたところがありわくわくしませんか。
万葉集ゆかりの人物~大伴安麻呂~
平城京遷都後、大納言兼大将軍「大伴安麻呂」は奈良の佐保に新邸を営み「佐保大納言」と呼ばれたのです。安麻呂の子が万葉歌人「大伴旅人」でその子(安麻呂の孫)が万葉歌人で「万葉集」編纂者の「大伴家持」なのです。また、3代にわたり佐保の地に邸を構え、佐保大納言家と呼ばれるようになりました。
旅人の異母妹(家持の叔母)に万葉歌人「大伴坂上郎女」がいます。
大伴氏はヤマト王権成立以前から、大王(天皇家)直属の内兵(親衛隊)として誉れ高い軍事名門氏族であったのです。平城京正門「朱雀門」のことを「大伴門」とも呼んでいたことからそのことが窺い知れます。