Kennyのブログあれこれ

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栴檀と南縁草

2012-08-24 11:23:42 | 日記
8月24日  (金曜日) 晴れ

お盆が過ぎて、種から育てたカボチャと小玉スイカを収穫して
車庫内に置きっぱなし。だった!暑さに耐えている。
スイカは上手にできていて、美味しく喉を潤せた。

今年は涼しくなったら個人収穫祭でも、やらねばいけないなあ~!
それに野菜供養もするか?色々駄目にしたものも多かったので・・・・。



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高校野球も終わって、TVは見るものが無くなった。
暑い日がまだまだ続くらしい。
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編集手帳(23日読売)を載せる。



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原発0で失業者が200万人増えるとある。
そこで落語の”100年目”が出てくる。

内容は簡単に記すと
”つまりは もちつ・もたれつ”
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落語『百年目』の大旦那さんは道楽を覚えた大番頭を呼んで、こんな説諭をする。

「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか。

昔、天竺に栴檀(せんだん)という立派な木があり、
その下に南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。


目障りだというので、南縁草を抜いてしまったら、
栴檀が枯れてしまった。
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調べてみると、栴檀は南縁草を肥やしにして、
南縁草は栴檀の露で育っていた事が分かった。
栴檀が育つと、南縁草も育つ。

栴檀の”だん”と南縁草の”なん”を取って”だんなん”、
それが”旦那”になったという。

こじつけだろうが、私とお前の仲も栴檀と南縁草だ。
店に戻れば、今度はお前が栴檀、店の者が南縁草。

店の栴檀は元気がいいが、南縁草はちと元気が無い。
少し南縁草にも露を降ろしてやって下さい。」

これが日本的な文字通りの「トリクルダウン」(つゆおろし)理論である。

新自由主義者が唱えた「トリクルダウン」理論というのは、
勝ち目のありそうな「栴檀」に資源を集中して、それが国際競争に勝ったら、

「露」がしもじもの「南縁草」にまでゆきわたる、という理屈のものだった。

だが、アメリカと中国の「勝者のモラルハザード」
はしなくも露呈したように、

新自由主義経済体制において、おおかたの「栴檀」たちは、南縁草」から収奪する
ことには熱心だったが、
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「露をおろす」ことにはほとんど熱意を示さなかった。

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店の若い番頭や手代や丁稚たちは始末が悪いと叱り飛ばす大番頭が、

実は裏では遊興に耽って下の者に「露を下ろす」義務を忘れていたことを
大旦那さんはぴしりと指摘する。

『百年目』が教えるのは、


「トリクルダウン」理論は「南縁草が枯れたら栴檀も枯れる」という
運命共同体の意識が自覚されている集団においては有効であるが、

「南縁草が枯れても、栴檀は栄える」と思っている人たちが
勝者グループを形成するような集団においては無効だということである

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★「そこに根を下ろしたもの」はそこから動くことができない。
 だから、AからBへ養分を備給し、BからAへ養分が環流するという
 互酬的なシステムが不可欠なのである。
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小欄を見て思った、
日本人がグローバル化された企業入っても、なかなかうまく適用できないのが・・・
逆に、海外企業で働いた人が、日本企業では浮いてしまうのを・・・
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ついでに  蛇足)   旦那とはダーナから
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旦那とは、妻が夫を、商家の奉公人が主人を、商人や役者・芸人が
ひいきしてくれる客を呼ぶときに用いる敬称です。パトロン。


 旦那は、サンスクリット語「ダーナ」の音写で元仏教語。
「ダーナ」は「与える」「贈る」という意味で、「ほどこし」「布施」
 などと訳され、「檀那」とも書きます。

中国や日本では、旦那は寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」
意味として、主に僧侶が用いる言葉でした。

やがて、一般にも「旦那」の語は広まり、「パトロン」のように
生活の面倒を見る人の意味で用いられるようになりました。

さらに、「面倒を見る人」「お金を出してくれる人」といった意味から派生し、
旦那は奉公人が主人を、商人が客を、妻が夫を呼ぶときの敬称として
用いられるようになり、現代では主に妻が夫を呼ぶ敬称として「旦那」が
用いられています。


旦那の語源には、「ダーナ」が西洋に伝わり、「マドンナ」や「マダム」などに
変化したという説から、「旦那は女だった」などとするものも過去に見られました。

 しかし、「ダーナ」が「マドンナ」や「マダム」の語源とする説はあまり
有力とされておらず、「ダーナ」が語源であったとしても、

「旦那」の語源が「マドンナ」や「マダム」ではないため、
「旦那」が女性をさす言葉であったとするのは間違いのようです。

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そう言う事だと・・”私は旦那ではない”