作者 境部王(さかいべのおおきみ) 巻十六 三八三三番歌
虎に乗り 古屋(ふるや)を越えて 青淵(あおぶち)に 鮫龍(みづち)とり来(こ)む 剣(つるぎ)大刀(たち)もが
訳:虎に跨って古屋を飛び越えていって、青淵に住む鮫龍を生捕りにして来るような剣大刀がほしい。
解説
昔はよく「地震雷家事親父」などといったものです。最近は滅多に聞かなくなった言葉ですが、恐ろしいものの代表格だったのです。恐ろしいものは時代によって変わるようで、古代の人々がイメージした恐ろしいものは、また別のものだったようです。
この歌は、境部王という奈良時代の皇親貴族が「数種(くさぐさ)の物」を詠んだ歌として万葉集に採録されていますが、詠まれているものは、どれも「恐ろしいもの」ばかりです。
古屋は、古くなって鬼が住みついたような家を指すとされています。青淵は、青々とした水淵のことで、「枕草子」にも恐ろしいものとして記述されています。鮫龍は、蛇のような姿の想像上の動物で、「日本書紀」仁徳紀に、淵に住む虬(みづち)(鮫龍)が毒を吐いて人々を苦しめたとあります。鮫龍が住む所が淵とされたため、「青淵」にも恐ろしいイメージがついたのでしょうか。
乗り物として歌われている虎もまた、恐ろしい動物でした。虎は、日本には生息していませんが、古代にも虎の毛皮や虎にまつわる逸話が中国・朝鮮半島から日本に入ってきていました。虎の大きさや力強さなどは、よく知られていたことでしょう。
そのような恐ろしい虎を乗りこなし、鮫龍を生捕りにできるような剣大刀がほしいと歌った境部王ですが、彼自身が歌のように勇敢な人物だったのか、勇敢になれない自分を奮い立たせたのか、それとも、ただ与えられたお題に沿って歌を詠んだだけなのか定かではありませんが、いずれにせよ、恐ろしいものに対して勇敢でありたいと願う気持ちは、古代でも現在でも変わることがないようです。
万葉集に関わる動物~虎「信貴山・朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)」~
聖徳太子が物部守屋(もののべのもりや)討伐の戦勝祈願のために信貴山を訪れた時、毘沙門天王が出現したといわれています。その日が寅年、寅日、寅の刻、であったことから、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰され、朝護孫子寺の境内には大きな張り子の寅「世界一福寅」があります。
寅の月といわれる2月には「信貴山 寅まつり」が開催され、寅年生まれの人たちを集めて色々とイベントが行われます。また、この日は多くの方が参拝に訪れます。
信貴山 朝護孫子寺は、用明天皇2年(587年)、聖徳太子によって創建されました。平安時代以降は武人の信仰を集めた寺で、戦国時代には松永久秀が信貴山城を築きましたが、織田信長の攻撃を受けた久秀は自害し寺も兵火で焼失しました。その後、豊臣秀頼によって再興されることになりました。標高437mの信貴山中腹に位置し、福徳開運の毘沙門天として今なお庶民信仰が篤い寺です。
山復にある広い境内には本堂の他に、護摩堂、三重塔など数十棟の堂宇が立ち並んでいます。本堂から見渡す奈良盆地の眺めは絶景です。寺宝に信貴山縁起絵巻(国宝)は霊宝館で10月末から2週間のみ公開されますので是非ご覧ください。必見ですよ!また、楠木正成の鎧・兜などの寺宝は霊宝館で常時見ることが出来ます・
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