稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

伊丹の修武館「高段者稽古会」(2019年11月4日)

2019年11月05日 | 剣道・剣術


「八段同士の稽古を見るだけでも価値があるよ」
と師匠に言われて申し込んだ。全日本よりも興味がある。

参加した八段先生は我が師匠を含めて12名。
七段は20~30名ぐらい。六段も同じぐらいか。
五段以下が20名ぐらい。全部で80名は超えていたと思う。
10時から12時までの予定が12時半までずれ込んだ。

稽古は同じ段位同士で3分間行い、
あとで見ていた八段先生に指導してもらうというもの。
それを3回やって、あとは七段が元に立っての稽古。

そのあとは八段が元立ち。
最後は八段同士の稽古を拝見するという内容だった。


(到着、やや緊張)


(八段元立ちの稽古風景)


(私のお手本にしている構え)


(稽古終了)


(正式な集合写真の前に1枚撮影させてもらった)


【感想・反省点】

最初は、時々、ダイキンでの稽古でお見かけする方にお願いした。
せっかくだから我が師匠の目の前まで行って稽古する。
動じないこと。中心を取りながら右足スイッチ。あとは身体の判断に任せる。

4回目で、15年ほど前、五段の時に稽古をしたことがあるベテラン七段にお願いした。
昔もそうだったが、まず構えが安定している。
崩したいが、何をしても動かすことが出来ない。
動かそうとして自分が動く(色を見せる=崩れる)のがわかる。

剣道は、彼のような、厚かましさ、ふてぶてしさ、お前など屁でも無いわ・・・
という傲慢な精神力も重要なのだと改めて認識させてもらった。
結局、お互いに打つぞの「う」で相面になってスピードで負けてしまった。

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八段元立ちの時間は、あえて稽古をせず、八段先生の剣道を目に焼き付けた。
特に我が師匠。師匠の剣道は美しく柔らかい。力まず無理が無い。
状況に応じての攻め、捌き、打ったあとが見事だ。
これを見るだけでも価値のある稽古会だったと言って良い。

八段同士の稽古は、まず緊張感が七段と違う。気迫がすごい。
剛の先生が柔も使い、柔の先生が剛も使うという部分も見れた。
竹刀捌きも見事だが、やっぱり足だよなあ・・・と納得した。

アドバイスの中で印象に残ったもの。
・意味も無く剣先を振るものでは無い。左手の納まりが大事。
・七段なら、八段になったつもりで稽古しなさい。
・自分から攻めて、相手の起こりを捉える稽古を目指しなさい。
・触刃から交刃、交刃から打ち間までを大切にしなさい。

終わりの礼の時に永松先生のお話の中で印象に残ったもの。
・剣道は当てっこでは無い。相手の心を打つのだ。
・技の稽古の段階が過ぎたら精神的な稽古になる。
・師を選ぶ大切さ。縁を大事に。
・段階ごとの修行の大切さ。三磨(習い・稽古・工夫)の位。猫の妙術。
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