8月9日 (木曜日)
こう、暑いと何処にも出かけたくない!
扇風機の風を切る音と遠く蝉の声のみが・・耳に届く・・皆居ない静かだ!
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2011.3.11の津波の被害が有ったあと 下記の記念碑の事がとりだたされて、
ニュースになった。
少し調べ記憶にとどめておく。
多くの方がTVで見られているであろう、内容だが・・・・・
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大津浪記念碑
”失敗は伝わらない”
の例は、東北三陸海岸で起こった、大津波にみることができます。
明治29年(1896)、高さ38メートルの津波が、20,000人以上の命を奪いました。
37年後の昭和8年(1933)、津波はふたたびこの地を襲います。
明治の大津波の後も、同じ場所に暮らしてきた人々。
津波はふたたび3,000人以上の命を奪いました。
37年前の失敗が、また繰り返されてしまったのです。
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工学院大学教授 畑村洋太郎氏
今日は、『失敗は伝わらない』について話そうと思います。
この写真を見てください。
この写真は、三陸海岸に行って撮ってきた、津波のことを書いた碑の写真です。
で、この中身を見ると、こんなことが書いてあります。
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高き住居(すまい)は 児孫(こまご)に和楽(わらく)
想へ(おもえ)惨禍(さんか)の 大津浪(おおつなみ)
此処(ここ)より下に 家を建てるな
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★東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、
重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。
1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた
石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、
改めて先人の教えに感謝していた。
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明治29年にも昭和8年にも、津波がここに来襲して、が全滅し、
生存者はわずかに数人しかいない、ということが書いてあります。
で、何でこんな石碑がここに建っているかっていうと。
結局、
『みんな伝えたいことがあるのに伝わらないで、
また同じことを繰り返して人が死んでいく。
で、そういうことが分っているから、
せめて、石碑を建てて、次の人に伝えたい。』
と、思って、こういう石碑ができています。
それで、実際に三陸の海岸に行ってみると、
あっちにもこっちにもたーくさんのこういう
津波のことを書いた石碑があります。
ところが、とても皮肉なことに、
その石碑が建っているところより下に、人家がたくさん建っています。
どうしてこんなことになるか、というと。
三陸というのは田んぼや畑を作る、そういう場所が無くて、
山がストンと海に落ちているから、みんな漁業で生活するしかしようが無い。
●所在地:岩手県宮古市大字重茂字姉吉
●漁港指定:第1種(昭和27年)
●管理者:宮古市
●漁港番号:1310510
●関係漁協:重茂漁協
◇魚種別等陸揚げ(上位):コンブ、ワカメ、サケ
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そうすると、いつも海に降りていかないといけないんだから、
この、津波が来たところの高さより上に家を建てていたのでは、
朝に晩に行ったり来たりしなきゃいけなくなる。
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で、そうすると、それは
『すごく大変だ。』 ということを経験しているうちに、だんだん
『道具だけは下に置いておこう』
『船は引き上げることができない』 といっているうちに、
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作業小屋を下に建てて、で、いつの間にか。
だんだん、
便利さの前に、危なさを忘れて、
それで、住まいが海のほうに降りていく。っていうことが起こります。
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ここに住んでいる人たちは、知識としては、危ないということを知っています。
ですから、津波というのが危ないということは知っている。
ところが、
『自分が生きている間に、絶対津波が来る』というふうには思っていなくて、
『あんまり考えるほどのこともないんじゃないか』 と思いながら
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津波のことを考えないように、考えないようにして、
そうして日々の生活を送っています。っているの?と聞いたら
『知っている』 と言います。
じゃあどうするの?と言うと、
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『いやー、たぶん、俺が生きているあいだは来ないよ。』
って、そういう返事が返ってきます。
その、失敗って、ほんとに起こったときはみんながとっても注意するし、
そのことに関心が集まります。
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しかし、
時間が過ぎるほどに、そのことに関心を払わなくなって、
そして忘れていきます。
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で、もうひとつあります。
増えていくものがあります。
これは(失敗に対する)無関心と、それから
『そういうこと(対策を)やんなくたっていいんだよ』
っていうごう慢さとが増えていくんです。
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そうして多くの場合、だいたい30年ぐらい経つと、
『ものすごく危なかった』
ということは、ほぼ消えていきます。
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★なお三陸リアス式海岸を伸ばして見れば
日本列島と同じ長さになるようなことも聞いている。
それだけ入り組んでいて、津波の影響は高くなるんだ!
★30年位、時が経過すると”物凄く危なかったこと”も記憶から消えて行くんだ。
普段の生活も一緒かな!
大病しても、調子が戻って、少し経つと、
以前と同じ生活パターンを繰り返しているんだなあ~これが!
教訓にしなくては・・・・。
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