Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

高校野球(松井裕樹)22K(三振)

2012-08-09 17:21:52 | 日記


8月9日 (木曜日)  夕 

高校野球をみていて良かった9日。

第94回全国高校野球選手権大会2日目は
1回戦4試合。第3試合は桐光学園(神奈川)の
2年生左腕・松井が大会新記録となる22奪三振の快投で今治西(愛媛)に7-0で完封勝ちをした。




なお6回から9回にかけては10連続三振を達成した。
又本塁打も放って凄いピッチャーが現れた。
今治西も名門だが、今回抑え込まれた。
悔しさを秘めた彼らは甲子園の砂は持ち帰らなかった。・・・又戻って来るであろう。

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名前も野球では誰もが知っている、プロの有名選手”松井”と”裕樹”(日ハムの斎藤佑樹と同じ読み)

第二試合が楽しみである。未だ2年生だ。


なお、参考記録では板東英二(元中日)が
1958年に延長18回で25奪三振がある。

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津波の記事(大津浪記念碑)

2012-08-09 15:05:44 | 日記
8月9日 (木曜日) こう、暑いと何処にも出かけたくない! 

扇風機の風を切る音と遠く蝉の声のみが・・耳に届く・・皆居ない静かだ!

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2011.3.11の津波の被害が有ったあと 下記の記念碑の事がとりだたされて、
ニュースになった。

少し調べ記憶にとどめておく。
多くの方がTVで見られているであろう、内容だが・・・・・

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大津浪記念碑

”失敗は伝わらない”
の例は、東北三陸海岸で起こった、大津波にみることができます。

明治29年(1896)、高さ38メートルの津波が、20,000人以上の命を奪いました。
  37年後の昭和8年(1933)、津波はふたたびこの地を襲います。

明治の大津波の後も、同じ場所に暮らしてきた人々。
津波はふたたび3,000人以上の命を奪いました。

37年前の失敗が、また繰り返されてしまったのです。
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工学院大学教授 畑村洋太郎氏

今日は、『失敗は伝わらない』について話そうと思います。
この写真を見てください。

この写真は、三陸海岸に行って撮ってきた、津波のことを書いた碑の写真です。
で、この中身を見ると、こんなことが書いてあります。
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高き住居(すまい)は 児孫(こまご)に和楽(わらく)
想へ(おもえ)惨禍(さんか)の 大津浪(おおつなみ)
此処(ここ)より下に 家を建てるな

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★東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、
 重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。
 1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた
 石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、
 改めて先人の教えに感謝していた。

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明治29年にも昭和8年にも、津波がここに来襲して、が全滅し、
生存者はわずかに数人しかいない、ということが書いてあります。

で、何でこんな石碑がここに建っているかっていうと。

結局、
『みんな伝えたいことがあるのに伝わらないで、
 また同じことを繰り返して人が死んでいく。
 で、そういうことが分っているから、
 せめて、石碑を建てて、次の人に伝えたい。』

 と、思って、こういう石碑ができています。

それで、実際に三陸の海岸に行ってみると、
あっちにもこっちにもたーくさんのこういう
津波のことを書いた石碑があります。


ところが、とても皮肉なことに、
その石碑が建っているところより下に、人家がたくさん建っています。

どうしてこんなことになるか、というと。


三陸というのは田んぼや畑を作る、そういう場所が無くて、
山がストンと海に落ちているから、みんな漁業で生活するしかしようが無い。


●所在地:岩手県宮古市大字重茂字姉吉
 ●漁港指定:第1種(昭和27年)
 ●管理者:宮古市
 ●漁港番号:1310510
 ●関係漁協:重茂漁協
 ◇魚種別等陸揚げ(上位):コンブ、ワカメ、サケ

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そうすると、いつも海に降りていかないといけないんだから、
この、津波が来たところの高さより上に家を建てていたのでは、
朝に晩に行ったり来たりしなきゃいけなくなる。
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で、そうすると、それは
『すごく大変だ。』 ということを経験しているうちに、だんだん
『道具だけは下に置いておこう』

『船は引き上げることができない』 といっているうちに、
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 作業小屋を下に建てて、で、いつの間にか。
だんだん、便利さの前に、危なさを忘れて、
それで、住まいが海のほうに降りていく。っていうことが起こります。
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ここに住んでいる人たちは、知識としては、危ないということを知っています。
ですから、津波というのが危ないということは知っている。

ところが、
『自分が生きている間に、絶対津波が来る』というふうには思っていなくて、
『あんまり考えるほどのこともないんじゃないか』 と思いながら
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津波のことを考えないように、考えないようにして、
そうして日々の生活を送っています。っているの?と聞いたら
『知っている』 と言います。
じゃあどうするの?と言うと、
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『いやー、たぶん、俺が生きているあいだは来ないよ。』
って、そういう返事が返ってきます。

その、失敗って、ほんとに起こったときはみんながとっても注意するし、
そのことに関心が集まります。
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しかし、時間が過ぎるほどに、そのことに関心を払わなくなって、
そして忘れていきます。

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で、もうひとつあります。
増えていくものがあります

これは(失敗に対する)無関心と、それから
『そういうこと(対策を)やんなくたっていいんだよ』
っていうごう慢さとが増えていくんです。

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そうして多くの場合、だいたい30年ぐらい経つと、
『ものすごく危なかった』
ということは、ほぼ消えていきます。


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★なお三陸リアス式海岸を伸ばして見れば
 日本列島と同じ長さになるようなことも聞いている。
 それだけ入り組んでいて、津波の影響は高くなるんだ!

★30年位、時が経過すると”物凄く危なかったこと”も記憶から消えて行くんだ。

普段の生活も一緒かな!
大病しても、調子が戻って、少し経つと、
以前と同じ生活パターンを繰り返しているんだなあ~これが!
教訓にしなくては・・・・。
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8月9日長崎原爆の日 ・ (朝の日常)

2012-08-09 11:17:04 | 日記
8月9日  (木曜日)  晴れ

今日は長崎原爆の日。

本日も、もうすぐ11時になる・・・静かな暑い日だが平和だ・・・
こんな時、突然、何千度という火の玉に焼かれた人々の事を思うと
やりきれない。
何回か長崎のこの地を訪れている、そして広島でも長崎でも原爆資料館に入って
その凄まじさには戦慄を覚えたことが思い出される。

特に長崎では今でも強く、山王神社の残された一本足の鳥居が思い出される。

(写真はWEB上から借用)

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11時2分になった。TV映像を撮る。
平和祈念式典が始まった。




黙祷の鐘が


★いつか見た記事で”人間は発明したものは、使わずにはいられない”
 と言う言葉が 記憶から消えないでいる。

  便利なものでも・・・・危険なものでも・・・・
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記事)
8月9日は長崎原爆の日です。
昭和20年(1945)、アメリカ軍は6日の広島に
続いて長崎に第二の原爆を投下しました。午前11時2分のことです。

広島の原爆はリトル・ボーイと呼ばれましたが、
長崎の原爆はファット・マンと呼ばれます。

広島の原爆はウラン爆弾でしたがこちらはプルトニウム爆弾で、

広島より強力、TNT火薬21000トン分の威力とされます。
しかし平地の広島に比べて谷間の長崎は、地形が原爆の被害の拡大を防ぎました。

それでもこの
原爆で数ヶ月以内に7万人が亡くなり

その後亡くなった人を入れると、
やはり15万人ほどの人が命を落としたとされます。

長崎にしても広島にしても、
役所の記録が失われた上に、朝鮮などから徴用されて働きに来ていた人の数や
一時的に疎開してきていた人などの数は分からないものが多く、

本当の被害者数というのは永遠に不明のままでしょう。

広島に原爆を落とした飛行機はエノラ・ゲイですが、
長崎に原爆を落としたのはボックス・カーというB29です。

エノラ・ゲイと同様早朝テニアン島を出発し、
当初第一目標の小倉上空に達しますが、天候が悪かったため投下を断念、

目標を急遽第二目標の長崎に変更しました。
そして長崎でも市の中心部には投下できず、
少し北部の浦上地区、松山町上空9600mから投下。

高度500mで炸裂した原爆はわずか0.2秒後には半径200mもの火球を作ります。
この火球の表面温度は太陽の表面温度並の8000度にも達しました。
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話題を変えて・・・・・

オリンピクの女子レスリングで(小原・伊調)両選手が金メダル。凄い
これから吉田選手も金を獲るだろう・・。



女子のレスリングは国内の戦いそのものがオリンピックの戦い以上なんだ!
出場するまでの戦いが大変なんだ。・・・
いつから、こんなに選手の層が厚くなったんだろう。
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1時半頃から1時間程~TVでの女子レスリング観戦。
その後は、涼しさも手伝って6時までグッスリ寝た。よかった。

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昨日、パパと獲って来たザリガニの入ったバケツを興奮して持ち込んで来て
”おかえんなさい””大きいザリガニが3人(にん)も獲れた”と汚れたポリバケツを
玄関に載せる。

本当は”ただいま!3匹も獲れた”なんだろうが・・・おかしなことを言う。
結局、ここから私の仕事で、2人はシャワーを浴びてキャッキャとうるさい。
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今朝がた起きぬけに
今は使わなくなった熱帯魚用の大き目の水槽に薄く水を入れて、炭も入れて
移し入れておいた。これでしばらくは共食いをしないであろう。

最近、カブト虫やらも含めて飼育係のようだ。





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挿し芽したポーチュラカが、うるさい様に伸びてきて混雑している。


元株はこれだ!

こちらの方が元気が無い・・・又移し替えかな?

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秋植え用のキャベツ苗などが大きくなってきた。

ブロッコリーやカリフラワーも、今のところ順調。


余っていた胡瓜の種を、遅いがポッド蒔きにしたら3日で芽が出てきた。

遅いが、試験的に植えてみよう。畑の直播きのものも順調だ。
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フレームハウスとベランダの瓢箪も、ようやく日蔭を作る様になった

ただ、毎日2回以上の水くれが面倒だ・・なあ~。