Kennyのブログあれこれ

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ベトナム

2010-12-13 13:06:12 | 日記
12月13日(月曜日)寒い!9度C程度。

冷たい雨になった。晴耕雨読で本日は本読み。
岸 恵子さんの書いた(30年の物語 講談社 1999年11月初版)を読む。

目次の中で”君はベトナムで何も見なかった”が気になって先に読んだ!
1996年に国連人口基金親善大使としてハノイ・ホーチミン(旧サイゴン)を廻る
スケジュールでのその時の印象が書かれている。

●特に魚醤(ニョツクマム)の臭いと胃によじれたように残る重い感じ。
●そしてフランスの統治時代の瀟洒な建物。
●すねた元北ベトナム工作員のフランス語・ベトナム語の通訳の不思議さ。
 彼は過去を決して忘れはしないがこだわってばかりもいられない!と薄笑い。
●交通事故の多発は当たり前。
●ハノイを出たら女性はトイレが大問題の話が克明に描かれて・・。
●地方では手足目を失った人々。枯れ葉剤による後遺症で奇形児達の姿は酷い。
●今度は親善大使でなく一人の人間としてベトナムを訪れたいと岸さん。

この背景には娘のデルフィーヌ(岸さんの娘さん:このベトナムに同行)の言葉
”私たちの世代は戦争をTVの映像でしか知らないのよ!
 湾岸戦争もサラエボもあの酷いルワンダの部族虐殺も・・ベトナムを見てよかったわ”
”ママ! 日本と比べては見えないよ。地球の半分以上はベトナムよりずっと貧しいわ”
娘は下記映画で有名な言葉をもじって言った。
”君はベトナムで何も、見なかった”
フランスの監督アラン・レネが日本に来て作った映画
”広島わが愛”(邦題は二十四時間の情事)の中で岡田英次扮する日本人青年が
フランス女性の恋人に再三つぶやいたこの科白(セリフ)がヨーロッパで大流行した。
”君は広島で、何も見なかった!”

この本の内容も凄いが、おの美しい女優が
河馬がひしめくアフリカ大地・サソリの出るナイル河畔の岩間やハイエナがうろつく
サバンナでも一番星を愛でながら平気で”しゃぼしゃぼ”出来るのに
ベトナムの囲いの中の連帯オシッコは駄目だ!銭湯の様にはいかない。
と記してある。・・・確かに。
私も中国の工場立ち上げ時に女子寮のトイレの問題は一杯経験している。
現地では当たり前のことであるが日本人は我慢できないかもね!
でもなんとなく笑える!失礼。

私は2004年3月にホーチミン市を仕事で訪れた。岸さんがベトナムに行ってから
8年後である。
○暑い!騒音と共に汗が噴き出す。
○粗末な建物にお金をとって奇形児のホルマリン浸けを見せる記念館。
 もう二度と見たくない。やっぱりこれは凝視できなかったし写真なんて撮れない。

○サイゴン時代の大統領官邸からの広場をみたり:

現在はお金をとって見せている官邸

 1975年4月30日 あのフェンスを打ち破って戦車が乗り込んできた写真だと思うが
 この時は、来年でベトナム戦争終結から30年が経過するんだ!と思ったことを思い出している。

○バイクと自転車が通りをひしめいて走っている。

 とても始めて行った日本人の方には横断は出来ないと思う。まして夜は!
 ツアーでなく行って見てください。

暑いのでファッションでなくテッコの様なものを皆さんがつけている。
マスクは常備品。

岸さんが書いている通り事故はやたらに多い。
 数少ない自動車に私達は乗ってホーチミン市から田舎へ7区域先の工場へ
 ここまで来ると静かである。が なんかわからない哺乳類の事故死体があっちこっちに!

○会社内の昼食は一寸喰えない・・! ブリキ缶の様な器にお粥の様なもの!
 現地総経理によれば今日は良い方だ!と言っていたが、結局ホーチミン市に戻って
 日本料理という事になった!が
○お土産物屋の女性のぺちゃペチャ話すベトナムの言葉。
 
日本語の上手な娘さんもいる。

○レストランでは民族衣装のアオザイ(現地:アオダイ)を着た女性が案内
 パンタロンのパンツの上に長め服を着た感じがエキゾチックである。
 生春巻き 揚げ春巻き ベトナム料理もなかなか良いものが有る。
 ベトナムコーヒーは有名だ!
○3つ星以上?のホテルでは必ず舞踊が食事時に行われている。

ベトナム舞踊
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良いところもあるが、戦争のキズ跡が色濃く残っている。私も
”ベトナムでは 何も見なかった”としておきたい。